最近、会社の朝会でスパイに関する話題を出した人が居たのだが、スパイというのは自由に通信が出来る開放系では扱いが厄介でどうしたらよいかわからないものである。大抵は言及すればするほど信用が下がる。スパイは実在していて警戒を要するのは事実であるのに、統合失調症の妄想の印象と結びつくと途端に警戒が立ち消えになることが多い。
私が統合失調症流にスパイを空想してみると、スパイというのは重要な地位を占めて有利に活動を進められるようにすることはもちろん、連携をとって広く情報を集めたり、場の空気を作るために様々な箇所にまんべんなく配置されているはずだと思う。幼いころに親戚の人がタバコをいろんなところに手元から瞬間的に隠すという手品を見せてくれることがあったが、タバコは事前に様々なところに置いてあったのであって、それと同じ事をスパイもしてくるのだ。自分の近くにいる人がスパイであるかもしれないという妄想の症状と思われる警戒心もあながち間違いではないと思う。日本のスパイというのは暴力団と接近したりしているので、暴力団=スパイだと思えばより身近に感じると思う。
FaceBookを最近始めたのだが、本当にスパイが中に居ないのかというと確率から言ってかなり可能性が高い。というよりも、スパイを警戒するのであったらそこが最初ではないかと思われるほどである。私も大多数と同じくやめたほうが良いかもしれないが、後、十年ぐらいほとんど何も書かずに放置してみようと思う。
私が統合失調症流にスパイを空想してみると、スパイというのは重要な地位を占めて有利に活動を進められるようにすることはもちろん、連携をとって広く情報を集めたり、場の空気を作るために様々な箇所にまんべんなく配置されているはずだと思う。幼いころに親戚の人がタバコをいろんなところに手元から瞬間的に隠すという手品を見せてくれることがあったが、タバコは事前に様々なところに置いてあったのであって、それと同じ事をスパイもしてくるのだ。自分の近くにいる人がスパイであるかもしれないという妄想の症状と思われる警戒心もあながち間違いではないと思う。日本のスパイというのは暴力団と接近したりしているので、暴力団=スパイだと思えばより身近に感じると思う。
FaceBookを最近始めたのだが、本当にスパイが中に居ないのかというと確率から言ってかなり可能性が高い。というよりも、スパイを警戒するのであったらそこが最初ではないかと思われるほどである。私も大多数と同じくやめたほうが良いかもしれないが、後、十年ぐらいほとんど何も書かずに放置してみようと思う。
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