遥か遠くのような
ずっと太古のような
一瞬の夢、永遠の忘却
おわりがはじめ

出穂。しゅっすいという。
その通り、稲穂が茎から伸びて姿を現すことであるが、
専門的には、4~5割の穂が出できた状態さす。
今はまさにその時期で、今年は1週間ほど遅れている。
春先の低温、梅雨後期の日照不足が原因だろうか。
穂が出る前の稲の状態を、「穂ばらみ」期といい、
稲が大事に穂を包み育んでいる感じのする好きな言葉だ。
稲は、最後の「止め葉」を出して、シャキッとしている。
朝陽の頃、田は例えようのない鮮やかな緑色の光を発し、
里の風景を特別のものにしている。
そんな風景の細部に近寄ってみた。
ガラス質を思わせる稲の葉に、ガラス玉の様な朝露が散りばめられている。
穂が出揃えば、風景は一変する。
田の風景は、季節のステージの要所要所で、特別の表情を見せることがある。
もったいないが、多くの人々にとってそれは知られていないのだろう。
(荒代かき:5/12)
水の入った田んぼを、「田んぼにする。」のが、代かきだ。
泥と水を攪拌することで、「水持ち」を良くし、均平にする。
巨大な左官しごと。
もちろんトラクターのロータリー作業なので、機械仕事だが、
田んぼの表情を一変させ、稲作の舞台づくりの締めくくりなので
なにか、高揚感があり、身が引き締まる。
「荒代(あらじろ)」と仕上げの「植代(うえじろ)」の2回やる。
内燃機関の動力が、ロータリーを思う存分回転させる。
機械の内部では、鋼鉄の歯車が、高品質のリペット締めのチェーンが
潤滑油をまとって、フルモード。
水も泥も有機ブツも、アメンボみみずにおけらけごと、
おまけに写った太陽も、
かき混ぜ、練りこみ、引き均す。
機械仕事だから、肉体疲労が無い分、あれこれ考え事を
田んぼの真ん中でしている。
慌てるアマガエルや、泥にまみれるイモリ(ごめんよ。)
水面をはしる、ハシリグモにアメンボたち。
背中に卵を負ったコオイムシ。タイコウチは今年お初。
と、生き物を高見から見物。
泥が泡を立て、機械が波立てると、
ふと、
飛行機からの眼下世界のようだ。メコンデルタに浮かぶ雲。
単調な機械振動に、スケール感がなくなりそう。
仕事が進むと、なめらかな水面が広がってくる。
空が写り始める。
平面。
頭の中の魅惑的な概念世界。
平面に取り付かれる。
ムシどころじゃあない。
ホントは平面じゃない。
正直な水面が見せる。地球の表面。
機械をタイミングを合わせながら、田からあげるとき、
なにか、遠くから帰ったような気がする。
(一瞬、原始風景に見えた。
スジブトハシリグモよ。観測は順調か?)
春の光が溢れる。
冬を越したコマツナが、葉を持ち上げる。
光速が透過する。
物質を交換する。
エネルギーを得る。
立ち止まると、生命の不思議。
美しい不思議。
おいしい不思議。
取り残した小松菜のビニールトンネルを片付けにいく。
2月以降、雪や雨が多く、ぬかるみ状態の畑も、踏み歩けるほどになっていた。
収穫し残し、トンネルが掛かったままの小松菜。
なんとなく、気配が、、、ビニールをめくると、
あたたかな空気と花のような、草のような、におい。
立派な小松菜とびっしりの草。
やっかいな雑草も、春待ち遠しいこの時期は、
その瑞々しさがうれしい。
(ハコベにもまなざしを)
(あたたかなトンネルでほうけたホトケノザ)
小松菜はトウが立ってきている。
もうすぐ、つぼみをつけ、菜の花が食べられる。
待ち遠しい、味である。