その内容が現実を示しているわけではないからと言って、それらが現実を離れて存在しているわけではない。 事実として書かれたり、発言されたり、頭の中に浮かぶのであり、発信した場合に実際に人に何らかの効果を与えるので人が感じ取ってそのようなことが可能になるのである。
もし、フィクションを読んだり書いたりする時に現実での体験がなければ、想像したり、没頭することがかなうだろうか。私はそうは思わない。フィクションであっても言語を使って感覚を伝える以上、それらは必須である。それが出来るならば、その人はその作品とかなり接近した経験世界に生きているのだと私は考える。
私は聖域を設けない。あらゆるものに宇宙の真理は内包され、それ自身は事実を構成するのだと確信する。危険なもの、人の決まりを乱すもの、ふざけたもの、簡単なこと、不完全なもの、極端に難しいもの、嘘や詐欺、そのような扱うのをためらわれる存在も間違いなくその構成要素であって、考慮するときに除外すべきではないと私は思う。