●佐村河内守氏の「恐怖」
佐村河内守さんの曲が、ゴーストライターが書いたものだと最近話題になりました。突然のことで驚きましたが。
アートとか、音楽とか、もの作りにおいては、人の作ったものを自分で作ったかのような売り方は、あってはならないと思いますし、信じていた人たちには失望を与えてしまい、とても残念なことだと思います。
しかしながら、音楽だけでなく、出版の世界、美術の世界、ゴースト作家、ゴーストライターは、どこの世界にも、実は存在していた。
ロダンの作品の一部が、弟子で恋人のカミーユ・クローデルの作ったものだとわかった時、なんて可哀相な関係だったのだろうと思いましたが、嘘は、いずればれてしまうのですね。
タレント本などは、ゴーストライターがいなければ成り立たない世界のようだし、利益を得るためには何でもありの資本主義社会というのは、洗脳と虚飾まみれ。案外、そんなものかもしれません。
今頃、ばれたら大変と戦々恐々の業界の方たちもいらっしゃるかもしれません、よね?
実は、偶然、NHKで佐村河内氏を紹介している番組をちら見したのですが、その時彼は、暗い部屋の中で、一人座っていて、光が目に入るとまぶしすぎて明るいところは苦手なのだ・・・とか、そんなことを説明されていたように思います。(記憶で書いているので、間違っているかもしれないですが)
なにか変わっている人だったので、勝手ながら、テレビを見ながらうちの不思議人間が、彼の意識レベルを測ったら「恐怖」だったんですね。
耳が聞こえない上、光がつらい・・という状況は、怖いことなんだろうか、とその時は、単純に思ったものですが。
真実が明らかになった今、彼の恐怖とは、自分の力の無さをごまかして、世間に注目を浴びて生きることの不安からくる「恐怖」だったのか・・・と改めて気づきました。
だとすれば、本当にかわいそうな人です。自分に作曲の能力のないことは、誰よりも自分自身が一番わかっていることだからです。たとえ有名になっても、心が恐怖に支配されていたら少しも幸せではありません。
●安倍総理の「恐怖」
何度か書いていますが、今の総理大臣の意識レベルも、佐村河内氏と同じ「恐怖」なんです。
最近の総理の国会答弁で、立憲主義の意味もよくわかっていなかったことが発覚して、与党内からも批判の声が上がっています。国の根幹をなす最も基本を知らないで政治家をやっている、それも総理大臣とは・・・
びっくりするのと同時に、安倍さんの気持ちになったら、やはり「恐怖」であるのは納得してしまいました。
まさに佐村河内氏と同じ、自分の知識のなさを自覚しておりながら、世間には、すべてをわかっているように虚勢を張って、総理大臣らしく振る舞わなければならないのですからね。しかも選挙で大勝し、自分が最高責任者なんだから、憲法すら勝手に解釈できる力まで手に入れたと勘違いしているようです。
だからこそ、彼は、思いつきと勢いで、今までずっと、信じられないような無茶苦茶な国会運営も、何の後ろめたさもなしで、平気で出来たのだと合点します。
総理の認識は、麻生さんの漢字読めないレベルよりずっと、深刻な間違いですよ。
政治家として、あってはならない致命的な間違いです。
(いまさら、誰が何を言い訳したって、「覆水盆に返らず」です)
詳しくは、以下のニュース。
首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私」
(東京新聞:2月13日)・・この記事のツイート、1万近くあります。
首相の憲法解釈変更発言 自民内からも批判 「三権分立崩す」
(東京新聞:2月14日)・・自民党の一部が、ようやく正気を「取り戻す」?
15日の東京新聞一面には、久しぶりに枝野さんの名前をみつけたので、全文応援アップ。
「(総理は)権力者でも変えてはいけないのが憲法という、憲法の『いろはのい』が分かっていない」by枝野さん
佐村河内氏には、どこか人間の弱さや哀しさを感じ、同情の余地がないとはいえないのですが・・・
現総理が総理であるかぎり、安倍さんに対しては、同情の気持ちはわきようもありません。
政治家でありながら、いまさら、三権分立や立憲主義の意味も通じない人に、ひとりよがりの思いで、国民全体が、巻き込まれてしまう可能性があるのですから。
ここで、安倍さんは憲法の解釈においても、最高の責任者は私だと言っています。
↓
ちなみに立憲主義については、東京新聞より
<立憲主義> 国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考え。日本国憲法の基本原理と位置付けられている。
追記
なお意識レベルに関しては、私どもが個人的に調べているだけのもので、証明はございません。ゆえに、この件で、信じる信じないは、読まれた方のまったくのご自由です。
佐村河内守さんの曲が、ゴーストライターが書いたものだと最近話題になりました。突然のことで驚きましたが。
アートとか、音楽とか、もの作りにおいては、人の作ったものを自分で作ったかのような売り方は、あってはならないと思いますし、信じていた人たちには失望を与えてしまい、とても残念なことだと思います。
しかしながら、音楽だけでなく、出版の世界、美術の世界、ゴースト作家、ゴーストライターは、どこの世界にも、実は存在していた。
ロダンの作品の一部が、弟子で恋人のカミーユ・クローデルの作ったものだとわかった時、なんて可哀相な関係だったのだろうと思いましたが、嘘は、いずればれてしまうのですね。
タレント本などは、ゴーストライターがいなければ成り立たない世界のようだし、利益を得るためには何でもありの資本主義社会というのは、洗脳と虚飾まみれ。案外、そんなものかもしれません。
今頃、ばれたら大変と戦々恐々の業界の方たちもいらっしゃるかもしれません、よね?
実は、偶然、NHKで佐村河内氏を紹介している番組をちら見したのですが、その時彼は、暗い部屋の中で、一人座っていて、光が目に入るとまぶしすぎて明るいところは苦手なのだ・・・とか、そんなことを説明されていたように思います。(記憶で書いているので、間違っているかもしれないですが)
なにか変わっている人だったので、勝手ながら、テレビを見ながらうちの不思議人間が、彼の意識レベルを測ったら「恐怖」だったんですね。
耳が聞こえない上、光がつらい・・という状況は、怖いことなんだろうか、とその時は、単純に思ったものですが。
真実が明らかになった今、彼の恐怖とは、自分の力の無さをごまかして、世間に注目を浴びて生きることの不安からくる「恐怖」だったのか・・・と改めて気づきました。
だとすれば、本当にかわいそうな人です。自分に作曲の能力のないことは、誰よりも自分自身が一番わかっていることだからです。たとえ有名になっても、心が恐怖に支配されていたら少しも幸せではありません。
●安倍総理の「恐怖」
何度か書いていますが、今の総理大臣の意識レベルも、佐村河内氏と同じ「恐怖」なんです。
最近の総理の国会答弁で、立憲主義の意味もよくわかっていなかったことが発覚して、与党内からも批判の声が上がっています。国の根幹をなす最も基本を知らないで政治家をやっている、それも総理大臣とは・・・
びっくりするのと同時に、安倍さんの気持ちになったら、やはり「恐怖」であるのは納得してしまいました。
まさに佐村河内氏と同じ、自分の知識のなさを自覚しておりながら、世間には、すべてをわかっているように虚勢を張って、総理大臣らしく振る舞わなければならないのですからね。しかも選挙で大勝し、自分が最高責任者なんだから、憲法すら勝手に解釈できる力まで手に入れたと勘違いしているようです。
だからこそ、彼は、思いつきと勢いで、今までずっと、信じられないような無茶苦茶な国会運営も、何の後ろめたさもなしで、平気で出来たのだと合点します。
総理の認識は、麻生さんの漢字読めないレベルよりずっと、深刻な間違いですよ。
政治家として、あってはならない致命的な間違いです。
(いまさら、誰が何を言い訳したって、「覆水盆に返らず」です)
詳しくは、以下のニュース。
首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私」
(東京新聞:2月13日)・・この記事のツイート、1万近くあります。
首相の憲法解釈変更発言 自民内からも批判 「三権分立崩す」
(東京新聞:2月14日)・・自民党の一部が、ようやく正気を「取り戻す」?
15日の東京新聞一面には、久しぶりに枝野さんの名前をみつけたので、全文応援アップ。
「(総理は)権力者でも変えてはいけないのが憲法という、憲法の『いろはのい』が分かっていない」by枝野さん
「憲法分かってない」 首相解釈変更発言 与野党やまぬ批判
(東京新聞:2月15日)
安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更について「私が責任を持っている」とした国会答弁に、与野党から批判が相次いでいる。野党は、憲法が国家権力の行動を厳格に制約する「立憲主義」の理念や、内閣法制局が担ってきた憲法解釈を否定する発言だとして今後の国会で追及する構え。政府内からも、くぎを刺す動きが出た。
首相は十二日の衆院予算委員会で、憲法解釈の変更をめぐり自らが「政府の最高責任者」と主張。「政府の答弁に(内閣法制局長官ではなく)私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調した。
この答弁に関して、公明党の井上義久幹事長は十四日の記者会見で、内閣法制局の役割について「事実上『憲法の番人』で、政府が法案提出する際、憲法との整合性をチェックしてきた。権力を抑制的に行使するという意味で大変重い」と指摘。歴代内閣と同様、内閣法制局の解釈を踏襲するよう安倍首相に求めた。
民主党の枝野幸男憲法総合調査会長は十四日、会合で「権力者でも変えてはいけないのが憲法という、憲法の『いろはのい』が分かっていない」と首相を批判した。
首相は国会答弁で「立憲主義」の考え方を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と説明。枝野氏はこれについても「世界のほとんどの国が立憲主義に基づいて国家統治を行っている。こうした発言が外国に出て行くことは非常に恥ずかしく、国辱的だ」と反発した。
結(ゆ)いの党の小野次郎幹事長は「行政の最終責任者であることは分かるが、憲法解釈でそういう言い方をするのは違う」と指摘。生活の党の鈴木克昌幹事長も「二〇一四年度予算案成立した後、一気呵成(かせい)に(解釈改憲の)流れが進む」と危機感を示した。共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治幹事長も首相発言を厳しく批判している。
自民党の石破茂幹事長は「首相は立憲主義をないがしろにしたのではなく、自分が言えば何でもできると言ったわけではない」と擁護。だが、自民党内でも「三権分立を崩す」などと首相を批判する声が多くある。谷垣禎一法相も十四日の記者会見で「憲法解釈は時代で変遷する可能性も否定できないが、安定性もないといけない」と語った。
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(東京新聞:2月15日)
安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更について「私が責任を持っている」とした国会答弁に、与野党から批判が相次いでいる。野党は、憲法が国家権力の行動を厳格に制約する「立憲主義」の理念や、内閣法制局が担ってきた憲法解釈を否定する発言だとして今後の国会で追及する構え。政府内からも、くぎを刺す動きが出た。
首相は十二日の衆院予算委員会で、憲法解釈の変更をめぐり自らが「政府の最高責任者」と主張。「政府の答弁に(内閣法制局長官ではなく)私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調した。
この答弁に関して、公明党の井上義久幹事長は十四日の記者会見で、内閣法制局の役割について「事実上『憲法の番人』で、政府が法案提出する際、憲法との整合性をチェックしてきた。権力を抑制的に行使するという意味で大変重い」と指摘。歴代内閣と同様、内閣法制局の解釈を踏襲するよう安倍首相に求めた。
民主党の枝野幸男憲法総合調査会長は十四日、会合で「権力者でも変えてはいけないのが憲法という、憲法の『いろはのい』が分かっていない」と首相を批判した。
首相は国会答弁で「立憲主義」の考え方を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と説明。枝野氏はこれについても「世界のほとんどの国が立憲主義に基づいて国家統治を行っている。こうした発言が外国に出て行くことは非常に恥ずかしく、国辱的だ」と反発した。
結(ゆ)いの党の小野次郎幹事長は「行政の最終責任者であることは分かるが、憲法解釈でそういう言い方をするのは違う」と指摘。生活の党の鈴木克昌幹事長も「二〇一四年度予算案成立した後、一気呵成(かせい)に(解釈改憲の)流れが進む」と危機感を示した。共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治幹事長も首相発言を厳しく批判している。
自民党の石破茂幹事長は「首相は立憲主義をないがしろにしたのではなく、自分が言えば何でもできると言ったわけではない」と擁護。だが、自民党内でも「三権分立を崩す」などと首相を批判する声が多くある。谷垣禎一法相も十四日の記者会見で「憲法解釈は時代で変遷する可能性も否定できないが、安定性もないといけない」と語った。
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佐村河内氏には、どこか人間の弱さや哀しさを感じ、同情の余地がないとはいえないのですが・・・
現総理が総理であるかぎり、安倍さんに対しては、同情の気持ちはわきようもありません。
政治家でありながら、いまさら、三権分立や立憲主義の意味も通じない人に、ひとりよがりの思いで、国民全体が、巻き込まれてしまう可能性があるのですから。
ここで、安倍さんは憲法の解釈においても、最高の責任者は私だと言っています。
↓
◆首相の答弁要旨(2月14日東京新聞より)
国際情勢が大きく変わる中で(集団的自衛権の行使は許されないとする憲法解釈を)もう一度よく考える必要がある。今までの積み上げのままで行くなら、そもそも有識者会議をつくる必要はないんだから。ここでしっかり議論していこうということだ。
先程来、法制局長官の答弁を(質問者が)求めているが、最高の責任者は私だ。私は責任者であって、政府の答弁にも私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは法制局長官ではない、私だ。
だから、私は今こうやって答弁をしている。そういう考え方の中で有識者会議をつくったわけで、最終的な政府の見解はまだ出していない。私たちはこのように考えて有識者会議をつくった。
国際情勢が大きく変わる中で(集団的自衛権の行使は許されないとする憲法解釈を)もう一度よく考える必要がある。今までの積み上げのままで行くなら、そもそも有識者会議をつくる必要はないんだから。ここでしっかり議論していこうということだ。
先程来、法制局長官の答弁を(質問者が)求めているが、最高の責任者は私だ。私は責任者であって、政府の答弁にも私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは法制局長官ではない、私だ。
だから、私は今こうやって答弁をしている。そういう考え方の中で有識者会議をつくったわけで、最終的な政府の見解はまだ出していない。私たちはこのように考えて有識者会議をつくった。
ちなみに立憲主義については、東京新聞より
<立憲主義> 国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考え。日本国憲法の基本原理と位置付けられている。
追記
なお意識レベルに関しては、私どもが個人的に調べているだけのもので、証明はございません。ゆえに、この件で、信じる信じないは、読まれた方のまったくのご自由です。
嘘に嘘を重ねて虚勢を張っている人は、いつその嘘がばれるか「恐怖」を感じているって、まさにその通りでしょう。。。
「罪」という字の字源をたまたま知ったのですが、もともとは、自分の「自」の下に「辛」と書くのが「つみ」だったそうです。
秦の始皇帝が皇帝という称号を使うことに決めたときに、よく似た字で紛らわしいということで、「罪」という字に変えたのだそうです。
「自」の下に「辛」と書いた字が「罪」を表す字って、まさに、その通りですよね。
自分が辛い、つまり自分偽ることは、「罪」ってことなんですから。。。
「恐怖」に駆られている人は、自分が発した嘘や偽りによって、自ら「罪」を背負っているのかもしれません。。。
1351
>「罪」という字の字源をたまたま知ったのですが、もともとは、自分の「自」の下に「辛」と書くのが「つみ」だったそうです。
知りませんでした、そうなんですか!
思わず、鉛筆でその字を書いてしまいました。
そう考えると、漢字って深いですね。
>「恐怖」に駆られている人は、自分が発した嘘や偽りによって、自ら「罪」を背負っているのかもしれません。。。
まさに、そんな感じ。
単に犯罪を犯したから、罪があるという、それだけじゃなくて。
もっと哲学的というか、生きることの根源に関わるような。
自分を偽ることも、自分自身が辛くなってしまうことも、罪なら、
正直でいること、自分自身がいきいきと楽しく生きられること、それが一番ですね。
その自信満々さが怖いと感じます。
(余談ですが、白川前総裁は、「理性」でしたが理性の人は、理性であるがゆえに、フォースの威嚇に対してすぐ降りてしまいますね。野田さん福田さんの両前総理や、谷垣さんもそうでした。舛添さんも理性なので、自民党の圧力が心配でしたが、今のところ頑張っておられるのでほっとしました。できれば、愛をもってさらに強くなって自民党としっかり対峙してほしいと思います)
恐怖の総理とプライドの日銀総裁の両輪でなる経済政策が、良い結果をもたらすとは、最初から私には思えませんでした。
起こってみないとわかりませんが、どんな時も、助けあう精神があれば、乗りきれる。
自分のことだけでなく、社会全体が思いやりの心を持つきっかけになるかもしれません。