釜石の釜石港湾口防波堤は、31年の歳月をかけ、総工費1215億円というお金をかけて、2009年3月に完成しました。
そして、世界一深い防波堤としてギネス認定を受けたのは、昨年の7月のことでした・・・。
この防波堤で多くの人々が、津波の脅威から、町は守られると思ったことでしょう。
どれだけお金を使っても、どれだけ自然の力を押し込めようとしても、その大きなパワーの前では、あまりに無力だったことを思い知らされた今回の大震災。
津波で命を失った先祖たちの教えを伝え続けて、守られた集落がありました。
(写真:読売新聞)
■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う(読売新聞) - goo ニュース
「 此処 ( ここ ) より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は 児孫 ( じそん ) の 和楽 ( わらく ) 想 ( おも ) へ惨禍の 大津浪 ( おおつなみ ) 」
本州最東端の ●ヶ埼 ( とどがさき ) 灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
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宇宙に充満するパワーとは水のようなもの・・・昨年末に書いた記事が皮肉にも思えてしまった、今度の震災と大津波。
無理に抑え込もうとすれば、あふれて壊れる。だったら、こちらからその形に合わせること。
それはコストのかからない、この石碑に書かれているような先人の知恵であるのでしょう。
高き住居は 児孫 ( じそん ) の 和楽 ( わらく ) 想 ( おも ) へ惨禍の 大津浪 ( おおつなみ )
高い所に建てた住まいは、子や孫の平和と安楽である。大津波の惨禍を忘れぬように想い続けよ。
同じようなことは原発にも言えるのではないでしょうか。
地球は、生きているのです。
深い海溝、さまざまなプレート、たくさんの火山帯。
この複雑な地形の上によって立つ小さな島国に、原発を建ててはならず
・・・と。子や孫たちの平和と安楽のために。
これだけ痛い目にあってようやくわかること・・・脱原発の方向にやっと向かうべき時が来たのではないでしょうか。
今こそ、日本は、ドイツやフランスなどの資源のない国と協力して、波や温度差など、地球さまのもつ自然の力を上手に利用させていただいて、もっとエコでコンパクトで、安全なエネルギー開発に、真剣に取り組む時でしょう。
そして、世界一深い防波堤としてギネス認定を受けたのは、昨年の7月のことでした・・・。
この防波堤で多くの人々が、津波の脅威から、町は守られると思ったことでしょう。
どれだけお金を使っても、どれだけ自然の力を押し込めようとしても、その大きなパワーの前では、あまりに無力だったことを思い知らされた今回の大震災。
津波で命を失った先祖たちの教えを伝え続けて、守られた集落がありました。
(写真:読売新聞)
■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う(読売新聞) - goo ニュース
「 此処 ( ここ ) より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は 児孫 ( じそん ) の 和楽 ( わらく ) 想 ( おも ) へ惨禍の 大津浪 ( おおつなみ ) 」
本州最東端の ●ヶ埼 ( とどがさき ) 灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
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宇宙に充満するパワーとは水のようなもの・・・昨年末に書いた記事が皮肉にも思えてしまった、今度の震災と大津波。
無理に抑え込もうとすれば、あふれて壊れる。だったら、こちらからその形に合わせること。
それはコストのかからない、この石碑に書かれているような先人の知恵であるのでしょう。
高き住居は 児孫 ( じそん ) の 和楽 ( わらく ) 想 ( おも ) へ惨禍の 大津浪 ( おおつなみ )
高い所に建てた住まいは、子や孫の平和と安楽である。大津波の惨禍を忘れぬように想い続けよ。
同じようなことは原発にも言えるのではないでしょうか。
地球は、生きているのです。
深い海溝、さまざまなプレート、たくさんの火山帯。
この複雑な地形の上によって立つ小さな島国に、原発を建ててはならず
・・・と。子や孫たちの平和と安楽のために。
これだけ痛い目にあってようやくわかること・・・脱原発の方向にやっと向かうべき時が来たのではないでしょうか。
今こそ、日本は、ドイツやフランスなどの資源のない国と協力して、波や温度差など、地球さまのもつ自然の力を上手に利用させていただいて、もっとエコでコンパクトで、安全なエネルギー開発に、真剣に取り組む時でしょう。
日本人は山に登るにも、まず自然をおそれ敬い
神さまにお伺いをたてながら、
頭を低くして、山に入らせていただいていました。
西洋の登山家や冒険家とは、違います。
自然は開拓するのではなく、
自然の恵みを有難く分けていただきながら
住まわせていただいている、わたしたちです。
昔ながらの地形を上手に生かしたり
自然の野山の恵みを食し、動物たちと共生する
そんな血が、我々の中には流れていることを
今一度思い出して、生きなおしていかねば・・
と、この頃毎日考えています。
でも、難しい顔してるんじゃなくて
鼻歌交じりに、、、なんですけどね~(笑)
人間が「地球を守る」なんておごりで、
地球が人間を守ってくれているんだ・・・と、気づきました。
そうですね、本来、日本人は、山や川や巨木や巨石、
八百万、あらゆる自然の中に神を見て、自然と共存してきたのですよね。
「木守り柿」の風習もその一つ。
西洋的思考の「自然は克服すべきもの」という概念で、
戦後の日本はそちらの方へどんどん傾いてゆきましたが、
今回の震災で、日本人が本来持っていた自然への畏怖と感謝を思い出して
自然と共存する方向へどんどんシフトしていってくれれば・・・いいなー♪