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安部公房の記事を見た

2013-07-25 23:19:04 | 日記
安部公房
あべこべ
それからそれから
うーん
名前が出てこない
沢山の作家の名前をそんな風に茶化していたのは筒井康隆だった。
筒井さんの小説に笑い転げていたのは星新一の後で、安部公房に夢中だった頃と重なる。
安部公房の作品はことごとく敬遠されたけど、筒井さんのは、みんなに受けていた。
最初に読んだのは、「俺の血は他人の血」むちゃくちゃ、キーワードはエクストロメントー!だったかな?ちょい違うかな?

子どもに、最初にSF小説を与えたのは、星新一のボッコちゃんだった。
残念ながら、受けなかったなあ。時代が違う。

今夜こんなことを書いているのは、新聞に安部公房の記事があったから。
晩年に交際?していた山口果林が、安部公房について本を書いたというからだ。
初めて山口果林を見たのは、「繭子ひとり」という、NHKの朝の連ドラ。画面では個性派の顔で、美人とは思わなかったけど、安部公房スタジオで出会った時に、その美しさに圧倒された。
安部公房が、一番波に乗っていた頃かしら。
ノーベル賞貰ってしかるべき作家なのに(サインの値打ちがちがってくる~!)、あまりに早い死。
ガンだったとは、知らなかった。本人が隠すことをのぞんでいたからだ。
山口が、そのあたりを書いているというから、買わなくては。

果林の名前は安部公房がつけた。
安部真知さんの存在も強烈だったから、山口は秘蔵っ子中の秘蔵っ子だったと思いたかったが、謎か。
今や山口も白髪姿だった。当然だ。高校生の私が、還暦目指しているのだから。
が、品格は変わらない。流石。
最後に安部公房を見たのは、箱根の別荘でのインタビュー番組だった。
既に身体は辛かったのか?

文学では、安部公房、
音楽ではフォークソングに夢中だった。
半分義務でバッハやツェルニー、ショパンを弾きながら、フォークソングに夢中だった。
今日たまたまYouTubeで、友川かずきの今の歌を聴いた。ぶっ飛んだ。またタイムスリップだ。

加川良とかみんな歌ってるのかなあ、しらべてみるべし。
佐渡山豊や生田敬太郎の近況はみた。
当時の自分が怒涛のように生々しく還ってくる。

安部公房から友川かずきまで飛んでしまったけど、私には一緒。

だからこのブログはエンディングノートよ。

今は、ゴスペルやギターに夢中だ。
パコ様は神様だけど、フラメンコではカニサレスがブイブイ大活躍だ。
ツーショット写真やサインがお宝になってきたよ。

私が最初にサインを貰った有名人は
山本コータロー
田舎の西友オープンに、ウェークエンドの3人がやってきた。
中学の制服姿で炎天下並んだ。「岬めぐり」の大ヒットの頃だ。

どこまで今夜は脱線するのか?安部公房から友川かずき、山本コータローだ。

眠いのだな、おやすみなさい。



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白馬計画

2013-07-25 00:12:32 | 日記
40年前からの計画である、我が家の白馬計画。諸事情により、未だ実現しない。
何とかやっと叩き台ができつつある。
資金面はおいておいてだけど。(勿論一番の問題ではある。〉
スイスで、可愛いお家を見て来た。
どの家も窓辺には赤いゼラニウム、これは国民の義務?レベルとのこと。
私も今から育て方を勉強しよう。今迄は適当だったけど、寒冷地での冬の間どうしているのかを。
氷河特急の車窓から見えたこの家が、すこし思い描いている私の白馬の小屋に似ていた。
赤い窓が可愛い。バルコニーをつけて、揺り椅子を置きたい。







この壺は何かなあ?



青、緑など、可愛い色の窓があったけど、どうしても赤に惹かれる。



白馬はザルツブルクやスイスの気候に似ていると私の希望的予想、願望。
ルピナスを咲かせたい。



でも、古いネズミ返しの家を頑強に作って遊び心を満たすのもいいなあ。



余談

ツェルマットの旧市街で写真撮っていたら、かっこいいお姉さんが降り始めた雨に傘を開きつつ煙草に火をつけながら歩いてきた。
完全に私のカメラを意識していて、すれ違いざまにガン見してきたけど、ニヤリと笑顔を見せてくれた。
かっこいいお姉さんの余裕!笑いながらフット煙をかけられた。









ラナンキュラス、可愛いな。



名前知らないけど、何気なく春に庭に咲くといいなあ。



あぁ、一体いつ実現するよかしら。

まあ、私の究極の夢、白馬での生活という幸せな時間は、命の一瞬に終わっても良いけどね。
諸事情で焦らされて沢山夢をみた。それだけでも幸せだ。


















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もう思い出のスイスエピソード

2013-07-22 23:41:39 | 日記
10日間の現実逃避から、ようやく本来の日常に戻った。

ハロ!ボンジュール、ボンソワ!グラッチェ!センキユー、キユーズミー!ダンケ!モルゲン!

多言語国のスイスでは、もう、わけわからんかった。
相手の言葉にだんだんと合わせている自分。
たかだか挨拶程度だけどね。
挨拶と、トイレはとこですか?いくらですか?これを幾つ欲しいです。水を下さい。
こんなもので事足りたのはツアーだからだ。
でも、初めての海外旅行のときに比べたら、自由時間でのお買い物や、カフェなどでの注文は、会話で通じるようになってきた。以前はボディランゲージに頼っていたものね。

スイス人は九九を知らない。だから計算に時間がかかる。支払いにお釣りを紙幣1枚とかですむように小銭を足したりしたら、物凄く困惑顔される。
それから、やたらのんびりしている。
トップオブヨーロッパから日本にハガキを出そうとして、切手を買おうとしていたら、なかなか順番が回ってこない。列車の発車時間が迫っていたので、思わず叫んだ。
プリーズ!ハリーアップ!ギブミースタンプ!我ながらでっかい声でびっくりした。言う時は言う。
奥からのんびり別の店員が出てきた。

6時閉店の店は、5時半に入店した客は無視する。ウソみたい。

あと、トイレ問題。ウォシュレットにはついぞ出会わなかった。
TOTOさん、市場開発してくれないかなあ。

食事は質素だったから、体重かわらず帰れたのはよかったけど、日本食がやっぱりおいしいわ。帰ってから増えた(^^;;


そして、一つの疑問。スイスには原発が無い。
電気はフランスから買っているのだと。う~む。

日本はようやくねじれ国会が解消された。
政治家さん、本来の仕事をして下さい。

地球歩きはまだまだしたいけど、
問題山積みの日本だけど、やっぱり日本いいなあ。

誇りを持って生きたいものだ。

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そうめん注意報?

2013-07-21 21:44:45 | 日記

と言えば、
そうめん
素麺

毎夏、家族の集まる日の昼は素麺だ。よく食べる。

それでも、いただき物の素麺が、毎年ストックされていく。

棚の奥の何年物かしら?と思う、
島原の素麺
というのを、昨日食べた。真っ白くないのがよい。
私は素麺の茹で方は上手い\(^o^)/って、誰でもか(^^;;
いやいや、素麺好きは、本当に、茹でるのが、上手いという。

とにかく、美味しかった。
ハム、錦糸卵、キュウリなども用意するが、私は、刻み葱と、おろし生姜、焼き海苔、だけで食べるのが、好き。梅干しや柚子酢などがあれば、最後に入れる。

さて、私は、かなり、適当で、詰めの甘い性格だ。
食後の片付けに、それははっきりあらわれる。
物凄い勢いで頑張ってガシガシ洗うが、最後に集中力が切れる。
鍋一つとか、フライパン一つをどうしても洗い残してしまうことがしばしばある。

案の定、昨日も、素麺を茹でた大鍋を洗い残してしまった。
今朝、仕方ないから、いの一番にやっつけようと洗い出したが、一晩で、鍋の縁に付いていた素麺一本が、カチカチに乾いていた。
待てば良いものを、慌てていた私は左手の親指の爪でコシコシとこすった。
右手の爪はいけません。ギター弾きですから。
次の瞬間、ぐさっと親指の爪と肉の間に、その乾いた素麺が、突き刺さった。
痛いのなんのって、これはひと昔前の拷問ではないか!
突き刺さった後、爪の裏でふやけた素麺は抜き取れない。
いずれは身体が押し出してくれるからそれは心配しないが、とにかく、内出血して痛い。
ジンジンと、どの態勢でも痛いのだ。
少しでも楽になるかなと、厚めのキズテープを三重にきつめに巻いた。
ある角度においてのみ効果があるように感じた。
それから2時間ほどして、よく見るとキズテープに、血が滲んでいた。
やれやれと、キズテープを剥がしたら、どぴゅっと!血が噴き出した。
慌ててティッシュで包み、そろっと見てみると、出血は鎮まり、指先に白い物が顔を出していた。
圧迫しながらソロソロととげ抜きで引っ張ると、何mmか取れた。
まだ残りがあるのかどうかわからないけれど、痛みがほぼ無くなった。

神様、もう、鍋を洗い残すようななまくらは致しません。
なんて、反省はしない。
応急処置が正しかった!とほくそ笑む私であった。

アーメン ソーメン ヒヤソーメン
なんて、昔よく言っていたなあ。

今、親指には内出血の跡が一本の筋になって残っている。
茹でた後、鍋にこびりついた乾いた素麺には、ご注意を。刺さると痛いよ~(^^;;



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書き終えて

2013-07-20 00:39:31 | 日記
地球歩きスイス編♪
筆舌に尽くし難いと弁解して、写真を貼り付けるので精一杯だつた。
でも、繰り返し写真を見ていれば忘れないというじゃない。
ハワイ島キラウエアでも地球歩きした!と実感した。
今回も地球を見た!と感じた。
大地を歩く、
大地をふみしめる、
自然の移り変わりを感じる、
太陽の光をあびる、
風に巻かれる、
雨に打たれ雪、霰が頬を冷やす、
鳥の声で目覚める、
最小限の灯り、分け合う、
先人の冒険心を学ぶ、挑む勇気に畏怖の念、
美しい姿
荒々しい姿

色んなことに
逢う、遭う


また、日本を脱出したいと思う。
そして、日本も歩きたい。
少しでも若いうちに海外へ、とか、足腰弱ったら国内で、なんて、そんなこと言っていたらいけなくなる。
行きたい所は今行こう。リュック背負ってどこまでも。

今は86歳になる父が、若い頃、忙しい中、幼い私を3000m級の山を歩かせてくれた。
その記憶は、私の中に染み付いていたのだ。
高齢の父をそそのかして、ヨーロッパのてっぺんを見てきた。
父とは、家を出てからあまり話すことはなかった。
母が亡くなって、急に話すようになった。
不思議なくらいに、反抗期のことも、心配かけた様々も吹っ飛んで、
時々疲れると、遠慮なく八つ当たりしながら。

子育て中は、何処にも行けなかった。夫は企業戦士で仕事に夢中だったから仕方ない。
今、私が父と何処に飛んで行こうと束縛しないでいてくれる。
留守中のゴミは出してくれていた。
私の帰国と入れ替わりにインドに飛んでった。私のスーツケースで。
旅の話は、一緒に行かないと共感できない。だから、互いに報告はしない。そっとお土産だけを置いておく。
今回のツアーでは、熟年ご夫婦も多かった。お友達同士、親子、色んな人達とふれあった。
地球歩き続けていたら、また会えるかもしれない。

やっぱり私には、筆舌に尽くし難いけど、旅はいい。地球歩き最高!






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