私も先日の25日で長野県へ移住して7年が経ちました。
引っ越して来た当日、カインズホームでママチャリを買って、夜に奈良井宿まで行ったり、朝起きて窓から高ボッチが見え、玄関先から北アルプスの峰々を望んだ時の高揚感は未だに忘れられない思い出です。
トップの写真は、移住して初めての朝、起きて堪らず外へ出て、散歩している最中に撮ったものです。
目の前にこんなに高い山がある事が、凄く新鮮でした。
実家も東西南北歩いて3分で山ですが…
近くに空港があることも感激でしたね。
埼玉の空港といえば、航空自衛隊の入間基地くらいしか…
そして、その移住する日、信州へ向けて埼玉の実家を出発する時、母と父方の祖母、実家前の商店のおばちゃんが見送ってくれて、途中飯能郊外の母方の祖母の家に寄ってから信州へ向かいましたが、母は4年前に他界、父方の祖母は大腿骨を折り、常に介護が必要になってしまったため老人ホームへ。
そして、母方の祖母は先日24日の土曜日に他界したとの報を受け、明日、明後日に葬儀…
移住当時は22歳でありましたが、今は29歳。
こうして7年の歳月が経つと、こんなにも自分の身の廻りに変化があり、変わって欲しいところが変わらず、変わって欲しくない所が変わる…人生には実に残酷な面があるものだと、改めて思ったところです。
勿論その逆に嬉しく思う変化もありますが。
つい1週間前に私の歯が4本抜け落ちる夢を見て、何かの暗示かと思って調べましたが、身内や大切な人を失う予兆であるとネット上では書かれていました。
偶然かも知れませんし、あの世へ行った家族の誰かが知らせてくれたのかもしれません。
子供の頃、色々な所へ連れて行ってくれた母方の祖父母でしたが、これで両方とも他界してしまいました。
最後に感謝を伝えられればと思います。
そして、塩尻へ来た最初の3年は地獄でしたが、それでも見捨てずに助けてくれた、道場のお弟子さん、居合道の先生、釣具屋のおばちゃんや常連の人たち等がいてこそ、埼玉へ帰ることなくその後の4年は楽しく過ごすことが出来たことを思うと、長野県でお世話になった人にも感謝です。
それでもって、見事に信州の方言も移りました。
「〇〇だで」「〇〇へ~」「まーず、〇〇でいけねえ」「〇〇ずら」「〇〇だだよ」「頂きました」「ずくなし 」「凍みる」「ゴタなことを…」etc…
最初は「面白い言葉を話す地域だな~」と思っていましたが見事に飯能(吾野)弁と松本弁のバイリンガルになってしまいました。
8年目はどんな出来事があるのでしょうか…?
土曜日…夜明けと共に出発するはずが、しっかり寝て11時…いつもの川へ行ったら風が強くて釣りにならず、仕方なく奈良井ダム上の羽渕から釣り上がりました。
先行者がいて水温も低く、モチベーションも低く…今回もボウズで納竿…
車の近くまで戻り、川原で昼ご飯。
単なるインスタント麺ですが、外で食べると何でこんなに美味しく感じるのでしょうかね?
川縁には先週よりフキノトウが出ていたので、今日も山菜採り。
今回は蕗味噌が出来るくらいには収穫できました。
7瓶分の蕗味噌が出来ましたが、いつも使っているマルコメの料亭の味ではなく、その半額くらいの袋入りの味噌を使ったら、しょっぱさの角が立ってしまい、みりんとザラメで無理やり味を整えたためイマイチ…
それでも冷奴や焼いた厚揚げなどに乗せたら美味しいかも。
いつもは川にばかり目が行くのですが、全く釣れずに飽き飽きしながら釣り上がったため、山の方向にも目を向けていたので、今回初めて気付きましたが、国有林の境界標識を発見。
長野営林局は平成11年に中部森林管理局へ改組されていますが、旧組織の金属製標識の方が、新組織のプラ製標識より退色せずにはっきり見えるのが、興味深いです。
もちろん金属製標識の方がコストがかかるのでしょうが、一度設置すれば数十年使えるのが金属製、プラ製はその反対で、どっちが良いのか微妙なところですけど、現代の「物」に対する考え方の違いが現れているように感じます。
昔は高かったり若干の使い勝手の悪さがあっても、とにかく永く使える物が「良い物」と考えられていましたが、今は安価で耐用年数まで持てば良いといった感じですから。
薮漕ぎや枝打ち、河原の葦刈りに使っている愛用の山刀、土佐鉈、造林用鎌もかつて営林署に勤めていたおじいさんに貰った物ですが、今の金物屋で手に入る刃物より切れ味が良く 、ましてやホームセンターのソレとは比べ物にならない物ですから。
それ以前に、平成11年ってもう20年近く前なのですね…
川沿いの石垣は以前から気になっていましたが、昭和30年代半ばまで奈良井駅から「木曽森林鉄道黒川線」なる林鉄が走っていた跡だったのですね。
そう言われてみれば、鳥居トンネル手前の橋の下に謎の橋台跡がありました。
林鉄が現役の頃は、もっと山深く、魚影も濃かったのでしょうね。
今では護岸工事がされているうえ、権兵衛トンネルを通る車から投げ捨てられた大量のゴミが渓相を悪くしています。
ネットで調べたところ、キャンプ場跡のずっと奥までかつて林鉄が走っており、橋脚などが見られるそうです。
今度見に行こうかな…
先日の日曜日、福寿草を見た後に木曽の川縁で初物のフキノトウ探し。
ここのフキノトウは、個人的に香り、風味が強いように感じるので、毎度釣りのついでに頂いて行きますが、やはりまだ少し早いので、個数は疎ら。
それでも晩御飯の天ぷらにする程度は採れたので、今回は上出来。
金儲けのために山菜を乱獲する人種では無いので…
今度は蕗味噌が出来る程度欲しいところです。
ダメ元で少し竿を出してみましたが、やはりダメでした…
春の味覚を届けて下さった自然に感謝です。
昨日も風が強く、日中全く釣りにならなかったので、魚は諦めて春を探しにドライブ。
ふと下西条の付近を走っていたら、看板に「福寿草」の文字が。
中信地域では旧四賀村の福寿草祭りが有名ですが、塩尻でも見られるのは初耳です。
早速看板に沿って向かってみると、看板が無いY字路があり、右側を選択して進むと「帝國在郷軍人會塩尻町分會射撃場」なる石碑があり、その付近は木が伸びていたものの、少し拓けた土地になっていました。
このような史跡も塩尻にあったのは驚きです。
この先は行き止まりで、道を間違えたようなので引き返し、Y字路の別の道を辿ると、「山の神自然園」なる所に着きます。
山の水が引き込まれて人工の湿地になっており、水芭蕉の花芽が出ていたので、もう少しで花が楽しめそうです。
ところで福寿草はどこ…?
まだその先に進める道があるので、道を進むと山の神様が祀られているお社があり、帰りに御参りしました。
チャートと思われる岩石が露頭しており、その地形を御神体として崇めた日本の典型的なアミニズム信仰ですね。
科学が発達した現代に生きる私ですら神々しさ、畏敬の念を感じるのですから、古の日本人は尚更でしょう。
その先を進むと「たまらずの池」が現れます。
凄く水が綺麗なのですが…
そして「たまらず」…手前にオーバーフローの排水設備があるから水が「溜まらない」ため、その名が付いたのか、あまりの美しさに「堪らなかった」からなのか不明ですが、名前の割に水が溜まっています。
一時話題になった丹沢のユーシンブルーにも劣らないエメラルドグリーンをした水の綺麗さと、池の中に立ち枯れした木々が素晴らしいです!
塩尻にこんな所があるとは、間もなく移住して7年経ちますが、全く知らなかったです。
「釣り禁止」の看板がありますが、イワナでもいるのかと思いきや、どうやらブラックバスかいるそうな。
全く魚影はありませんでした。
本当にブラックバスやブルーギルを所構わず放す連中には腹が立ちますね。
そしてその池の堰堤を見ると黄色い花が…
ようやく福寿草の群生地がありました。
見たことがないので断言は出来ないものの、旧四賀村の群生には数や面積など劣ると思いますが、こうして可憐に咲いている姿が実に美しいですし、言葉を出さずとも「初春」を伝えてくれます。
そして何より全く人がいないので、時間も他人も全く気にせず、ずっと眺めていられるのは何とも有難いです。
(とはいえ、群生地を踏み荒らしたり、ゴミを散らかしたり、果ては株を持ち去ったりと、遠慮ではなく自分勝手な振舞いは言語道断ですがね。節度を弁えて見物しましょう。)
福寿草は今日が見頃だったでしょうか?
明日からは天気が崩れるようなので、非常に残念ですが、福寿草が終わったら桜の木も植えてあり、地元の人達が木のベンチやテーブルも整備して下さっているので、お花見も楽しめそうですよ。
また桜の時期に行きたいと思います。
それにしても…何と言いますか…先日の市民タイムスに載ったらしいのですが、ここまで人がいない(私がいた時には一人も見物客がいませんでした)のも不思議と言いますか、塩尻らしいと言いますか…
一応、ここも熊出没注意の看板が出ているので、用心するに越したことはないですが、これも…信州だったらよくあることです。
福寿草が咲くとなれば、フキノトウも出ているはずなので、夕方は木曽方面に向かいましたが、それはまた後日掲載します。
追記…
3月21日(水・祝)に地元の人達が主催するお祭りがあるそうです。
個人的には褶曲を案内してくれるのが気になります…
(ネットから画像を拝借しました)
今日、日向の暖かい場所にはオオイヌノフグリが花を咲かせていました。
とても小さい花ですし、何処にでも生えている全く珍しく無い草ですが、春一番に道端に咲くこの花を見ると、自然と口元が緩みます。
ついに信州にも春が訪れたようです。
今年は御神渡りが出来るほど冷え込んだ冬だったので、凍結防止の電熱線がフル稼働して電気代が昨年の1.5倍くらいかかりました…。
埼玉も飯能の山奥で寒い所でしたが、信州に移住して強く感じた事が、寒い冬が明けた「春」の訪れの嬉しさ、自然の息吹の美しさであります。
間もなく梅や桜の花が愉しめそうですね。