なかなか明けぬ冬至の朝でした。
うっすら雪化粧。冷える。
数日前のつかの間の暖かな陽射し。
とり残したルッコラの彩りが、微笑ましい。
20日朝のこと。
十分に潤した雨が、再びそらに。
風景は私もろとも。
先日、農と自然の研究所から最後の所報が届いた。
同封されていた冊子、「農民芸術概論」宮澤賢治(解説 宇根豊氏)。
造本・装丁が小林俊也氏。
その扉に、本文から抜粋した賢治のこんな一行。
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
(11/21撮)
世界は境界ばかり
こちらとあちら いったりきたり
それにしても、田んぼは、土だけで精巧な装置
古田から見ていると、抗わず水を導き湛える力量を感じる。
あっというまに2週間近く前になりますが、美ヶ原に車で行ってきました。
私は学生時代、ゼミの植生調査に参加したりで、結構行きましたが、
家族で行くのはとてもひさしぶりでした。下の息子は初めてかな。
その息子。王ヶ塔からの壮大な眺めを眼下にして、
「わっ!!でっケー どて!!」
と発したそうです。
四賀の田んぼに囲まれた風景で育ったのはいいのですが、
そろそろ、山登りにでも連れて行かねばと思った次第です。
ちなみに、四賀の土手風景はこんな感じです。(7/26撮)

先週ですが、合鴨の食肉処理に南信濃まで行ってきました。
例年、そちらの地鶏などの養鶏をされている生産者組合の施設に
お世話になっています。
高速を使っても3時間掛かります。ここも信州です。
おかげさまで、無事に作業は終わりました。

帰りに車をとめて、緻密な手間による農山村風景を記念撮影。
ジオラマのようでスケール感を失いそう。安堵感みたいな既視感のような。
貴地で有名な霜月祭りの存続に関して話を聞いたが、
いわゆる「限界集落」としての明るくない見通しを聞いた。
光溢れる小春の眺めに、人の生きる場所、生き方を思った。
今この国は、目先の数値目標などにとらわれるのでなく、
何を見つめなおすことが大切なのだろうか?


風の強い日、ハザ木をしまった。
野ざらし以上、建築以前。
古トタンを馬乗りになって押さえ込む。
空の下で滑稽。
誰でも世界の中心に居る。
また、そこは誰かの辺境。