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友達が居ないのは誰が原因か

2016-07-12 20:48:23 | 日記
 日本では、自由の使用法として友人を作ることが可能である。すべての人と友人となることは不可能であるわけで、そこには選択がともなう。その選択も自由の権利の一部である。
 友人というのは、一人では不可能であり、必ず自他相互の同意を必要とする。自らがいくら望んで努力しようとも、他者が同意して意欲を持たなければ何ら効果はなく、何もなくとも他者の同意さえあればたやすいことだ。友人とは私の感覚では自由意志の幻想から体感的にもっとも遠い存在である。
 さまざまな規則や仕組みが、どのように状況が変わっても努力して暮らしをしていれば友人がほぼ確実にできるという誤った前提条件をもとにして構成されていて、現在は友人がいなければ進学も就職も老後の葬式も正直者ではさせてもらうことは難しい。
 そのような、不都合を被ったとき、他人は責任を負うのであろうか。選択の権利だけ行使して、他者が選択されずに苦境にあることを邪魔なものとして見ていてよいのであろうか。経験や思考、行動、環境が不足していて、何かの補助や妥協が必要な人は自分のリソースを減らさないように近づかないようにすべきなのか。もし、友人の候補者に避けるのにもっともな理由というのが見つかったり、生じた場合に改善を促すべきか、それを行っただけで明らかに自らと心境的にかけ離れた存在であるとして足を遠ざけるのか、それを利用するのか、その対処法をしたときにその対処法を自分に対して行う人間と自分は交際したいのか、どうやって、別れる理由を作らないか。問題がいくらでもあるが、常に中心は自分ではなく他者の側にある。つまり、行為者は常に他人であるわけで、自分に友人がいないのは、何をしようともほぼ間違いなく他人が原因なのである。
 自己中心的であるというのは、大体は決定権を常に自分が握っていると考えることやそうなろうという意思を有する人の様子である。そうであったならば、友人ができない原因を自らに求めることも容易かろうと思われる。自己中心的な人物はかなり理解しやすい人で本当に友人もできそうだと私は感じる。

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