信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

You don't waste no time at all!

2019年04月27日 | 雑記


「ボヘミアン・ラプソディ」のブルーレイを買ってしまいました。
映画館へ2回見に行きましたが、また見たくなりました。
コレでディスクが壊れるまで観ることが出来ます。

10連休に突入したものの、小さい予定がちょこちょこ入っているため、遠出して釣り…は出来ないので、TSUTAYAでボヘミアン・ラプソディをレンタルしようと思い出掛けたのですが…

またどうせ見たくなり、ちょこちょこレンタルしてレンタル代を払うのだったら買っても変わらないような気がしたので、買っちゃいました。









ポストカードも特典になっていて嬉しいですね。

そして何より、ライブ・エイドの完全版が収録されているのも良いです。

ヘッドホンをして爆音で聴いて一人盛り上がっておりますが、5.1chサラウンドシステムが欲しいです。
アパートじゃご近所トラブルになってダメか…

フレディーがエイズであることを仲間に打ち明けたシーンは、ストーリーが分かっている今でも目頭が熱くなります。

当時は打つ手がなく死を待つのみだったエイズにかかったフレディーを、仲間が称えて共に涙する友情の美しさを感じましたし、その後のライブ・エイドのシーンで最も盛り上がった「Hammer to fall」の歌詞の一部「You dont waste no time at all」が残り時間が短いフレディーから、今を生きる人々に対する強いメッセージに感じてなりませんでした。

個人的に「Hammer to fall」がQueenの楽曲の中で一番好きな曲ということもありますが。

ゲームや娯楽が全て悪いとは言いませんが、広い宇宙で奇跡的に誕生した生命体のうち、さらに奇跡的に最も知能が発達した人間として生まれて来たのだったら、やはり知的活動に限りある時間を使いたいと思いますし、そもそも生半可に生きたくないですね。


今は発症を抑えられたり、間もなくエイズウイルスを消滅させることが出来る薬も開発されると言われておりますが、あと2,30年早く医学が進歩しており、フレディーが生きていたら、もっと多くの作品が出来ていたのだろうと思うと残念でなりません。
が、むしろタイムリミットがあるからこそ、最後の力を振り絞ってここまでの伝説になれたのかもしれないですし、兎にも角にも一人の人間の生き様が、こうして映画になるなんて凄いことですよね。

松本城の夜桜

2019年04月19日 | 信州の暮らし






長野県も至る所で桜が満開になりましたね。
毎年松本城の夜桜を見物しますが、見事な桜花です。

この角度から見る松本城と、天守横の桜が好きです。
風が無かったので、お濠が鏡のようになり、綺麗に反転した松本城が映し出される…はずだったのですが、堀の鯉にパンを投げ入れる迷惑なオヤジがいたため、鯉が水面を蹴り、波立ってしまい綺麗に撮れませんでした。

とはいえ、今年の桜は天気が崩れる心配もさほど無いようで、昨年より長期間楽しめそうですね。
昨年は満開になって間もなく暴風雨が降り、残念な花見だった記憶があります。














外濠の桜も見事でした。

時間の関係で本丸庭園には入れませんでしたが、夜の松本城と桜はいつ見ても素晴らしい…と今年も思えた夜桜見物でした。

それにしても…毎年思うことですが、本当に21時で夜桜のライトアップを終了するのは、実に勿体ないですね。
せっかく外国人も大勢見物に来ているのに。

せめて22時…この時期の1週間程しかないのだから、23時までライトアップすればいいのに。


弘法山にも行ってみたのですが、北側の麓にある駐車スペースが今年は封鎖されていたため、山上に車が密集して停められず断念しました。


そして、半年くらい前に行ったきりだったでしょうか?
久しぶりのラーメン屋「寸八」。




今までは豚骨醤油の大を注文していたのですが、最近は塩尻の五十六家どころか、丸源ラーメンですら背脂にやられて、早ければ食後数分でお腹を壊すようになったため、胃に優しい本節そばの大…

かつては二郎系ラーメンの麺とび六方も好んで通っておりましたが…
もう昔ながらの支那そば系のラーメンに留めた方が良さそうですね。
もうそろそろ、歳を考えた方が良さそうです。(30歳)

毎回健康診断に引っかかり、身長176cmに対し、体重が93kg程で、産業医からは痩せろと。
体組成計で見た体脂肪率は18%で標準なのですが、BMIで見ると「治療を要する肥満」とのこと。
血液検査や尿検査は全く異常が無いのですが、期待出来ない年金生活でかつ、人生100年時代…
糖尿病になり、毎日インシュリンを打ったり、動脈硬化でステントを入れる手術…なんてやりたくないですからね。

話が逸れましたが、最近はさっぱりしたラーメンの方が好きになりましたし、何より飴色に澄んで麺が見えるスープ…
背脂なのかグリスなのか分からない油脂が乗ったラーメンより食の安全性が高いというか、健康に良さそうな色をしてますよね。

それでもたまに食べたくなる家系ラーメン…中毒性がありますね。

深山の雪。そして桜咲く。

2019年04月15日 | 信州の暮らし







ついにレザンホール前の桜が開花しました。
まだ一分咲きといったところでしょうか?

そして塩尻市議会議員選挙が告示されましたね。
来週の21日(日)が投開票日です。
投票日に用事がある場合は、塩尻総合文化センター、及び広丘、吉田、楢川各支所が期日前投票所になっているので、必ず投票へ行きましょう。
選挙・投票は、自身の政治的主張、意思表示の最も基本的な権利であり、かつ社会を担う主権者たる国民本来の義務です。

今の社会に諸手を挙げて賛同し、将来的にも何も批判の余地がないと思うのだったら選挙へ行かなくて構わないかもしれませんが、そんな社会があるわけないですよね。
ごく僅かでも何か思う事があるのだったら、必ず選挙へ行きましょう。

高齢者は、自分の思い通りに体が動かなくなっても、まさに老体に鞭を打って投票へ行きます。
手が病気や衰えで動かなくなっても、投票所へ行き、代理投票をします。
代理投票の制度はご存知でしょうか?
端折ると、一度投票所から他の有権者を退出させた状態で、係員が代理投票をする有権者から投票したい候補者の氏名を聞き出して代筆し、投票する制度ですが、秘密選挙の原則を担保するためにこのような方法が執られます。
そこまでしても、高齢者は投票へ行きます。

だから政治は「高齢者への福祉」を最優先するのです。
当たり前ですね。自分を支持してくれる個人や支持基盤の要望が真っ先に叶うよう活動する事が、政治家の第一の仕事です。

一方、若い人はどうでしょうか?
時間が無いとか、行っても意味が無いと適当な言い訳をして、投票する権利を端から放棄していませんか?

自分もとある候補者の支援をさせて頂いているので、奈良井宿の方面…旧木曽郡楢川村周辺までポスター貼りの手伝いをしておりました。

候補者の殆どにも言えることですが、支援者も若い人がごく僅かしかおらず、もっと若年者が松本山雅の応援のように政治参画して盛り上げてくれれば良いのですがね。











ポスター掲示のため、奈良井宿の宿場内を初めて車で通りました。

やはり奈良井宿は風情があって良いですね。
外国人観光客も和服を着たり檜笠を被って記念撮影していました。

奈良井宿も、もっと観光客が来てくれれば良いと思いますが、京都や白川郷のように外国人観光客が大量に流入して騒ぎ立て、本来の静寂さを失うようにはなって欲しくないと思います。

正直なところ、京都や白川郷の建物や景色は大好きなのですが、特に隣国の外国人が煩く、雰囲気が悪過ぎてもう行きたくない…と自分自身思っておりますし、近年日本人観光客自体が同じ理由で足を運ばなくなってしまっているようですね。







そして、塩尻市南端の羽渕(はぶち)のにもポスターの掲示場所があるのですが、所々雪が残っておりました。
羽渕は、よくイワナ釣りに行きますが、4月でここまで雪があるのも珍しいですね。




奈良井ダム脇のネコヤナギも、ようやく花穂が出たところなので、里とは半月~1ヶ月程、春の訪れが遅いようです。
ダムの水も、ノペーっと冷たそうな色をしています。



広丘辺りの開けた土地も、桔梗ヶ原や洗馬の広大なブドウ畑やレタス畑も、清涼な高ボッチの高原も、奈良井宿の旧宿場町も、羽渕の信濃川源流も、さらには中央アルプスの茶臼山も、みな塩尻市です。

自然環境、歴史、食べ物ともに文句なしの塩尻市のソフト面を担うのは市議会であり、市議会を決めるのは、我々塩尻市在住の有権者です。
より良い塩尻市にするため、必ず選挙へ行きましょう。


ところで自分の愛車、フォレスターは、センサーが故障したため、この土日で修理に出したのですが、代車がまさかの軽トラ!

とはいえ、普段仕事で軽トラは乗り慣れておりますし、MT四駆で高トルクかつ低重心と、スペック的にも最高のスポーツカーだと個人的に思っております。
ホイールベースも短いため、めちゃくちゃ小回りが利き、峠道は頭文字Dのユーロビートが流れるような走りを期待できまして。

以前のスバルのサンバーは、リアエンジンで良かったのですが…スーパーチャージャー搭載車は文句なしの農道、林道のポルシェでした。
今はダイハツのハイゼットのOEMになってしまったのが残念でなりません。

そのうちセカンドカーで軽トラが欲しいです…。

埼玉県の誇り。そして国士舘の恩人「渋沢栄一」

2019年04月10日 | 歴史



次期の一万円紙幣の肖像は渋沢栄一になったそうですね。

今まで一人も総理大臣を輩出したことが無い埼玉県ですが、渋沢栄一を輩出したことは、総理大臣を数十人輩出したことに匹敵する偉勲ではないかと思っております。

それ程に富国強兵や殖産興業を掲げて欧米諸国に追い付き追い越そうとした近代日本を築き上げるうえで、欠かすことが出来ない人物であったと思います。

また、自分の母校国士舘の創立や運営に御尽力下さった恩人でもあり、これらを含めて今回、紙幣の肖像に渋沢栄一が選ばれた事を、大変喜ばしく思います。


ちなみに、メジャーな歴史よりもあまり知られていない歴史が好きな自分のネタになってしまいますが…

渋沢栄一の仮養子、義弟だった渋沢平九郎という人物がおります。




なかなか凛とした顔立ちで眼光が鋭く、格好良いですね。

今の言葉で表現すれば「超イケメン」ですね。


薩長を中心とする新政府軍と、幕府軍との間で起きた戊辰戦争により、江戸城は無血開城しますが、それに反発した幕臣達が江戸城を抜け出し、上野山に立て篭ります。

この勢力は渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄弟)が率いて彰義隊となりますが、その中の強硬派に反発した一派が新政府軍との衝突直前に分裂して上野山から去ります。

この去った人達は振武軍を結成し、この中には当初彰義隊を率いていた渋沢成一郎や尾高新五郎(渋沢栄一の義兄)、渋沢平九郎(実は尾高新五郎の弟)がおりました。

上野山戦争で新政府軍に敗れた彰義隊の残党は振武軍と合流した後、一橋家の領地だった飯能へ向かい、天覧山の麓に鎮座する能仁寺へ本陣を張ります。

そして5月下旬に新政府軍との戦い「飯能戦争」が行われますが、新政府軍が持つ西洋の最新式の武器の前に彰義隊、振武軍が勝てるわけもなく、敗走します。

渋沢成一郎と尾高新五郎は現在の群馬県伊香保に逃げた後、再び江戸に戻って榎本武揚率いる艦隊と合流し、函館まで転戦します。

一方の渋沢平九郎は、私の故郷飯能市吾野と、お隣り越生町の間にある顔振峠(こうぶりとうげ)まで変装して逃げます。

顔振峠の名称の由来は、かつて源義経と弁慶が奥州平泉へ逃げる際、あまりの景色の美しさに何度も振り返って見たからとも、峠道でも軽快な義経の走りにバテた弁慶が顔を振りながらついて行ったからとも言い伝えがある古い峠道ですが、この峠のずっと先に渋沢平九郎の故郷、下手計村…現:深谷市があり、何とか生家まで逃げ延びようと思ったのでしょうか?

現在でも顔振峠には茶屋(平九郎茶屋)がありますが、茶屋で一服した後に黒山村に向けて峠を下ります。

この時不幸にも、敗残兵の掃討をしていた新政府軍の斥候数名に見つかり、平九郎は小刀で敵兵の腕を切り落とす等必死に応戦しますが、腿などを銃撃されてしまいました。

その後、何とか敵兵を蹴散らす事に成功しますが、歩くこともままならず、最早これまでと悟ったのか岩の上で自刃し、僅か22年の生涯を閉じます。

これぞ坂東武者の最期の生き様を体現したような美しい人物であると感じるところです。


首は越生の高札場に晒された後、報恩寺僧侶によって葬られ、胴は全洞院に村人達の手で手厚く葬られたうえ、首から下の健康の神様として後の代まで丁重に扱われていたそうです。

やはり渋沢栄一も、このお寺には足を運んだとか。

今もなお(と言っても、自分が高校生くらいの頃の話であって、今はどうなっているのか分かりませんが)越生町では渋沢平九郎縁の史跡がしっかり管理されており、感銘を受けました。

今ではマイナーな歴史上の人物の一人でありますが、明治時代から地元の人々は「名も知らぬ江戸の人」として崇めている所に明治の人間の気風を感じます。

何せ西南の役で明治政府と干戈を交えた西郷隆盛を讃える歌、陸軍分列行進曲「抜刀隊」を作り、帝国陸軍、陸上自衛隊の分列行進で使われているのですから、敵であっても心底憎むのではなく、良い所は称賛する精神が、まさに武士道ですね。


渋沢栄一本人の話とは相当脱線しましたが、少し関連する人物のストーリーを辿ってみました。