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「天空の蜂」は絵空事じゃない

2016年05月10日 | 脱原発
東野圭吾氏は名前くらいは知っているけれど、恥ずかしながら、小説は1冊も読んだことがありません。
今から21年前の1995年に、原発テロを主題にした小説「天空の蜂」が書かれていたことも恥ずかしながら知りませんでした。

5年前の福島第一原発事故のあと、その先見性に脚光があたり、昨年、映画化されています。
今年2月に起きたベルギーのテロでは、「原発も標的にしていた」ということがわかり、原発を狙ったテロということも、すでに絵空事ではなくなってしまったことを実感します。


映画『天空の蜂』予告編




<論説委員のワールド観望> 原発狙う「天空の蜂」
東京新聞2016/4/19

■テロ脅威現実味

 二月に起きたベルギー連続テロの容疑者が、原子力施設の技術者を監視していた疑いが出てきた。原発を標的にしたテロの脅威が、にわかに現実味を帯びてきた。

 原発テロの恐怖を描いたのが、東野圭吾氏が1995年に発表した小説「天空の蜂」(講談社)だ。

 「天空の蜂」とは、無人操縦が可能な超大型特殊ヘリコプター。ヘリを奪った犯人が、高速増殖炉の真上でホバリングさせて墜落させると脅迫し、国内の全原発の稼働停止を要求する―原発を人質に取った犯行だった。

 原発の危険性、原発作業員、地元感情など、東京電力福島第一原発事故でクローズアップされた問題を先取りした作品だった。しかし、当時は注目されなかったという。東野氏は「本当に自信作なんですよ。なのに無反応だった。…わざと黙殺されたなっていう気がしました」(講談社「東野圭吾公式ガイド」)と振り返る。福島の事故後、書店の店頭にならぶようになり、昨年、映画化もされた。

■不十分な対策

 荒唐無稽な物語との指摘もある。しかし、考えたくはないが、無人小型機ドローンの普及で、犯行は容易になっている面もある。

 脅威は「天空の蜂」だけではない。テロリスト潜入など「地上のアリ」たちだって原発を狙う可能性がある。

 原子力規制委員会の新規制基準でも、航空機が原子炉建屋に衝突することへの抜本的対策はない。

 それまで電力会社任せだったテロ対策として、特定重大事故等対処施設の設置を義務づけてはいる。緊急時制御室や予備電源などを備え、テロで原発の中央制御室が破壊されても、暴走は止められるようにするという。

 しかし、対処施設の設置には審査合格から5年の猶予が設けられ、直ちに対応すべき緊急対策としては考えられてはいない。

 ベルギーの事件後、欧州のメディアは、原発テロの脅威を論じている。

■やっかいな存在

 パナマ文書の報道で一躍名をはせる南ドイツ新聞(電子版)は、コンクリートで二重に覆われた原発しか航空機墜落には耐えられないと指摘。独有力週刊誌ツァイト(同)は、テロリストの潜入を防ぐため、原発の全ての作業を下請けに出さずに、電力会社が直接管理することなどを提言するが、100%の安全はあり得ないと強調。ドイツだけでなく欧州全体の脱原発が必要と訴える。

 たとえ停止して、廃炉になっても、使用済み核燃料がある限りテロ対策を考えなくてはいけない。原発のやっかいさはここでも際立つ。

 安全対策が甘い国も、テロリストに狙われやすい国もある。汚染は国境を越え、リスクは拡散しかねない。

 「天空の蜂」は墜落した。犯人からは「今回の試みは、我々からの忠告である」とのメッセージが届く。しかし、今、跋扈(ばっこ)しているのは、そんな親切なテロリストばかりではない。

(熊倉逸男)



「天空の蜂」は発表当時、作家の自信作のはずが、無反応だったとのこと。酷評されるならまだしも、無反応っていうのが…?
話題にすること自体避けたい内容だったのだろうか。

「…わざと黙殺されたなっていう気がしました」
1冊も読んだことのない私が書くのも僭越ですが、本人がそう感じるくらいなら、きっとそうなのだろうと思う。東野圭吾は、無名の作家ではなく、95年時点でも常に毎年作品が賞候補にあげられるような力のある作家のようだ。

90年代といえばバブルの好景気のあと、その名残もあって、マスコミへの電力会社の影響は絶大だった。
そういえば、この当時、反原発運動をしている方たちには、どこかの勢力から、執拗な嫌がらせが続けられていたって言うことだし。
 →反原発派へのおぞましき嫌がらせ

9日の東京新聞1面は、老朽化した原発を抱えるフランス・ベルギーに対して、隣国から「止めて」という要求が相次いでいるとの記事。
事故はもとより、ヨーロッパではテロが切実な問題だけに、原発テロが俎上に上がるのは当然だと思います。
一国だけが脱原発でも、隣国が持っているなら、その影響は国境を超えてしまうのですから。
 →国境越え「老朽原発止めて」 フランス・ベルギーに隣国から要求相次ぐ(東京新聞2016年5月9日)

日本でも、隣県から反対の声が上がったりしていますが、原発問題には、県境も国境もありません。
これは安易に、手を出してはいけないものだったのだなあと、いまさらですが、そう思います。
何につけても、重たい課題だけが残されています。


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