今年もたくさんの有名人の訃報が届いた。個人的に感慨深かったのは、幸福の科学総裁の死去であったが、今月になってついに池田大作氏の死去が報じられた。
こちらの記事。政治の力で抑えられていた宗教と政治の闇が、より明るみに出てくるだろうか。
特に後半部分で触れられている、宗教法人の法人税、相続税、固定資産税の非課税に対して、触れるのもタブーのような雰囲気だったけれど、公明党が弱体化し政権与党から離脱するとなれば、抑えていた箍(たが)も外れる可能性があるかもしれないという、事実になれば、大変喜ばしい話です。
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抜粋
■連立解消論浮上の自公“崩壊ドミノ”で学会が恐れること
2005(平成17)年衆院選比例区では898万票の過去最高得票を獲得。参院選比例区でも、2004年に862万票を記録していた。しかし、2021(令和3)年の衆院選比例区では711万票にとどまり、ピーク時と比べれば187万票の減少となっている。2022(令和4)年の参院選比例区では618万票と、ピーク時よりも244万票も減らしている。
創価学会票の低迷は、戦後の大量入会からかれこれ半世紀以上が経過し、彼らの多くが死亡、あるいは高齢化を迎え、次代の継承がうまくいっていないことを示している。
旧統一教会問題を発端として、創価学会にも「宗教2世」問題が降りかかっている。かつて、故郷を離れ、既存宗教から創価学会へと転じる若者がいたように、今度は学会から2世や3世が離れていっているのだ。池田氏の死去をきっかけにして教団組織が求心力を失い、一気に弱体化していく可能性も捨てきれない。
池田氏の死去が直接、宗教界全体への影響を与えることはないだろう。しかし、池田氏亡き後の、自公連立体制の動向に気をもむ宗教関係者は少なくない。
今年5月、公明党は衆院選東京選挙区で自民党の候補者を推薦しない方針を表明。両党の関係は良好とはいえない状況が続いている。にわかに連立解消論も浮上しているが、仮に公明党というタガが外れた場合に、宗教界に政治のメスが入る可能性もある。
宗教界が最も恐れるのが、宗教課税へと舵を切ることである。宗教法人は法人税や固定資産税、相続税などが非課税とされてきた。宗教法人への非課税優遇は、信教の自由を守るための必須事項ではあるが、一方で国民の反感・反発も大きい。それでも本格的に宗教課税の議論がなされてこなかったのは、公明党の反発が予想されたからだ。
池田氏の死去、それに伴う教団の弱体化によって、自公連立の枠組みを崩壊させるドミノ現象が起きた時、宗教課税という激震が走る可能性はゼロとは言い切れない。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
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抜粋
■連立解消論浮上の自公“崩壊ドミノ”で学会が恐れること
2005(平成17)年衆院選比例区では898万票の過去最高得票を獲得。参院選比例区でも、2004年に862万票を記録していた。しかし、2021(令和3)年の衆院選比例区では711万票にとどまり、ピーク時と比べれば187万票の減少となっている。2022(令和4)年の参院選比例区では618万票と、ピーク時よりも244万票も減らしている。
創価学会票の低迷は、戦後の大量入会からかれこれ半世紀以上が経過し、彼らの多くが死亡、あるいは高齢化を迎え、次代の継承がうまくいっていないことを示している。
旧統一教会問題を発端として、創価学会にも「宗教2世」問題が降りかかっている。かつて、故郷を離れ、既存宗教から創価学会へと転じる若者がいたように、今度は学会から2世や3世が離れていっているのだ。池田氏の死去をきっかけにして教団組織が求心力を失い、一気に弱体化していく可能性も捨てきれない。
池田氏の死去が直接、宗教界全体への影響を与えることはないだろう。しかし、池田氏亡き後の、自公連立体制の動向に気をもむ宗教関係者は少なくない。
今年5月、公明党は衆院選東京選挙区で自民党の候補者を推薦しない方針を表明。両党の関係は良好とはいえない状況が続いている。にわかに連立解消論も浮上しているが、仮に公明党というタガが外れた場合に、宗教界に政治のメスが入る可能性もある。
宗教界が最も恐れるのが、宗教課税へと舵を切ることである。宗教法人は法人税や固定資産税、相続税などが非課税とされてきた。宗教法人への非課税優遇は、信教の自由を守るための必須事項ではあるが、一方で国民の反感・反発も大きい。それでも本格的に宗教課税の議論がなされてこなかったのは、公明党の反発が予想されたからだ。
池田氏の死去、それに伴う教団の弱体化によって、自公連立の枠組みを崩壊させるドミノ現象が起きた時、宗教課税という激震が走る可能性はゼロとは言い切れない。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
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おみくじやお賽銭頼りの地元の氏神様、小さな神社など、非課税であってもそれは当然とは思います。
お参りにくる方たちの気持ちみたいなものだから。
しかし、戦後に立ち上がった大きな新興宗教団体は、信仰と個人と間に多額のお金が入りこむ関係性自体、違和感があります。
個人の祈りは個人のものだから。
たいていが都会の一等地にお城のような立派な施設を作って、資産目当ての芸術作品を買い集めて。
信者のお布施…献金…祈願料は、額が多ければ多いほど功徳があるようなことをいう。
いくら払っても、領収書もよこさない。
極めつけは、法人税・固定資産税・相続税非課税。非課税だから経理は、ブラックボックスで許されている。
信者のカネを集めるだけ集めて、非課税制度にあぐらをかいて、制度を悪用しているみたいに思えてしまいます。
若い頃、私は、知り合ったばかりの人たちに、だまされてS学会のイベントに連れて行かれたことがあります。
体験談なんかを発表したりした後、細かいことは忘れましたが、最後に歓喜の中、高揚した信者たちが、舞台上に我も我もと駆け上がり、音楽に合わせて旗を振っていて・・言葉もありませんでした。
何も疑問も持たず言われたとおりに、ひたすら「前向き」「ポジティブ」に旗を振れるなら、人生、どんなに楽だろうと思いました。
とはいえ、今でも他人に旗を振れと言われて、振る気持ちはありませんが。
いい悪いは別にして、個人の信仰は自由です。だから、一人でやっていてくれと言いたいです。なぜに家族や他人を巻き込むのでしょうか。
(その組織が信者を増やして、ますます勢力拡大したいという欲望が、そこにあるのでしょう)
時代は、人類の文明は、進化というより退化しているのではないかと思うようなことも多々あるわけですが、上下左右にグルンルグンと変化し続けている・・気がするここ数年です。
今の混乱の時、いつ終わるのかもわかりませんが、いつかきっと終わったときには、この社会がどうか良い姿になっていて欲しいと願ってやみません。