いよいよ衆院選だけど、引退していく議員さんもいる。
私は、若い頃は政治家という人種が大嫌いで、なぜなら、二枚舌・腹黒でないと政治家にはなれないんだと思い込んでいたから、最初の頃は、投票にも行かなかった。
その偏見?を払拭してくれたのが、当時、社会民主連合(社民連)に所属していた菅直人議員だった。
私に政治家は悪い人ばかりではないと、教えてくれたその人だった。
菅さん、本当、好きだった。特に若い頃は、納得いかないことにはとことん、かみついたから、嫌う人もいたかもしれないけど。
私は、ずっと好きだったんだぜ。
2009年の政権交代。鳩山政権に続いて、菅政権ができるなんて、社民連の頃は少しも思ってはいなかったんですが、できた。そしてまさかの大震災、原発事故。
天は自ら助くる者を助くと言いますが、夜も官邸に泊まり込み、仮眠程度で毎日毎日、ほぼ24時間体制で、原発事故と向き合った。必死で命がけで、最善を尽くした当時の菅内閣であったからこそ、東日本がだめになってしまうという最悪のシナリオは回避されたと思います。
そうじゃないという人もいますが、私はそうだったと確信しています。
菅内閣の支持率が最後15%まで落ちたけど、最後の15%の支持者に入れたことが私の誇りです。
これは、1996年「サンデー毎日11月10日号」の1ページ。厚労大臣を務め薬害エイズ被害者救済の突破口を開いたあとの菅さん。
あの頃、やたら勢いがあったなあ、若く見えるけど50歳だったのね。
サブの見出しに「役所の考えに乗った改革はだめ」って書いてある。
政治の世界でもベテラン枠に入ってきた頃、3.11が起こった。
脱原発依存発言があってから、あちこちからボコボコに叩かれていた。
安倍さんが流した菅さんに対するデマを大手新聞社が堂々と報道し、菅さんの悪口なら何を言っても許されるとばかり、政・官・財・報、四方八方、人格攻撃もひどかった。
でも菅さんは、2011年の週刊朝日のインタビュー記事の中で以下のように述べている。
原子力行政は、役所の、経済産業省の見解に沿えば、脱原発依存発言はあり得なかった。
「役所の考えに乗った改革はだめ」
菅さんずっとブレてなかったですね。
すごい勢いで、脱原発依存に持っていったけど、菅さんじゃなければ、経産省と東電に丸め込まれて、そんなことは、口にも出せなかっただろう。
脱原発にむけて総理の一言
とはいえ、その後の、党内の小沢グループからも撃たれて、辞めなければならないことになった。
支持者としては悔しかったし、一度は支持してみた小沢さんのことを、大嫌いになった瞬間でもある。汗。
だけど当の菅さんは、叩かれても負けない強さだけでなく、次の展開に進める頭の切り替えの早さ、嫌なことも引きずらない明るさもあって、それがすごいなと思って・・・本当に好きだったんだぜ。
10月10日、今日は菅さんのお誕生日だ。
菅さん、長い間、ありがとうございました。どうかこれからもお元気で。
伸子夫人も肩の荷が下りたことでしょう。お疲れ様でした。
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★おまけ 宇宙の父さんのXより
菅直人が理系でよかったのは、自分の頭で重要な判断ができたことだね。
— 宇宙の父 (@Booskachan_Ver2) October 11, 2024
どれほど冷却が大事なのか、事故が起きた瞬間に理解していたし、冷却水の注入を急がせたときも、首相自身が再臨界リスクについて念を押している。
あんなことができる首相が、あのときの日本にいたのは、奇跡と言うしかないよ。… https://t.co/OE6bru73Ej