旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

世界文化遺産

2012-01-06 08:39:53 | 日記












古くからソバの栽培が盛んな白川郷、平地が少ないため

 米作りよりもソバの栽培に適していました。

 今もなお、昔ながらの素朴な生活が営まれています。

 白川郷の合掌造りの家屋は、とても合理的な建物です。

 厳しい冬の雪と険しい山間の里に合掌造りの家屋は

 生まれました。

 白川郷の合掌造り集落が国内の世界遺産・姫路城や

 自然遺産・屋久島・小笠原諸島 その他の文化的要素を

 持つ世界文化遺産と違う点は、寺社や城郭など権力を

 背景にしていない、一般の普通の人々のつくり上げたもの

「合掌造りの家屋」と言うことではないのでしょうか?

 普通の人々が辺境のため、自給自足の生活で、金具類を使わない

 昔ながらの工法で、普通の人々の知恵、また大工さんの

 技術と知恵の結集がいっしょになった。

 先人から受け継がれる文化が脈々と息づき、村民の無償の

 助け合い「結い」で守られた、茅葺き屋根の民家は

 人々の息づかいが聞こえる世界文化遺産でした。

帰雲城址跡(かえりくもじょうしあと)

2012-01-05 08:30:03 | 日記












帰雲城址跡(かえりくもじょうしあと)

 萩町合掌造り集落の北はずれにある小高い丘(萩町城址跡展望台)は
 
 かっては南朝の公家たちが隠れ住んだ城といわれているが

 その後、戦国時代の武将の居城となったところ。

 典型的な山城で、北・南・西の3面が絶壁という高台。

 天正13年(1585)の大地震のため、城も人も城下町の300軒余も

 飲み込まれてしまい、何もかも きれいに消え去って

 その位置さえも、わからなくなってしまったと言われています。

 寛正5年(1464)帰雲(かえりくも)城主内ヶ島氏の重臣

 山下氏勝が築いて移ったと伝わるが、今は跡形もなく何も残っていない。

 眼下に合掌造り集落が広がる展望地で大人気ですが

 展望地の周りは、この写真のように、本当に天正13年の大地震で

 何にも残っていなくて、改めて大地震の被害の大きさが実感できました。

 去年の東日本大震災のあの日の記憶がよみがえり、恐くて体が震えます。

 この帰雲城址跡・萩町城址跡展望台は災害を忘れてはいけないと

 教えてくれているのでしょうね。

 天災の恐ろしさをあらためてこの場に立って理解いたしました。

 内ヶ島氏は金山を採掘していたことから、黄金埋蔵伝説が生まれ

 今も発掘に夢をかける人も少なくないとのことです。

萩町城址展望台からの全景

2012-01-03 08:29:44 | 日記













白川郷は白山(2702m)を中心とする山岳地帯で日本有数の

 豪雪地帯(積雪深は約2メートル、昭和56年の豪雪では4,5メートルを記録)

 かっては冬ともなれば交通が遮断される「陸の孤島」でありました。

 合掌造り集落の背後には、険しい山並みが迫り、

 正面の高い山々は白山連峰へと続いています。

 合掌造りの家は東西に屋根面を向け、屋根を太陽の光にあてて乾かす

 造りになっているため、ここの萩町城址展望台から眺めると

 どの家も同じ向きに建っている様子がよくわかります。

 南北に向いている家並みが右に流れる庄川に沿うように

 微妙にカーブを描いています。

 これは季節風や台風が峡谷に挟まれた庄川に沿って吹くためと言われています。

 白川郷集落の個々の家々を、見てまわっていてはわからないことです。

 萩町城址展望台からの全景を見なくては、絶対にわからないことです。

 萩町城址展望台からの眺めはお勧めの場所です。