信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

新聞に掲載 於:市民タイムス

2018年11月08日 | 武道


昨日、松本平のローカル新聞ですが、市民タイムスの塩尻市版に掲載させて頂きました。市民タイムスの記者さん、ありがとうございました。
塩尻市内限定ではありますが、なかなか大きく記事を割いて頂いたので、会社やかつて働いていた所のお客さん等から新聞を見たとお言葉を頂きました。
本当に有難いです。

まあ、ちょっとネタが誇張されていて、凄い人のようになっていますが、ご覧頂ければ分かるように、至って普通の人物です。

とはいえ、人口が減少している武道界、居合道界なので、少しでも居合道の発展に貢献出来ればと思いますし、居合道に限らず日本の伝統、文化を広く日本のみならず世界へも発信したいと思う所存です。

そして…今回の新聞記事でも書かれませんでしたが、「ブドウの産地塩尻市なのだから、武道が盛んな塩尻市にもしたい!」ということも…一度小口市長に伝えに行くべきなのでしょうか?

新体育館を作るついでに「ぶどうの里武道館」も作ってちょ!ということも。

念のため、厳密に申しますと、記事では自分が道場を主宰している事になっていますが、公民館の団体登録のシステム上、本来は居合道愛好家のグループに私が教えに行っている…という体制ではあります。
とはいえ、その事を詳細に書いても意味が無いので、便宜上自分が主ということで掲載してあるかと思います。
以前の中日新聞さんに掲載させて頂いた時も同じ表現になっていましたが、そこはそう判断してもらえれば宜しいのではないかと。文字数も限られていますからね。
自分だったら司馬遼太郎の小説のように余談を入れ過ぎて、記事を纏められないでしょうが、記者さんは凄いですね。

まあ、実際のところ…自分より道場の代表兼主計掛の弟子の方が、自分より遥かに立場が強いですしね…。

国宝松本城居合道演武と外国人とのコミュニケーション…

2018年11月06日 | 武道





松本城お城祭りのイベントの一つとして、4日(土)に国宝松本城少年少女剣道なぎなた大会が開催されました。
そして、うちの道場からは、私と弟子一名が開会式の居合道演武に参加。

国宝松本城の本丸庭園で居合道演武が出来るのも、松本平で居合を行じている特権でありますし、何より明治以降に松本城を荒廃から救い、現在にまで遺して下さった先人の賜物であります。心より感謝申し上げます。







天候も、今まで参加したお城祭りの中では最も良かったと思います。

僅か数分の演武でありますが、非常に光栄でありますし、何よりお城祭り期間中ということもあってか、外国人観光客が非常に多く、興味を持ってくれることが何より嬉しいものです。

私事、国家、政府として見ると好きではない国が幾つかありますが、一人の人間として…特にわざわざ日本へ来て、日本の伝統、歴史、遺産へ触れようとしてくれる外国人は実に有難いです。

実のところ、恥ずかしながらつい最近まで坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの調子で、国が憎けりゃ国民も同じくと、生麦事件や大津事件の勢いで外国人を毛嫌いしておりましたが、意思疎通出来ると嬉しく思いますし、より何か伝えたいと思ったり、逆に何かを聞いてみたいと思った次第です。

今回のお城祭りでも、目を皿のようにして見学していた外国人観光客に自分の刀を持たせてあげたら、非常に感激してくれましたし、刀を持った所を記念撮影して、凄く喜んでくれました。
普通の日本人でも刀を持つ経験は殆ど無いでしょうから、観光で訪れた外国人だったら尚更だったと思います。

真剣…直訳して「true sword」と言ってみたらイマイチ通じず、「not imitation sword」と言ったら理解してくれました。こうして言葉が通じると嬉しいですよね。

古代に一つの言語を使っていた人間がバベルの塔を建てたため、それに神が立腹して言語をバラバラにし、人々を散らしたという旧約聖書の一節がありますが、言語というのは人々を対立させるものでもありますし、融和させるものでもあるのだと感じさせられました。

心理学で有名なスタンフォード監獄実験の話があるように、立場が自分を育ててくれたのだと思います。
監獄実験のように、立場というものは、悪転する事もあれば好転することもありますからね。

五段の免状を頂いてから、ぼんやりと自分の目指したい指導者像の一つが浮かんで来ましたが、全日本大会へ出場させて頂き、日本…現在は長野県の松本平に留まっておりますが、高段の先生方のように、外国でも居合道を広め…言い方を変えれば、居合道を通じて交流を深めたいと、全日本大会が終わってから思うようになった次第であります。
むしろ、自分には居合道という外国人の興味関心を強く引けるアドバンテージがあるのだから、世界に出ていかないと勿体ないと思ったところです。
今まで思いつきもしませんでしたが、凝り固まっていると碌な考えに至らないものですね。

剣道や柔道などと違い、マイナーな武道の全国大会でありますが、そこへ単に出たというだけでは意味の薄い経験だったでしょうが、「何かを感じて帰りたい」と思ったうちの一つがそれであり、とても大きな収穫だったと思います。

ということで、始めたら徹底的に探求する自分の性格上、全日本の後から仕事帰りに書店で英会話の教材を立ち読みしているのですが…英語なんて大学2年以来10年触れていないので、「はーわぁーゆー?」「あいむふぁいんせんきゅーえんどゅー?」の域からのスタートであります。
兎にも角にも、恥ずかしがらずに間違っていても話すことが大事らしいです。
何でもそうですよね。最初は切り下ろしが下手でも、とにかく正確かつ丁寧に鋭く打ち、先生や他の人からの話を受けて反省し…の繰り返しで上手くなっていくのですから。
ルー大柴のような人物を塩尻で見かけたら、自分かもしれません。

現在は吾野弁と飯能弁と松本弁のトリリンガルを自称していますが、いずれは英語…欲を言えば、ヨーロッパでも居合道は盛んなので、フランス語やドイツ語も話せるようになりたいです。

自ら流暢に外国語を駆使して居合道の指導が出来たら格好良いですからね。


水戸藩校弘道館と鹿島香取を訪ねる

2018年11月04日 | 武道




自分の学生時代、卒論のテーマは水戸学…特に後期水戸学を扱っていたので、水戸藩主徳川斉昭公が興した水戸藩校弘道館、藤田幽谷や藤田東湖、会沢正志斎などといった水戸学の大家について当時相当調べましたが…既にそれから8年近く経過しているので、だいぶ忘れておりました。
しかしながら、近代日本の礎を築いた水戸学が醸成された地を初めて訪ねることができ、非常に感動した次第です。





「尊皇攘夷論」というと、薩摩や長州によって興されたイメージが強いですが、実際に尊皇攘夷論を興し、大成させたのは他ならぬ水戸藩の功績であります。

水戸黄門、水戸光圀公によって興された大日本史の編纂…前期水戸学によって、当時儒学…殊に朱子学こそ至高の学問とされていた学問体系に一石を投じ、後期水戸学に繋がります。

後期水戸学では、日本の歴史的、精神的価値の復興を図り、尊皇攘夷論が大成。
水戸学の影響を受け、日本古来の精神規範「やまとこころ」を導き出した本居宣長の国学の力が、近代日本を形成する原動力になります。

こうして尊皇攘夷論の理論体系は水戸藩によって作られたものの、相当過激だった水戸天狗党の乱の失敗により、尊皇攘夷の実行は薩長に委ねられることに…それによって水戸は歴史のスポットライトがほぼ当たりませんでした。
明治維新により近代国家、大日本帝国が築かれても、天狗党の乱によって藩内のエリートの大半を失った水戸藩は、帝国政府の中枢に入ることも出来ませんでしたが、影で支えた水戸藩の功績は実に大きいものでありました。

非常にざっくばらんに書いてしまったのですが、そうした後期水戸学を大成させた水戸藩校弘道館に初めて足を踏み入れることができ、館内を見学している最中は、ずっと鳥肌が立ったままでした。





梅の木も物凄い本数が植えてあったので、また春に行きたいと思います。
梅の花の香りは良いですよね。






そして、全日本大会の翌週、下諏訪の和田峠にある水戸天狗党と松本藩諏訪藩連合軍による合戦…和田峠の戦いにおいて討死した水戸の志士が埋葬された地をお参りしました。
和田峠の戦いでは、水戸浪士の前に松本諏訪連合軍は敗退。
天狗党は再度京へ向かいますが、越前敦賀で投降し、殆どが斬首されてしまいます。
そうなることは承知であったはずですが、それでも上洛を決行した、水戸浪士の揺るぎ無き意志を称えたいと思います。

弘道館を後にして、茨城県を南下…武道の神様、鹿島神宮と千葉県の香取神宮を参詣しました。





鹿島神宮は4度目のお参りになりますが、香取神宮は初めての参詣です。
鹿島神宮に比べると、こじんまりとした印象がありましたが、やはり御神木の気迫は下総国一の宮であることを窺わせるものでありました。


普段遠征をした時には、その土地の物を頂く…という事で、海沿いだったら海無し県人の自分等は海産物を頂くのが通例でありますが、自分と帯同した道場の弟子、松本の先生共々すっかり昼食を摂るのを忘れてたおりました。
朝食はホテルのバイキングで満腹に食べたから…というのもありますがね。