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新国立白紙撤回でも周辺住民に立ち退き要求

2015年07月28日 | 社会のニュースを考える
今年の2月に「緑の中の「新国立」by日本学術会議」という記事を書いたときに、国立競技場の周辺住民の方から、コメントを頂いたことがあります。
 →コメント

国立競技場の周辺近くの住民たちが立退きを迫られていることなど、当時まったく知らなかったもので驚いたのですが、その後どうなったのか個人的にも気になっておりました。
巨額の費用のかかる新国立のデザインが白紙撤回になったことは「良し」として、この住民の方たちの転居計画は、そのままだということが、東京新聞の「こちら特報部」(7月25日)の取材でわかりました。



写真:東京新聞2015年7月28日



都営霞ヶ丘アパート取り壊し計画 新国立白紙でも、立退き?

国立競技場跡地の南にある都営霞ヶ丘アパート。巨大な新国立競技場のデザインは白紙になったが、施設規模が固まった2012年7月、周辺地として都から取り壊しを通告された。今も135世帯が暮らすが、来年1月までの他の都営住宅の分散転居計画は覆されていない。まれにみる新競技場をめぐるドタバタ劇。住民たちにやるせなさが募る。(沢田千秋)


記事の住民の方たちの言葉を幾つかご紹介します。

「あんな化け物みたいなデザインは最初から大反対だった。しかも維持費が膨大で、子どもたちにまで迷惑がかかる。立ち退くは大変で、心身ともにしんどい。せめてこの素晴らしい外苑の景観にあった、小さくて機能的な競技場にしてほしい」(60歳女性)

「森(喜朗)さんは『たったの2500億』と言った。2500円じゃない。もう使ってしまった59億円も戻ってこないんでしょ。そんなにお金があるのなら、私たちが一緒に住めるアパートをどこかに建ててほしい」(88歳女性)

「移転を前に、お年寄りが不安定になっている。昨年暮れの説明会では、ある住人の女性が『アパートを取り壊すなら、ここで寿命を全うしたいから、私を焼き殺せ』と怒鳴った。穏やかに過ごさせてあげられないものか」(61歳女性)


若い時は、どこでも引っ越せるかもしれませんが、長い間に培ったコニュニティーもまた住居環境の一つであり、特に高齢になってから、そういうものを政治の介入で破壊されるなんて大変つらいことだと思います。

今朝の東京新聞より。

新国立白紙も都営アパート撤去は続行 計画変更せず

 二〇二〇年東京五輪・パラリンピック大会の主会場となる新国立競技場の建設計画が白紙撤回されたにもかかわらず、東京都が、跡地の南にある都営霞ケ丘アパート(東京都新宿区)の取り壊しを旧計画通り進める方針であることが二十七日分かった。
 霞ケ丘アパートは一九六〇年から六年かけて、十棟建てられた。撤回された建設計画では、新国立競技場は旧競技場より大規模な施設とし、アパートの敷地も公園にすることにしていた。都は二〇一二年七月に取り壊しを通告。住民の立ち退きは始まっているが、残った住民の多くは住み慣れた土地を離れることに難色を示している。取り壊しは始まっていない。
 都の担当者は本紙の取材に対し、アパート取り壊しのため住民に転居を求める方針は変わらないと説明。「霞ケ丘アパートは計画敷地の対象範囲。デザインや工事、金額は見直しても(新国立競技場が)できるのは変わらない」と述べた。
 二十七日の民主党会合でも取り上げられ、出席した議員から「新国立の規模が縮小され、アパートを取り壊す必要がなくなる可能性はあるのだから、いったん白紙にすべきではないか」などとする声が上がった。

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たった2週間かそこらのために、なんとも情のない行政判断ですよね。役人は、役に立つから役人じゃなかったの?

前回のロンドンオリンピックの、自然体な感じに私は、かなりの好感をもったのですが、選手村に関しても、なるほどと思える結果を出しています。
とあるテレビ番組で知ったのですが、選手村は貧困層の多い地域に建設が決まり、そして、オリンピック終了後は、安い家賃で、その地域の人達が住めるような公営住宅に変わったそうです。

検索してみたら、2013年の記事だったけれど、こちらのサイトにも出ていた。
 →ロンドンオリンピックの選手村が、低所得者向け住宅として生まれ変わる!

ロンドンでは、2007年の金融危機以降、ローンを払い切れずに自宅を手放し、不安定な条件で賃貸生活を送っている人が数多くいるという。この層を対象に格安に住居を提供する。民間による開発だが、住宅の半分は地元自治体の住宅供給部門に譲渡される。


そして選手村のその後の2014年。
 →選手村のその後は?

五輪中は遠くから眺めるだけだった選手村。閉幕から2年近くかけて改装が進められ、一般の人が住めるマンションへと生まれ変わりました。計画では3,600戸の住宅ができることになっています。買物袋を下げた住民が選手村だった建物に帰って行くのはなんとも不思議な感じ、各国の旗がベランダに飾られていたことが懐かしいです。最寄り駅はストラットフォード・インターナショナルです。


2500億円なんて馬鹿げた金額でも、たったの2500億円という人がいる。そのどんぶり勘定の予算のごくごく、ごくわずかで、他に行き場のない住民の方たちが一緒に住める新たな共同住宅が作れるだろう。


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