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性的な事象に対する混乱

2014-02-24 09:25:33 | 日記
 昔からそうなのだが性に関する情報は混乱している。とにかく、性行為というのは繁殖に必要なもので目の前にいるすべての人間はその結果生まれたものだと現状では断言でき、生命活動において最も根本的に必要で重要なことであることは間違いない。その性行為が特定条件の下でないと禁止であったり、その行為を嫌悪するような宗教的観念は非常に古くから存在していて今も宗教由来であることを忘れてもその部分は根強かったりするわけだが、一方で人間は本来的にその行為をしたがっていて情報がないところでやり方がわかるわけでない事は昔から間違いないことであったはずである。
 どうして、こんなに絡まっているのだろうかと考えてみると、性的な行為や概念が重要であったのでそれを保護しようとしたことが原因であると推測している。またその方法として性行為が成立しない条件の印象を性行為自体に付けてしまったのが問題をややこしくしていると考えている。子孫を保存する行為ははあらゆる面で重要なことであるわけでなんとか人に奪われないようにしたり、利益を低下させないように必死に防護体制を敷いて頻繁に行わせないようにしていたのである。性病や感染症が増えてからはよりそれは強まった。ただ、それは婚姻や交際をする相手となりうる人物がほぼ間違いなく同じ社会的観念を性的な部分についても共有している前提条件があったので、ある程度同意がなされて機能していたわけであって、今ではほとんどの人は仕事などで隣や過去の人と同じことなどしていないので機能はほとんどしていない。避けたり忘れてしまっていたりして、そのほうが多くなったときバレンタインデー程度でも機能していると違いが強調されて余計に関係ができない元になりかねない。ここ二十年ぐらいで起こったことだが、ほとんどの人は異なった考えや習慣を持つ話し合う機会がない敵になりうる存在にいつの間にかなってしまっているように私には見える。しかし、古代ギリシャで既に人間が多くなって多様化しており、日本でも奈良時代ぐらいには結構変化があったり乱れたりしていたことが分かっている。それでも、人間が繁殖していたのはとにかく人間が必要に思われていたためである。結構最近まで人に直接に依頼したり、交換したりで個人的に会うことが必要な状況がとにかく多く、その時に人間の必要を感じていたように記憶している。ただ、その状態も戦後になってから既に低下傾向であり、自分が生まれた1986年ぐらいには大分、仕事をするのが人間である必要を感じなくなっていたようだ。
 人間が増える事であまり利益が得られないし評価が上昇しない状況において性行為というのは、その過程にある危険や障壁を乗り越えるだけの魅力を持っているのかは私にはわからない。私はとにかく友人などの関係を築くきっかけを作ろうとして一つもできなかった様子を友達になったと勘違いしていると人から言われたぐらいしか本音として感じていることを言われた経験がない。社会的に広く認められていない不正な性的サービスであってもその人間に対する期待で成り立っていたので、日常生活で期待が低下すると人が来なくなってトラップどころか経営者の負債になる。人間がそこまで関係を必要とする産業というのは現在の日本では性風俗も含めて絶滅寸前で間違いない。ただ、情報や人間の移動が少ないブータンとか小笠原とか八丈島あたりでは人間関係に対する期待度が未だに高く社会の研究として何が期待度を引き上げているのか予想とあっているか気になっている。八丈島には関東の古代方言が残っていたらしく家で飼っていた『コロ』という名前のイヌの語源に近い『児ろ』という子どもを意味する言葉もあったらしい。いずれ行ってみたいと思っている。

こ-ろ 【子ろ・児ろ】
名詞

女性や子供を親しんで呼ぶ語。

出典万葉集 三三五一

「筑波嶺(つくはね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しきころが布(にの)干さるかも」

[訳] ⇒つくはねに…。◆「ろ」は接尾語。「子ら」の上代の東国方言。

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