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虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

魂の縁

2007年04月29日 | 
昨日の「オーラの泉」に代理母出産で双子の母親になった向井亜紀さんが出ていました。
今の双子のお子さんたちの一人は、最初に向井さんが身ごもった赤ちゃんだったと・・・江原さんが言われました。
とたん、向井さんの目から涙がいっぱい溢れ出しました。
魂の深い縁は、どんな形であれ、必ずまた出会えるものなのだと感じました。

私は、17年前のある日、いつもの神社でお参りをしていたら、お宮の奥に小さなおじいさんが見えました。多分目で見たのではなくて頭のどこかで感じたのだと思います。そのおじいさんは、坊主頭でやせていて、布一枚を体にまとっているだけにも見えましたが、きっと徳の高い方なんだろうと思いました。
そのとき、結婚して6年たち、子供もいなかったのですが、なぜだか男の子が授かると確信にも似た気持ちがわいてきました。
そして、そのあと不思議な夢を見ました。

向かい合わせの座席の汽車のような乗り物に乗っていたら、それがふと停まりました。
窓から見える景色は、大きな湖のような所で、乗り物は水の上を走っていたらしい。
外を見ていると、突然きらきらと水が輝きだし、それが金色の光になってきました。
目を凝らすと向こうから金色の水の上を白い点のようなものがやってくる。その点はどんどん大きくなって、それが真っ白い馬であることに気がつきました。そしてその馬は、私の窓めざしてやってきて、ついにこちらに顔を突き出したのでした。
とてもかわいくて、私はその鼻先を撫でました。

目が覚めた後、縁起の良い夢を見たような気がしていいことあるのかも、と勝手に想像しておりましたが、そのあとすぐに子供を身ごもり、男の子が生まれました。
この数年の間に魂のことがいろいろわかってきて、今の息子とは、過去世でも何回も家族であったことも知りました。

現実の世界、子が親に「産んでくれと頼んだ覚えはない」なんてよく言ったりしますが、魂の世界では、子が親を選んでやってくるのでしょうね。
向井さんもたとえ法律がお子さんたちを実母と認めてくれなくとも、魂の家族であることに間違いありません。どうか強い心で、親子としての絆を深めていって欲しいと願いました。
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理不尽な死

2007年03月12日 | 

誰にも「死」は平等にやってきます。
そして誰でも、不幸な死よりは幸福に包まれた終わり方をしたいと望んでいることでしょう。とはいえ、古今東西、あまりにも理不尽な亡くなり方は、人の歴史にはつきもの、涙をのんで死んでいった人たち、あるいは涙をのむまもなく突然のトラブルに巻き込まれて、亡くなってしまった方たちも、多くいらっしゃるのです。
それは決して過去だけのものではなく、現在も事件、事故、陰謀などに巻き込まれて、命を落としてしまった方たちが多勢います。今現在も「悔しい、なぜ死ななくてはならなかったのか、何も悪いことなどしていないのに・・・」という思いの遺族の方たちもたくさんいらっしゃることでしょう。その方たちのために書きます。

「大丈夫、死んでも魂はなくならない、またきっといつか会えます」と。

飯田史彦さんの本を読むと、飯田さんは、例えば大きな事故に巻き込まれて亡くなった方たちから、家族に伝えるメッセージを頼まれて、突然出かけなければならないことがままあるそうです。
家族がいつまでも、嘆き悲しみ、誰かを恨んでいると、亡くなった方も気になって、なかなかあちらの世界にまっすぐ行きにくくなってしまうからだそうです。
それは亡くなった大事な人たちを忘れろ、ということではなくて、遺族がいつまでも起こった出来事で、誰かを恨み、憎しみ、怒りをもち続けていてはいけないという意味だと思います。

とはいえ、当事者になれば、私だって、そう簡単に納得できるものではないというのは、百も承知です。それでも書かなくてはならないのは、昨日の朝から、書け書けと頭の中で何かが言っているから・・・。
その怒りや憎しみをクリアーできた時こそ、自分の人生の試練もまたひとつクリアーできるのだということを・・・(私のような未熟者がいうのも僭越至極とは思ってるんですが。)
幸か不幸か、うちにも、ちょっとだけ亡くなった人間のコンタクトを受けられるAという人間がおりますので、いろいろな不思議に付き合っておりますうちに、それは本当のことなのだと、思うようになりました。心の中の恨みや怒りを捨て、前向きな気持ちにきりかえていくことで、自分も、亡くなった魂も、楽になれるのだということもわかるようになりました。



人は何度も生まれ変わって、いろいろな人生を経験します。
ワイス博士の前世療法の本に書かれていた事例には、第二次世界大戦中に、ユダヤ人だったがゆえにナチスの収容所で殺された人が、今はアメリカで白人として生まれ変わり、人種差別反対の運動をしていると、書かれていました。
理不尽な死を乗り越えた魂は、次の生でより高い意識を持つでしょう。
後戻りに見えてもやはり上へと上ってゆく螺旋階段のように、魂の成長には、どんな試練も意味があるのだと思います。
もし今、迷っていらっしゃる方、つらい思いを抱えていらっしゃる方は、どうか一度飯田史彦さんの「生きがいの創造」「生きがいの創造2」を読まれることをお勧めします。

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母から、小さなメッセージ

2007年03月07日 | 
亡くなった母の写真の横に飾っていたシクラメンの花が終わってしまったので、小さな鉢植えを求めて、お花屋さんに行ってみました。
ピンクの花が好きだった母。淡いピンクのアザレアの鉢に目がとまりました。蕾がたくさんついて、これからお花がいっぱい咲きそう・・・
そして、次に目がいったのが、黄色い、エニシダの鉢、遠目には、ミモザの花のような黄色い色に、なんとなくときめきました。
母が好きだったピンクか、ときめいた黄色か・・・
「どっちがいいかなあ」
迷っていると、
そばにいたAが、突然言いました。

「○○(私の名前)の好きなほうでいいって。」

Aは、ちょっとした特殊能力があるので、亡くなった方たちのメッセージをときたま、受け取ることがあります。母も、Aに言えば私に伝わることを心得て?いるらしく、Aは「伝言役に使われてるよ」と、このごろは開き直っています。

私の好きなほうでいいって、じゃあ、エニシダ?でも、そう言われたらかえって、自分の好みを優先させるのは悪いような気がして・・・
結局、両方買っちゃいました。(笑)

 

これは、エニシダ・・・お花やさんでは満開でしたが、今はだいぶ花びらが落ちてしまいました。
蕾がどんどん出てきましたので、これからまた咲いてくれるでしょう。



こちらは、ピンクのアザレア。おしゃれな名前ですが、ツツジの仲間です。
花が咲き出しました。両方とも、買ってよかったなっと。
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年末に母が戻ってきた

2007年01月11日 | 
年末に母が来てくれました。
と言っても、母はすでに他界してるので、私の目には見えません。
いつものように、見える能力のある身内のAが、教えてくれたものです。

生前、いろいろあって父とは、離婚も何度か考えたが、なんとか踏みとどまりました。(離婚がいけないこととはいえませんが、踏みとどまることも母の宿題のひとつだったのでしょう。)
過去の因縁で、つらいことも多かったと思うけれど、今生の宿題を乗り越え、自分の人生を全うできました。
ある方向から見れば、かわいそうだった母の人生ですが、またある方向から見れば、天晴れよくがんばった、というような人生だったのだと思います。

ちょうど夕食時でした。母は、食卓のひとつ空いたいすに腰掛けていました。
Aは、父に何かいうことはありませんか、と、心の中で語りかけたのですが、
「何もない」と言う答えが返ってきました。
恨みつらみは、生前いろいろ聞かされてはいましたが、やはりあちらの世界に行くと、何もなくなっちゃうのでしょうね。
Aがヘミシンクやキネシオロジーで出てきた、唐の時代の過去世のことも、母に確認したら、その通りだと言っていました。

それから、私たちに感謝していると言って、母はまたもとの世界に戻っていきました。

Aといるとこのような経験が時々あるのです。
ただし、こちらから呼ぼうと思っても来てくれるものではなくて、向こうとこちらの心の状態が合わないと、だめみたいです。

    

参考 「魂のふるさとってあると思う」
    「続・過去世を知る意味と、教育基本法」

     

大晦日の紅白で、とても感動した曲があります。
秋川雅史さんの歌う、「千の風になって」です。
母のこともあり、感無量な気持ちになりました。とてもスピリチュアルな曲です。
You Tubeでみつけました。こちらです

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続・過去世を知る意味と、教育基本法

2006年12月16日 | 
ブックマークにいれた「奥山医院の絶対幸せになるおやすみヒプノ」を聞いてみました。息を吐き出すときに、細胞の一つ一つにしみこんだ自分の悲しみや苦しみ、怒り、絶望を真っ黒~い煙をイメージしていっしょに吐き出してしまう・・・
私はこれをやってみたのですが、幸いなことにこの日は、体の中に黒いものが見当たらなかったのでした。つまりストレスと言うものが、なくなっていた・・・

認知症が入った父と同居し、その前昨年までの数年間、母の面倒を見てきたので、近所の人たちから、「あなたも大変ねぇ」と同情されつつも、私自身なんでもないことのように思えるのは、多分過去世のことを知ってしまったからではないかとも思います。

中国、唐の時代のころ、ちょうど今の家族がまとまって、あるひとつの人間関係を作っていました。詳しくは書きませんが、そこで不幸な出来事があり、今の家族関係のカルマを作りました。・・・信じる信じないは読んだ方のご自由です。(笑)
それらを俯瞰的に見ることにより、両親の不仲の理由も、兄弟夫婦との距離感も、みんな「な~るほど、そんな理由があるならしょうがないね」と、理解できるようになったのです。
今の事情だけなら、なんて心の冷たい人たちなのかと思うことも、過去の出来事を知ることで、魂の潜在意識の中で傷ついた記憶が、本人も無意識のうちにあのような態度をとらせてしまうのだと、心から納得できてしまったわけです。

だから、「ああ、そんなことがあったら仕方ない、私だって同じ立場なら、そんなこともあるだろうよ」と、おおらかな気持ちがわいてきて、許してしまうことができるようになったので、結果的に以前自分の中にため込んでいた怒りやストレスを手放すことができるようになったのだと思います。

また、過去世において、どちらかと言えば傍観者だったがゆえに、不幸な出来事をとめることができなかった自分というものを反省し、今、こうして家族のつなぎ役として勤めを果たしているのだろうと、自分の立場を理解できるのです。
だから私は、この状況を何があっても優先的に受け入れることこそが、今回の自分の使命とさえ思っています。

そういった意味においてこの人生がかけがえのないものであるのは言うに及ばず、魂の不思議を実感できる画期的な人生でもあったことが、素晴らしくうれしいことなのです。

しかし自分でまだまだ修行が足りないと思ったことが、昨日ありました。
自分の中に、真っ黒い怒りがわいてくるのを感じました。
このブログでも何回か書いていますが、あの教育基本法改悪案が、国会で成立したことです。怒りはフォースの餌になると、わかってはいるのですが、なかなか人間が出来ません。
しいて言うなら、教師だった過去世と権力に不当に裁かれた過去世もあったらしいので、私の中の無意識が、ブレーキのかからない怒りを生んでしまうのかもしれません。
冷静に事実を受け止め、次に何をすべきか考えている人たちを見習わなくてはと思います。
(・・・国会議員の過去世も知ったほうがいいのかしらね。 )

  

なお、前述の奥山医院についてですが、院長の奥山輝実氏は、飯田史彦さんといっしょに、「生きがいの催眠療法」という本を出されており、この本で多くの臨床例と共に魂の秘密も知ることが出来ます。

★参考 「過去世(前世)を知る意味
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来世を信じても自殺してはいけない

2006年12月09日 | 
この記事の続きです。

■来世を信じる小学生

「来世があるから、自殺してもいい」テレビで小学生がそんなことを言っていました。

私が幼稚園のころ、近所に教会があり、近所のお姉さんといっしょに子どもむけの日曜学校に通っていました。友達と仲良くとか、嘘をついてはいけませんよ、とか、そんな話を聞かされたような気もします。あまり覚えていませんが。
しかし、「来世」のことはひとつも教えてもらったことはありません。

小学校に上がって引越しをしたので、教会も行かなくなりましたが、三つ子の魂なんとやらで、なんとなく寝る前に、「イエス様、今日もありがとう。明日もお守りください」と、唱えてから眠りにつくような子どもでした。(今はキリスト教とは無縁の生活ですけど・・・)
しかし、「来世」のことは、何一つ知りませんでした。もちろん回りの大人からもそんな話は聞いたことがありませんでした。

小学校の3~4年生のころのこと、よく知っていたタレントさんが亡くなったニュースが、私の記憶に残る知っている人の最初の「死」です。それ以前にもあったのですが、幼すぎて記憶にありません。このあいだまでいた人がもう2度と会えなくなる、目の前からいなくなってしまう・・・その事実に子ども心に、強い衝撃を受けました。
そして、「死ぬ」ということが、誰にも避けられないこと、自分の大切な家族もいつかいなくなってしまうのだ・・・私はそれに気づいた数日間、こわくて眠れなくなってしまったこともあります。

だから、今の小学生が普通に「来世」という言葉を口にするのを、一種不思議な気持ちで聞きました。そういう時代になったんだなあとも思います。

人は輪廻転生する・・・古い経典にも、最近のスピリチュアルな書物にもいろいろとそのようなことが書かれていますが、実感がなければ、言葉ではなかなか信じられないものです。砂糖を知らない人にその甘さを言葉を尽くして語っても、本当には伝えられません。なめてみれば一瞬で、すぐわかることだけれど。

だから、人に生まれ変わりがあると感じたのは、私の個人的な見解や体感からで、この考えを否定する人に押し付ける気持ちはありません。むしろ「来世がある」と、普通にいえる子どもたちがうらやましいのと同時に、実際どこまでそれを理解してるのか、あまりに軽いのりで信じているのなら、今の日本では、逆に心配になってしまう・・・こともあります。
今回のように、それだから「自殺してもいい」と言っちゃう人や、それだから「幸せな来世のためにもこの宗教を信じてお金を寄付しなさい」とかいう組織や、その延長でオウムのようなカルトを妄信して犯罪まで犯してしまう人や・・・そういうこともあるからです。

■自殺がいけない理由1
  地獄と同じ苦しみ『反省の闇』


で、どうして自殺はいけないのか・・・
先週の堀ちえみさんゲストの回の「オーラの泉」という番組で、美輪明宏さんと江原さんが、スピリチュアルな面からお話をされたようなのです。見た方はご存知とは思いますが、なんと私は、途中からテレビを見たので、その部分を見過ごしてしまいました・・・がくっ。

しかし、私には心のバイブル、飯田史彦さんの「生きがいの創造Ⅰ・Ⅱ」がありますので、ここから抜粋させていただきます。
生きがいの創造Ⅱ」で、飯田さんが自殺した夫のメッセージを残された奥さんに伝える場面です。

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妻 「私が主人を許せば、主人は、暗闇から抜け出せるんですね?」

私 「ええ、より正確に言えば、ご主人は、生前奥様を大切にしなかったことや自分勝手な自殺をしてしまったことに対して、大変深い罪悪感を抱いていらっしゃるんです。そこで大いに反省するために、死後すぐ自らの意志で、『反省の闇』に入られたんですよ。ですから、ご主人が、自分を許せるようになって、『反省の闇』から出る自信がつくためには、まず何よりも、奥様のお許しが必要なんです。」

妻 「主人は自殺したために、地獄に落ちて苦しんでるわけじゃないんですね?」

私 「ええ、地獄というのは、死後大いに反省するときの、心の状態をイメージ化したものなのです。地獄という怖い世界そのものがあるわけではありません。しかし、人間として大きな罪を犯してしまった場合には、そんな怖い地獄に落ちるのと同じくらいに、深く反省することになるんです。その意味では、地獄という世界が実際にあるわけではなくても、地獄と同じくらいの心の苦しみを味わうことになるので、現実的には同じようなものなんですけどね」


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飯田史彦さんもいつも言われているけれど、生きているとき頑固でいやなやつ、といわれたような人も亡くなって魂だけになると、とても謙虚な気持ちになるそうなんです。
ですから、自殺という取り返しのつかない亡くなり方をした人は、自分を責める気持ちが非常に強くなり、自らが作った『反省の闇』の中で、深い罪悪感や後悔から抜け出せなくなり、魂本来の光の姿に戻れなくなってしまうのだそうです。

つまり、自殺がいけないのは、本人が亡くなった後、回りの人はなぜ気づいてあげられなかったのか、助けてあげられなかったのかと悩み苦しみ、あるいは自分のせいで自殺させてしまったのではないかと悩み苦しみ、ただでさえ反省している自殺した本人は、その苦しみを感じてますます後悔の気持ちがわいて『反省の闇』はどんどん増していってしまうからなのだそうです。地獄というものはないけれど、自らが作った地獄と同じ苦しみと書かれていますね。仏教で言うところの「成仏できない」ということのようです。

■自殺がいけない理由2
  試練は自分に課した自らの宿題だから、逃げてもまたやり直さなければならない

また、人は生まれる前に魂を成長させるため、あらかじめ、今度の生で自分が乗り越えるべき課題を作ってくるのだそうです。ですから、今起こっていることはたとえつらくても、乗り越えなくてはならない、自分が課した自分への人生の宿題ですから、どんなことがあっても向き合わなければならないのです。死んでしまったらまたその宿題が次の生へと繰越されるだけで、また同じ試練にチャレンジしなくてはならないかもしれません。もうちょっとで乗り越えられたかもしれないのに、また同じことをリセットして繰り返さなければならなかったら、嫌ですよね。
私も、自分のある過去世で失敗したことがあったようで、今でも当時の宿題をやり直している、という気持ちになることがままあります。

生きていれば、「災い転じて福となす」というように、起こった出来事がきっかけで、今まで向かっていた方向と別の方向が開けてくるかもしれません。絶対に自ら選んだこの人生を投げるようなことをしてはいけないのです。

      


 今出ているマキノ出版の「安心」1月号に 飯田史彦さんの

  心が晴れ渡り、喜びあふれる言葉と風景
  飯田史彦・福島大学教授の 《生きがいの扉》


というグラビアページがありますよ。
思わず、ほおっとなるような美しい写真とメッセージです。本屋さんに行ったらチェックしてみてくださいね。
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死んでも生き返る?

2006年12月05日 | 
近頃気になることがあります。「死んでも生き返る」と思ってるこどもと、「来世があるから、自殺しても来世で幸せになる」と思ってるこどもが、案外多いとあちこちから聞くようになりました。
前者に関して、よくコメントを書いてくださいます非戦さんの日記にまた、驚くような数字が書かれていました。
法事のときのお坊さんのお話だそうです。 以下、線内に原文一部を抜粋させていただきました。

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法要のあと、お坊さんが「死んでも生き返ると考えている人は?と小学6年生、33人に聞きました。そのうち何人が生き返ると答えたでしょう?」と参列者に聞きました。
結構いるんだな、とは思いましたが、何人だろう?私は、6人から10人のところで手を上げました。
と、と、ところが、28人ですって!、

信じられません。だって、小6くらいなら、サンタさんもいるとはもう信じていない年でしょう。

佐世保で同級生を殺した女の子が、「(殺した)友達に悪いことをした。かわいそうなことをした。謝りたい。」と言いました。でもそのあとに「その(死んだ)友達が生き返ったら、謝りたいので、教えてね。」と言ったそうです。


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■今の体は1回きりしか使えない。

33人中28人っていいますと、死んだら生き返ることはないのだと理解してる子が、たった5人しかいないってことですよね。私も、この数字に愕然としてしまいました。12歳ですから、人生経験は少ないとはいえ、ペットも飼ったことがあるだろうに・・・本当に死に関して、実体験がないということなのでしょう。
その上、亡くなった人が数日間、生きているときと同じように蘇って再会するという設定の映画やドラマが大ヒットしたりしています。
しかし、大人は、これは現代のファンタジーなんだと理解しながら見ていたでしょうし、非戦さんも書かれているように、子どもでも12歳ともなれば、理解できる年齢のはずですよね。
ちょっと不安に感じたのは、ファンタジーをファンタジーとして受け入れることの出来る力が、養われていないんじゃないかということです。

私自身の未熟な子育ての経験からしても、子どもは3~4歳くらいまでは、テレビのヒーローが実在すると信じていました。(現実とお話の境目がない幸福な日々でもあると思いますが)しかし、体の成長と共に、実体験をつみながら現実とバーチャルが違うものであるという理解を深めていきました。
たとえ核家族であったとしても、ちょっと前までは、子ども自身が小動物や昆虫などを飼ったりして、命の愛しさやはかなさを知らないうちに感じていたんじゃないかと思います。うちの息子も、幼いうちにすでに金魚や小鳥やカブトムシなどたくさんのかわいがっていた生き物の死に直面して、何度も何度も泣きながら、いろいろなことを学ばせてもらっていたと思います。

12歳なら、親からしてテレビゲームになじんでいる世代も含まれているでしょうし、生まれたときからゲームは身近にあったことと思います。だとしたら、バーチャルな世界ばかりに偏ってしまった結果なのでしょうか・・・どこかの部分が欠落してしまったのではないかと思ったりもして・・・私の心配しすぎだったらいいのですが。

ただし、肉体はなくなっても魂はなくならないと、私も感じていますから、一方的に彼らの気持ちを否定はしませんが、これだけは、子どもたちに言わないといけませんね。亡くなったおばあちゃんには、夢の中では会えても、リアルな現実では、もう会えないのです。
(魂となってそばに来てくれることはありますが。またその際、あなたにメッセージを伝えてくれるとしても、あなたを困らせるようなことは言いません。魂になるとみな喜怒哀楽の怒りと哀しみが取れて、喜と楽になってしまうからだそうですよ。
だからご先祖が困ってるから、お墓を直せ、仏壇直せ、この壺を買え、このご本尊を拝めと言ってくる人たちにだまされないようにしてくださいね。)

魂はなくならないけれど、今の体は、今の生、一回きりしか使えません。
体は魂の乗り物だから、体がなくなったら、もう今と同じ生活は2度と出来ないんですよ。だからこそ、今の自分の体を大切にしなくてはね。

■自殺したら、自分の後悔で魂のふるさとに帰りにくくなる、人生から逃げてもまた同じ試練が・・・

それから、もうひとつのびっくりしたこと、「来世があるから自殺してもいい」といっている人たちにも、お伝えしなくてはなりません。
これに関しては、書き出すとちょっと長くなりそうなので、明日かあさってか、しあさってくらいに、もう一度記事にまとめますね。
なお、上記、赤見出しは、私の人生に対する見方を変えたといってもいい飯田史彦さんの著書「生きがいの創造Ⅱ」に書かれていたことです。(続く)
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過去世(前世)を知る意味

2006年10月29日 | 
肉体は滅んでも、魂に終わりがないことは以前ちょっと書きました。魂は何度もこの世に生まれてきては、多くのことを学び少しずつ成長して、魂のふるさとに帰っていく。つまり輪廻転生ということですよね。

だけど、この世に生まれてきたときに、自分の今までの記憶をリセットして出てくるそうなので、特別な人を除いて、たいていは自分の過去世(前世)を覚えてはいないし、そんなことがあることすら知らないで生きています。
もし、そういうものがあるのなら、自分の過去世(前世)を知りたいなぁと思うのは、人情ってものかもしれませんが、この世に生まれてくるのは、魂の成長のためですから、もし過去世で自分を殺した人を覚えていて、その人に今生で出会ったとき、今生の学びは、「彼の苦しみを理解し、許すこと」であったとしても、そんな生々しい記憶があれば、とてもじゃないがそんな学びをすることは出来ません。

しかし、このところ、過去世についてずいぶんと理解が進み、私たちはいくつかの方法で自分の過去世について知ることができるようになりました。
有名なものは、アメリカの精神科医ブライアン・L. ワイス博士が行った、退行催眠によって、過去世を思い出すやり方です。(先日「アンビリーバボー」というテレビ番組でも、この特集がありました。)
もともと、博士は過去世を知るためにはじめたことではなくて、過去のトラウマからの解放が現在の苦しみを癒すという視点で、物心つく前の記憶の中にあるトラウマを探し出すことを目的としていたわけですが、ある患者さんが突然、生まれる前の記憶を思い出し、さらにさかのぼって、前世の記憶を思い出し、その前世で傷ついた理由を癒すことによって、今の苦しみから解放された、というケースがあったことから、始まったものなのです。
詳しくは、ワイス博士の「前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 」という本に書かれています。

そして、いまひとつ注目されているのは、米国モンロー研究所の開発した、「ヘミシンク」という音響技術を用いて、右脳と左脳の脳波をコントロールし、テレビのチャンネルを変えるように、普段の生活とは別の次元にフォーカス(焦点を当てる)するというやり方です。催眠術とは違います。
例えば、フォーカス10というのがありますが、体が眠っていて、意識が覚醒している状態です。これは初心者でもすぐに体験できるし、人によってはこの状態は、機械を使わなくても経験があるかもしれません。
この経験をつむと、自分の過去世を見たり、宇宙の果てまで行くことが出来るようです。(もちろん、これは体のことではなくて、自分の「意識」が・・ですよ)
これについては、 「死後体験」(坂本政道著)という本に詳しく書かれています。

私は、このどちらも経験はありませんが・・・ヽ(´o`; オイオイ。
しかし、かなり身近に、ちょっと普通の人が見えないものが見えたり聞こえたりするような人間がおりまして、この人がヘミシンク体験中なので、なんとなく(ついでに?)自分の過去世も知るともなく知ってしまうことがままあります。つまりこの人とソウルメイトだったらしく、何度も同じ国、同じ時代、同じ場所に、夫婦、親子、兄弟として身近にいたようなのです。
過去世は、ひとつではありません。立派な身なりのときもあれば、粗末な服を着ているときもある・・・日本人であるときもあれば、中国や、ヨーロッパに生まれたときもある。そこでどこにいてもリアルな人間関係があり、同じようなことに悩み、同じような考え方をし、今とたいして変わらないと感じます。(←私の場合ですよ。成長が遅いってことでしょうか・・・ )
しかし、自分の過去の出来事を俯瞰的に見ることによって、今どうすべきかという方向がみえてくる気がします。

かつてはアフリカで、かつては中国で、かつては古代日本で、人は、さまざまな場所や立場に生まれ変わる、ということを知ると、ひとつの民族とかひとつの宗教にこだわること、またそれによって争うことが、どんなにばかばかしいことであるか、よくわかります。

先に書いた、前世療法のワイス博士の著書「未来世療法」によれば、キリスト教徒や、イスラム教徒を繰り返している人がありました。彼はそのつど、怒りに震え、自分の敵がどんなに悪いかと強調していますが、どちらの立場になっても言うことは同じでした。
彼の学びは、「相手を許し、怒りを手放すこと」・・・これが出来ないうちは、未来もやはり同じことの繰り返しでしょう。

最後に、過去世は知ってもいいけれど、そのタイミングが許されないなら、それはまだ知らなくもいいということなのでしょう。
霊能者や占い師と称して、高額なお金を取ったり、過去の因縁を払うといって、同様にいろいろなものを買わされたり、そういう人(団体)には気をつけてほしいと思います。
単なる占いやお遊びの範疇ならまだしも、こういうことを悪用する不徳の輩によって、過去世に縛られたり、悩んだりするのは、本末転倒ということも付け加えておきます。
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そんな学校行かなくていい

2006年10月17日 | 
前担任がいじめの発端? 福岡の中2自殺 頻繁に差別的発言(西日本新聞) - goo ニュース

もし、学校が子どもの人としての尊厳を、傷つけるようなところになってしまっていたなら、子どもたちにも親たちにも私は言いたいのです。

そんな学校、行かなくってもいいよ。と。

体裁や世間の目なんかより、大事なこと。自分が壊れてしまったら元も子もないのだから。取り返しのつかないことがおこってからでは遅いのだから・・・

   

生きがいの創造」ほか生きがいシリーズ著者飯田史彦氏の研究によると、人は生まれる前に自分の人生の設計図を描いて、自分の魂の成長のために課題を出して生まれてくる、ということです。少年は残念ながら自ら命を終わらせてしまったけれど、死んでしまったことで、終わったのではありません。彼の死を残されたものは受け止め、このことで学ばねばならないことはたくさんあります。

彼を傷つけた教師は、「一生(罪を)償っていきたいと思います」と言いましたね。法律では、犯罪者にはならないかもしれないけれど、教師と言う立場でありながら、悪意を持って発した言葉が誘因となって、人の命を奪ってしまったのです。

ニュースを見て、私は一瞬、この教師は自殺しなければいいがと思いました。おそらくは今頃、全国から抗議の電話や手紙やファクシミリがこの学校や教師のところに届いていると思うし、教師は少年が味わったいじめのつらさを、身をもって感じているかもしれません。しかし、自ら死ぬことが、罪を償うことではありません。

教師は、何かの形で、自分を見つめなおしてほしい。なぜ彼をからかったのか。子どもに向けた自分の行動は、なぜ起きたのか、自分の言動の理由はどこから来たものだったのか・・・。教師になった理由はなんだったのか。

そして、いつか、自殺した少年と同じようにいじめられて苦しんでいる子どもたちと、他の教師の前ですべて話してほしい。2度と同じような事件が起こらないように。
それが自分の命を捨てていじめに抗議した彼に対する、唯一の償いであるのだと思います。
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「魂のふるさと」ってあると思う

2006年10月12日 | 


昨日、「オーラの泉」という番組を見ていたら、江原啓之さんが、丹波哲郎さんのお葬式で、
「(亡くなられた)丹波さんが、棺の上にこうやって足を組んで座って、笑っておられた・・・」
と、言われたのが印象に残りました。

実は私のごく近い身内に、江原さんには及びませんが、普通の人に見えないものを見てしまう人がおりますので、そういう人に四六時中付き合っている身としては、さもありなんと思ったお話でした。
お葬式のように、亡くなったばかりの時には特に、故人がそこにいるのが見えたり、故人の声が聞こえたりするのだそうです。

ですから、私は今では、人は亡くなって体はなくなるけれど、魂はなくならないだろうということを、ほとんど確信に近い状態で信じております。

昨年、母が亡くなりましたが、病院であと2~3日といわれ、意識不明の状態のときも、体はベッドの上で、いびきをかいて眠っておりますのに、目で見る体と別に、もうひとつの体が、すっと浮き上がってこちらに向かって手を振ったのを知っています。ベッドの上では苦しんでいるように眠っているのに、もうひとつの体は、にこにこ笑っていたといいます。
「お母さんが、こっちに向かって笑ってるよ」
と教えてくれたので、
「え?」
と私が言われた方を見たら、
「ほら、今おかあさん、手を振ったよ。」と教えてくれました。

旅行が好きだった母でしたが、闘病中の3年間はどこへも行けなかったので、私が、手を振りかえしながら、
「もう自由に好きなところへ行けるんだよ」
と、母に言いますと。

母は、納得したように、私たちになぜかくるっと背中を向け、壁の向こうにすうっと消えてしまいました。

しかし、そのあとがありました。
当時は、家にいても、病院からいつ電話がかかってくるかわからないので、電話が鳴るとドキッとするのでしたが、なぜか、どんどん電話が鳴り出しました。
相手は、母の昔の友人やら、カルチャースクールの先生やら、遠くの親戚やらからです。
「○○子さん(母の名前)に、どうしても連絡したくなって・・・」
「夕べ夢に出てきたので・・・ちょっと気になって。」
そんな理由で、あちこちから、かかってきました。

私は、体から自由になった母が、くるっと回って、一足先に自分の人生に関わった人たちに挨拶に行ったのではないかと思っています。
その後、数日たって母は、本当に亡くなりました。

お葬式のとき、母の友達で仲のよかった人が
「お母さん、うちに来たのよ。いつもみたいに玄関が開いて、はいってきたの。
あ、○○さん来たなって思って、玄関に行ったら誰もいないの。でもお母さんが来てくれたって思っているのよ。」
と泣きながら話してくれました。
私は、「それは本当にそうなんですよ、母はみんなに挨拶に行ったみたいです。」と答えました。
どこまで信じてもらえるかはわかりませんでしたが。

だって肝心のお葬式のとき、母はどこにもいませんでした。
父や弟の仕事関係の人ばかりが集まったお葬式にそれほど、執着はなかったようだし、第一、逢いたい人たちには会ってしまったからかもしれないなあ、なんて思ったりもしています。

後日、病院の後始末を済ませたあと、その霊感の強い身内と二人で、母が病院帰りによく行ったお蕎麦屋さんに入りお蕎麦を食べました。
そのとき、母に病名もちゃんと告げず、何の準備もさせないまま、逝かせてしまったことなど、くよくよしておりましたら、突然、
「ありがとう。これでよかったの。これから、あなたたちは強く生きて。」
と、母からまたメッセージが届きました。

母は、無事、魂のふるさとに帰ったのだと私は思っています。
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