相棒と去年旅行してお気に入りの岐阜県郡上八幡と大分県臼杵市は
遠く離れているが、関係があったのですね?
郡上八幡は「奥美濃の小京都」と呼ばれ、今でも京都に似た町家が
連なり風情ある石畳の道や格子戸が連なる城下町の面影残る古い町並みが
しっとりした情緒を醸し出していました。
2007年に美しい「日本的風土百選」に選ばれる。
城下町臼杵の始まりは現在の臼杵の街並みの大部分は、稲葉氏の時代に
形成されています。
当時は城を中心に商家が建ち並び、その外側を武家屋敷や寺院が取り囲む
ように町が整えられていきました。
曲がりくねった迷路のような町並みは今も臼杵に遺されています。
岐阜県郡上八幡城は別名「積翠城(せきずい)」とも呼ばれる山城で
臼杵城は全国でも珍しい海城でした。
廃藩置県とともに郡上八幡城も臼杵城も取り壊されました。
現在の郡上八幡城は昭和8年(1933)木造四層五階建ての天守閣は
木造の再建城としては日本で最も古く、再建された城でありながら
作家 司馬遼太郎氏は「街道を行く」の中で「日本で最も美しい山城であり、
隠国(こもりく)の城」と評されています。
郡上八幡城の城主の変還は多く、築城した遠藤家(1559年~)--
稲葉家(1588年~)になり、関ヶ原の戦い後は遠藤家(1559年~)
が再復活、遠藤家が五代で跡取りがおらず、井上家(1692年~)--
金森家(1697年~)--青山家(1758年~1869年の版籍奉還まで)
と五家十九代、400年以上。
臼杵城といえば大友宗麟であるが、関ヶ原合戦以降は稲葉貞通が美濃(岐阜県)
の郡上八幡から移封されて以来、明治維新に至るまで十五代おおよそ270年間
稲葉氏がこの地を統治しました。
臼杵は城下町風情が色濃く、石畳の曲がりくねった坂道沿いに漆喰壁の武家屋敷跡
や古い蔵や寺院があります。
稲葉氏によって形成された臼杵は美濃(岐阜県)郡上八幡のような「小京都」の
趣があります。