旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

藩主の菩提寺

2012-06-28 10:26:02 | 日記











藩主の菩提寺

 参道の石段や石垣がまるでお城のような雰囲気の月桂寺

 この威厳のある門構えのお寺は、臼杵藩主・稲葉氏の菩提寺。

 風格が感じられる長い石段と御成門。

 藩公専用の御成門
 長い石段を登ると、そこが臨済宗妙臨寺派の月桂寺

 月桂寺は臼杵五万石の藩主・稲葉公の菩提寺として
 慶長13年(1608)湖南宗嶽和尚が開山し、稲葉典通が
 創建したお寺。

 その後およそ400年、時代の移り変わりを静かに見続けている
 名刹です。

 御成玄関と書院を擁する広い本堂には藩祖の稲葉一鉄をはじめ
 初代・貞通など歴代が祀られています。

 御成門の脇には経蔵と地蔵堂があり、奥にふたつ御霊屋と呼ばれる
 一つは稲葉家のもの、もう一つは奥方のものです。

 静かにおやすみになられています。

 月桂寺は臼杵の町を見下ろすシーンと静かな、厳かなお寺です。

 

サカキとお線香

2012-06-28 09:23:07 | 日記





 写真奥の緑は臼杵城址・臼杵公園の緑が写っています。




月桂寺の長い階段を登って左手入ったところには井戸があり
 奥にはたくさんのお墓があります。

 ここに始めてお墓参りに訪れたとき、びっくりした事が
 ありました。

 お墓参りに持参するのが、お線香とお花が定番で全国
 どこでも同じだと思っていました。

 月桂寺前のお店で、お花を買い求めようとしたら、お花は
 まったく売っていなくて、サカキだけが売っていました。

 何度か訪れるうちに、尋ねたことはないのですが
 サカキが理にかなっていると、気づきました。

 特に夏なんかは、お花だとすぐに枯れて、汚くなりますが
 サカキはズーっと枯れずに持ちこたえています。

 考えてみるとお祓いなんかもサカキをもちいますよね?

 今ではサカキがお墓には、本当にピッタリだと思っています。

 ここのお墓で静かにおやすみになられているのは、臼杵市に
 伝わる日本泳法の流派のひとつ、臼杵山ノ内流で東京の明治神宮
 に新しく50メートルプールが出来た時に、立ち泳ぎしながら
 大きな旗を両手に持って振ったり、ほら貝を水中で吹くといった
 妙技を、披露されたそうです。

 これらは本来、水中で泳ぎながら戦いを交えるための武術との事。

 豊後水道に面する臼杵藩では、山ノ内流が臼杵藩ではの代表的な

 泳法で、斜横泳ぎは遠泳に適した泳ぎだそうです。

 ちなみに私はカナヅチです、海や川はこわくて苦手です。
 相棒はもちろん泳げます。

津久見島

2012-06-28 08:28:09 | 日記






 この写真の中央奥に写っているのは臼杵城址・臼杵公園の緑が写っています。





津久見島

 羽田空港で手荷物を預けるとき、お線香に火がつけやすい器具を
 用意していたが、あわや没収されそうになりました。

 装置されていたライターをとり外して、タバコを吸う人のため
 ライターは一個までOKで助かりました。

 月桂寺の長い石段を登って左手入って行った場所にある
 お墓からは臼杵の町を見下ろす、とても風光明媚な素晴らしい
 眺めで、古くから臼杵の人々に、どこから見ても「にぎりめし」
 と、親しまれ、愛されている 美しい円錐形をした島が見えます。

 津久見島(つくみしま)は臼杵市の臼杵湾に浮かぶ無人島。

 臼杵湾の沖合い約7キロメートルにあり、周囲約2,3キロメートル
 の小さな島。

 日豊海岸国定公園に指定されています。

 古くは竹島といい、津久見島と言う名は臼杵城からこの島と月を
 望む景観が素晴らしいことから、月見島をもじってつけられたという。

 本土との間に定期船はなく、島へは瀬渡し船などで渡る。

 渡船料 4000円

 臼杵七島の一つである、おにぎり型の島、いつ見ても、何度見ても

 本当に愛嬌があり、親しめますね。

 どこから見ても、にぎりめし、ピッタリです。

 名前が「津久見島」であるために、間違われることがありますが

 津久見市ではなく、臼杵市にあります。

城主の変還と「小京都」

2012-06-26 10:09:44 | 日記











相棒と去年旅行してお気に入りの岐阜県郡上八幡と大分県臼杵市は
 遠く離れているが、関係があったのですね?

 郡上八幡は「奥美濃の小京都」と呼ばれ、今でも京都に似た町家が
 連なり風情ある石畳の道や格子戸が連なる城下町の面影残る古い町並みが
 しっとりした情緒を醸し出していました。
 2007年に美しい「日本的風土百選」に選ばれる。

 城下町臼杵の始まりは現在の臼杵の街並みの大部分は、稲葉氏の時代に
 形成されています。

 当時は城を中心に商家が建ち並び、その外側を武家屋敷や寺院が取り囲む
 ように町が整えられていきました。
 曲がりくねった迷路のような町並みは今も臼杵に遺されています。

 岐阜県郡上八幡城は別名「積翠城(せきずい)」とも呼ばれる山城で

 臼杵城は全国でも珍しい海城でした。

 廃藩置県とともに郡上八幡城も臼杵城も取り壊されました。

 現在の郡上八幡城は昭和8年(1933)木造四層五階建ての天守閣は
 木造の再建城としては日本で最も古く、再建された城でありながら
 作家 司馬遼太郎氏は「街道を行く」の中で「日本で最も美しい山城であり、
 隠国(こもりく)の城」と評されています。

 郡上八幡城の城主の変還は多く、築城した遠藤家(1559年~)--
 稲葉家(1588年~)になり、関ヶ原の戦い後は遠藤家(1559年~)
 が再復活、遠藤家が五代で跡取りがおらず、井上家(1692年~)-- 
 金森家(1697年~)--青山家(1758年~1869年の版籍奉還まで)
 と五家十九代、400年以上。

 臼杵城といえば大友宗麟であるが、関ヶ原合戦以降は稲葉貞通が美濃(岐阜県)

 の郡上八幡から移封されて以来、明治維新に至るまで十五代おおよそ270年間

 稲葉氏がこの地を統治しました。

 臼杵は城下町風情が色濃く、石畳の曲がりくねった坂道沿いに漆喰壁の武家屋敷跡

 や古い蔵や寺院があります。

 稲葉氏によって形成された臼杵は美濃(岐阜県)郡上八幡のような「小京都」の

 趣があります。

映画のロケ地

2012-06-22 15:19:12 | 日記




臼杵は歴史情緒あふれる石畳の城下町として栄え
 白壁の街並みがその面影を残しています。

 全国への出荷量を98パーセントも占める
 臼杵のカボス栽培は江戸時代から始まったそうです。

 また、江戸時代初期、豊後の国で日本初のシイタケ栽培が
 行われたとされます。

 臼杵は戦国~安土桃山時代にはスペインやポルトガルと
 交易があった国際交流都市で南蛮文化と城下町が融合して
 今も歴史的財産が残っています。

 城下町として栄えた臼杵は映画のロケ地としても人気で
 大林宣彦監督もお気に入りだとか?

 02年には「なごり雪」のロケ地となり、

 06年には伊勢正三のフォークソングの名曲「22才の別れ」

 のロケ地となっています。

 まだほかにもあるとの事でした。