今朝、『所さんの目がテン!』という番組を観ていたのだが、今朝は怖い話がどのようにして怖いのかという話であった。今の人はあの怖い話と同じ雰囲気に住んでいることは多くないので感じが伝わりにくいのではないだろうかと思うのだが、確かに今でも怖がる人は多いようで、集団で怖がるとその効果が大きくなるということを説明したりしていた。
私は幼稚園生の頃、便所に行くのが怖かったのだが、今そのような子供は少ないであろうと思う。私が幼稚園生の頃まで住んでいた木造の古い家は汲み取り式であってその便所の底は地獄を連想させるように無限に深いように見えた。便所の扉はこげ茶色の木製で内側から木の鍵がかけられるようになっており、便所の明かりは裸電球で夜になると確かにあたりをぼんやりと見回すことはできるのだが薄暗く、何か得体のしれないものが出てきそうな雰囲気があった。実際にネズミやムカデ、カマドウマ、ゴキブリなどがその辺を徘徊していた事があって突然現れるとかなり怖かったことを覚えている。
その便所に行く途中の日の当たる廊下にかんぴょうや干し柿などを干してかけておく所があり、そこにかんぴょうと一緒に鬼のお面がかけられていた事もその怖さをより引き立てていたように思う。その鬼の面はふくべ細工であり、おそらくは地元特産の『百目鬼面』というものであっただろうと思われる。薄暗いときに見るそれは普通の鬼というより、より恐ろしい形相をしていていたような気がする。
かなり郷愁を漂わせる情景で前時代的な問題を引きずっている感じそのままだが、それなりに自分は居心地よく感じていた記憶がある。あまりそれを変えないほうがかえって良かったかもしれないと最近になって思うのだが、変えるのだったら現在の木造とコンクリートのオリジナルな部分がある住宅より規格化された住宅のほうが研究が応用されている分だけ住みやすかったし、人の印象も後々よくなったのではないかと考えている。
私は実際に犬に追いかけられたり、洞窟から子犬をさらって来たり、新興宗教と意識していなかった大本教に祖母がお札をもらったりする感じでかかわっていて家族も意識せずに車にぶら下げていたり、モンスターハンターに出てきそうな体長が80cm近くある大型の闘鶏が突進して来たり、衝突事故を起こして逃げた車を追いかけて通報するとか、目の前で人が事故で死んでいるのを発見したりとか、駐車場でお祭りの的屋さんの氷を積んだ自動車に車庫入れでかすり傷を負わせてしまうとか、野生化したケシを見つけるとか、本物の暴力団員が来てしまうとか、前代未聞の巨大地震を実際に体験したり、ストーカーと目される行動をとれる可能性が報道の内容や法律から高いと考えてそのまま行動してみたりするとか、正しい診察が実際の患者が望んでいる事や回復させる治療よりも医者と周囲の実益によっている精神科というところで病名が付き、問題が生じたときに精神病院に送られたするようなありとあらゆるその手の話に関連する経験をほぼすべて網羅している怖い話の原住民に近い者なのであえて言わせたもらえば怖い話を聞くたびに怖さというより、『違う』という言葉を言いたくなる。本当は違っている。もっと違う感じだと言いたくなるのだ。
過去が過去であるので真剣に聞く人はもう現れないかもしれないが、本当にそれらの事象は起こった時に実際は感じが違っているという私の体験に基づく報告を少し重く受け止めてほしいと最近感じる。雰囲気や感じ方が変わってしまえば、同じことでもまったくとがったことをしていることになってしまうのだから・・・
まったく関係ないがアルトネリコ2をどこからか手に入れて少し試してみた。エリーのアトリエとシステム的にはあまり変わらないものであった。音楽はよいのだがプレイする時間がいろいろもったいないので音だけ聞いて居ようかと思っている。
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