信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

奥穂に映える茜雲

2018年07月28日 | 信州の暮らし

仕事から帰って近所を徘徊散歩していたところ、見る見るうちに周囲が赤くなって北アルプスが真っ赤に染まっておりました。

ここ数日雨が降らなかったものの、水蒸気量は多かったためガスが出ずに毎日のように夕焼けが映えておりましたが、本日は特段と綺麗な焼け方でした。

 

穂高や常念岳の稜線が綺麗です。

 

タイトルの「奥穂に映える茜雲」は山の歌「穂高よさらば」の一節ですが、私自身はこの歌を知る前によく祖父が歌っていた、元の曲「雷撃隊出動の歌」で「翼に映える茜雲」として覚えております。

「母艦よさらば撃滅の~翼に映える茜雲~」とよく歌っていました。

おそらく一般的な自分の世代ではいずれの曲も知らないと思いますが。

 

こうして山を眺めていると、また山に登りたくなります。

私が信州に憧れた一つが山でもありますから…釣りにバイクに山登りに…道楽者ですね。

信州に移住した時は、奥穂高や槍ヶ岳まで日帰りで行ったり、焼岳や常念岳、蝶ヶ岳などに登りましたが、今は怪我をしてしまって居合道の稽古や指導に支障を出してしまってはマズいと思い、一切登っていないので…

また表銀座を縦走したいな…などと思っております。360度山に囲まれた風景と星だけが輝く夜空…見るだけで涙が流れる風景や星空をもう一度見に行きたいです。

さて、ここ2週間ほどの日照りで川の苔もまっ茶色になり、鮎釣りの良い情報を耳にしておりましたが、そんなせっかくの休日は見事に台風直撃。。。

火星接近でも雲が厚くてダメ・・・この休日はやりたいことが山ほどあるのに何もできず、何をして過ごすかが課題であります。

皆様も台風の大雨や強風には、くれぐれもご注意下さいませ。


私が武道を始めた経緯

2018年07月21日 | 武道


小学5年生の時に今は亡き母方の祖父と撮った写真です。
剣道大会か稽古会の後だったのでしょうか?
全く覚えておりません。
夏休みは毎日朝6時半頃から夜7時頃まで友達と川で泳いだり釣りをして遊んでいたので、足が真っ黒ですね。

思えば小学1年生の時、学校で配られた剣道教室のチラシを母に見せて「これをやりたい」と言ったことが、武道を始めるきっかけであります。
いわゆる「足りない子」だった私が、それまで一切自主的に何かをやりたいと言ったことが無く、そんな子供が自主的に習い事をやりたいと言った…それもよりによって、厳しいはずの剣道を選んだ…
その時の衝撃は鮮明に覚えていると生前母が話していました。
藁半紙に「会員募集」の文字と防具を身に着けて竹刀を携刀している人の絵が書いてあったチラシであったことは覚えています。



大切にしている当時の手拭い。何故か血痕があるのですが。

剣道教室(西川剣友会)は母校西川小学校の体育館で19時から行われており、赤胴で椅子に腰掛け指導されていた教士七段の先生を筆頭に、数名の地元の先生が指導して下さっている、いわゆる田舎の剣友会でした。

今の歳では「稽古は毎回出席が当たり前」と思うものですが、小学生時分、稽古そのものと言うよりも皆勤賞として皆の前で賞状やお菓子を頂ける事が嬉しく、宿題は忘れても(おい!)稽古は忘れずに出席していました。

小学校低学年時は母に送り迎えをしてもらいましたが、中学年になったら道着を着て防具と竹刀を担いで稽古場に行き、夕暮れ時に外で夕涼みや庭掃除をしている近所のおばあちゃん達から褒められたり、アイスやおにぎり等を貰って食べながら通ったのが懐かしい思い出です。
首都圏とは思えない、凄い田舎でしたから(実際、塩尻の奈良井や木曽平沢と似たような景観のです。)、向こう三軒両隣の感覚が根強く、こうして地域の人達に育てて貰った恩は忘れ難いものです。

今では西川小学校も生徒数が相当少なくなってしまい、来年には近隣の小学校と統合するそうです。(吸収して存続する方ですが)
数年前に西川剣友会も解散してしまったそうで、アイスやお菓子をくれた近所のおばあちゃん達も多くはこの世を去られ、世の無常を感じます。
当時はそうした環境が当たり前で、永遠に続くものかと思っていましたが、「時」というものは残酷な一面もあるものですね。

そして、防具を着けた竹刀による一般的な剣道の稽古よりも木刀を用いた日本剣道形が好きで、19時の稽古開始より前に体育館へ着くと、先生が剣道形を教えて下さり、ますます形にハマって行ったのであります。


まさに形がメインになり、今私が修行している居合道を知ることになったのは、飯能市の剣道大会開会式で、城西大学居合道部の学生さん達が演武した時です。
剣道と違って実際の相手ではなく仮想敵を相手として刀を操る姿を見て、当時よく意味が分からなかったものの、形を主とする武道があることを知り、「居合道か…そのうち絶対にやろう!」と、小学生の私は思ったのでした。
また、小学校の教頭先生も居合道をやられており、社会の授業の時に鞘に納めた状態の刀を触らせて下さり、その時も一人興奮しておりました。


月日は流れて国士舘大学へ進学し、「大学では何よりサイクリングが好きだから、フランスへ旅行してツール・ド・フランスを観戦したいな!登山もしたい!」と、一般的な大学生活を謳歌しようと思ってました。
国士舘大学へ進学したのも、武道をやるためではなく、特に当時の私は思想的に限りなく端に近い右寄りの人物だったので、ここで政治学を学びたい!という理由であります。
通学も大学一年時は自宅通いだったため、片道2時間半ほど掛かっており、講義の時間より通学の時間の方が長い日がある状況でしたから、サークル程度の活動は出来たとしても、部活動はとても出来ないと思っていました。

が、運命なのか因果なのか、小学生の頃見た居合道の記憶も薄れている頃でしたが、新入生の勧誘で貰った居合道部の部員募集チラシが気になっており、5月下旬のある日、家族で夕食を囲みながら「なんでも鑑定団」を見ていたら、依頼人の紹介で居合道をやられているという方が映り、ふと箸を止めて居合道部の部員募集チラシを見ました。
すると翌日が稽古日…
親に「ちょっと明日居合道部を見学して来ようと思うから帰りは遅くなる」と、無意識に言ってました。

そして講義が終わって国士舘大学居合道部の当時の活動場所であった日本舞踊実習室に向かって歩いていると、徐々に「いち!に!さん!」と素振りをしている号令と被せるように「声が小さい!」「しっかり止めろ!」「何度も同じ事を言わせるな!」と夕方の静まり返った校舎に響き渡る怒号が…

私がいた西川剣友会は近所の年配の先生が主に教えて下さっていたため、強豪の町道場のように上下関係が厳しいところでは無かったですし、母校の吾野中学校は先輩に対して「〇〇先輩」ではなく「〇〇さん」と呼ぶ程、上下関係が非常に弱い校風…高校も一応「〇〇先輩」とは呼ぶものの、あまり上下関係が無い田舎の進学校だったので、初めて垣間見る厳しい上下関係と体育会系の雰囲気に圧倒されました。

が、それでも憧れていた居合道…いざ部屋に入ってみると、華麗に刀を扱っている人達の集団がそこにありました。
挨拶をしたら、わざわざ3年生の先輩が座布団を持ってきて「ここにでも座ってよく見て行って」と優しく声を掛けてくれたもので「凄く優しい先輩達なんだな~」と、垢抜けない純真な当時の私は思っておりました…

いや、何だかんだ今思い返しても、そんなに厳しいとか辛いというより、やって良かった、楽しかったという思い出の方が強く残っています。

大東亜戦争で激戦地ニューギニアに赴き敗走した挙句、マラリアに罹りつつも奇跡的に生還した近所のおじいちゃんも、「あの時は大変だった」と言いつつ、「現地の全裸の土人と一緒に歌を歌った」とか「補給が絶たれて食糧も弾も無くなったが、敵の死体から鹵獲した手榴弾を川に投げたら凄い量の魚とワニが捕れて助かった」などと面白おかしく(といっても、こっちはネタがネタだけに全く笑えないのですがね…)戦争体験を話してくれましたが…それと同様の心理なのかもしれません。

いずれにしても、今巷で蔓延っている「今が楽しければ良い」「他人の事より自分の事」という刹那的楽天主義、欧米的個人主義を私は凄く嫌っており、それもよく祖父から「この世は苦の娑婆だから、今辛い事があっても進んで行えば、そのうち良い事がある。辛い記憶はいずれ忘れ去られて良い思い出として残るのだから、何事もやり通す覚悟と辛い時期を乗り越える忍耐が大事だ。」と言い聞かせられておりましたから、その教えを守って来た事が根底にあります。

その祖父も戦時中、現代人には到底出来ないような大変な苦労をし、75歳まで働いて80歳でこの世を去った非常に仕事熱心で勤勉な人でした。
言葉の重みが違いますね。

話が戻り、居合道部の稽古では袴からも汗が滴り、床一面に汗の水溜まりを作る稽古をしておりましたが、自主練の時に先輩と色々な話をした事や、飲みに行ったこと、夏合宿、稽古後のせい家のラーメン、上野公園の夜桜、道場から見えた新宿の高層ビル群や建設中のスカイツリー、鶴川のアパートから自主練に向かっている時に見えた茜色に染った丹沢山地と富士山、そして東日本大会の団体戦で準優勝した事…

当時は色々と大変な事があったはずですが、確かに今思えば良い思い出しか残っていないのであります。

そしてこれからも「あの時面白かった。」「いい思い出だ。」と将来思えるように、一層苦の娑婆をより大変な方向に選択して修行しようと思います。

何故か(理由は明確ですが…)「精神論」とか「根性論」などの言葉やその行為そのものを忌み嫌う人が非常に多い現代ですが、多量の情報を取捨選択するスキルが身についており、ある程度の教育を受けてきた人間だったら「論理性」や「科学的思考」は出来て当たり前なのですから、私を含めた現代人こそ精神を鍛錬する事が大切であると思います。


私個人としても、武道を行っていたから礼儀とか精神性を大切に思うのか、礼儀や精神性を元から重んじていたから武道を23年続けているのかは分かりませんが、少なくとも武道はそうした「精神性」が重要な要素になっている事は言うまでもありません。
しかしながら、近年では特に保護者がそれを理解出来ずに「精神論で物を言う指導者だ」などと武道の指導者を批判して子供の武道の習い事を辞めさせる事例が多いと聞き、非常に残念に思います。

それらの話題もそのうち書きましょう。

連休最終日の釣行

2018年07月16日 | 釣り


海の日も結局海には行かず、川でマス類と戯れておりました。
そして釣り方はルアーに絞り、得意のエサは禁止。

最初は奈良井の辺りで始め、いきなり一投目からヤマメがヒット。

300m程釣り上がり、12匹程掛かった所で暑さと日差しが応え、沢に移動…
鮎タイツで川にどっぷり浸かっても汗が引かない…

涼を求めて奈良井ダム上の羽渕から釣り上がります。



凄く涼しいですね。写真を見ているだけで涼しく感じます。
たまに吹く寒いくらいの風が非常に心地良く、所々に湧水もあり、とてもひんやりしております。



トップ画像にも上げた、24センチの腹がオレンジ色をした居着きイワナが釣れて、個人的には満足でありました。

昼過ぎに行ったためとても渋く、おそらく先行者もいたようです。

ルアーもなかなか面白いですね。



冷たい湧き水付近に生えているフキはまだ固くならず、虫も入っていないため、魚の血抜きをしている間に採ってきゃらぶきの材料にします。

それにしても、前に比べて良くも悪くも渓相が変わりましたが、魚影もだいぶ薄くなってしまいましたね…

話によると、無鑑札で釣りをする泥棒がいるどころか、違法漁法である電気ショックで根こそぎ取って行く不届き者がいたようですし、本来ダム上は投網禁止なのですが、不自然に川の石がひっくり返っていて、明らかに投網を打った形跡を見たこともあります。
果てはキャンプ場上の増殖のための保護区で禁漁期に釣りをしている人を見たことがあります。(私はハイキング兼林鉄跡の散策でしたが)

そうしたルールやマナーを守れない者が他の釣り人の楽しみを奪い、果ては釣り人の肩身を狭くさせているのは非常に残念でなりません。

無鑑札で密漁する彼らの言い分は「釣れないのだから鑑札を買う必要は無い」…大人の考えとは思えない、あまりにも幼稚な考え方ですね…

入漁券は釣れる釣れないは関係なく、漁業権が存在する川で竿を出す権利に対してこ対価なので、釣れないことに文句を言うのだったら、自分の下手な腕を恨むか、自分の得手不得手の川かどうかを見極められなかった自身の目を恨むべきだと思うものですがね。

とはいえ、「因果応報」という言葉があるように、善行をすれば必ず自分に良い事が返って来ますし、悪行を働けば、必ず自分に悪事が降りかかるものですから、いずれは荒らされた川も元の良い川に戻ることでしょう。

おそらく海の日に海に行ったら熱中症になっていたでしょうね…
釣りやスポーツをしていると、つい熱中しすぎて別の意味で「熱中症」になってしまいますが、この災害レベルに暑い連日の気候には必ず水分と塩分の補給、体を冷やす方法を考えながら、危ない「熱中症」にはならないよう皆様お過ごし下さい。

第38回長野県居合道大会

2018年07月16日 | 武道


7月8日に第38回長野県居合道大会が開催され、信州で全日本剣道連盟に加盟している居合道家が上田の地に集い、日頃の稽古の成果を発揮されておりました。

大会を設営、運営されていた上小剣道連盟の方々にも心より感謝申し上げます。
かつて私も学生大会の運営に携わっており、その大変さはよく分かります…

当方、今年五段に合格したため昇段後初の五段の部への出場でありましたが、お陰様で優勝でき、同時に10月20日、茨城県水戸市にある茨城県武道館にて開催される、第53回全日本居合道大会の都道府県対抗試合五段の部に長野県代表として出場させて頂ける事になりました。

大学生のビギナーだった頃に居合道を教えて下さった先生、先輩、共に励んだ同期や後輩、そして社会に出て長野県に移住し、お世話になった先生方やうちの道場のお弟子さん、協力して頂いた方々など、多くの方達に感謝です。

さらに、私の道場からもお弟子さんが四段の部に出場し、見事準優勝の戦績を挙げました。
この方も、今年四段に昇段したばかりでしたが、良い試合をされておりました。


私自身、試合後「まあまあってところかな…」と思っていましたが、改めてビデオを見返したら「あぁ…」といった所が多々あり、問題は山積みです。

帝國海軍軍人だった御先祖様の名にかけて、月月火水木金金で精進します。

水が太い奈良井川釣行

2018年07月14日 | 釣り


先日の大雨で相当水が太くなっており、この三連休は鮎は諦めて渓魚と戯れに奈良井川上流へ。

川に立っていれば、川上から吹く涼しい風に中央アルプス経ヶ岳を源とする奈良井川の冷たい水が相まって、大変心地良いものです。
日差しが強いので、木陰を伝って釣り上がり、とりあえず5匹の釣果。



上越の方では尺アジや色々な大物が出ているようですし、釣り仲間はみんな海に向かってしまったようですが、地元の川でも楽しめました。
良くも悪くも人が少ない川なので、三連休でも誰一人として釣り人と行き合うことが無かったです。

そして、根掛かりのようなずっしりとしたアタリ…
0.1号の細糸仕掛けを一瞬にして切られてしまいましたが、奈良井川…たまに変なところにとんでもない大物がいたりするので、なかなか侮れない川です。