昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

儚い命

2021年05月26日 04時45分31秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

海に落ちた話
もう一つ

昭和36年 ( 1961年 )
の物語である。


儚い命
「 子供が海に落ちた 」

そう聞きつけて、吾々は天神鼻に駆った。
3分程、奔ったであらうか
到着すると既に海から引き揚げられ、母親に抱かれていた。
見れば、私の妹 ( 4才 ) ほどの幼い少女であった。
・・・リンク→
海に落ちた妹
干潮なら砂地の処

アサリを採ったり、ゴカイを捕ったり、する浜辺である。
この時、浜は水に浸かっていたのである。

「 さっきまで、此処で ( 道で ) 遊びょうたのに 」
五年生の兄貴がしょんぼり・・そう、話していた。
目を離した間に居なくなったと言う。

既に息がない。
ヤジウマの一人が声をかけた。

「 ヘソとヘソをくっ付けて三回まわるんじゃ、
まわったら 今度は反対向きに三回まわるんじゃ、
ほいたら、生きかえる 」 

ワラをもすがりたい心境の母親、
助けんが為には何でも試用と
言われるままに、やってみた。
すぐ傍にいた親戚であらう若きオバサン
その様子を見るなり笑い出した。
然し、幼い少女はぐったりしたまま、
なんの変化もなかった。
そんなおまじないで、助かろう筈もなからうに。
今まで笑っていた若きオバサン、終った途端に大泣きに変った。
それは、なんとも異様な光景であった。
吾々は、茫然と佇んで、それを観ていたのである。

結局、少女は蘇生しなかった。


幼き少女のあまりにも儚い命

これも一つの一生・・・運命なのであらう。
然し、我子を殺した・・と
親からしたら、悔やんでも悔やみきれない。
自責の念は消えぬことてあらう。
嗚呼・・・・
言葉にならない。

悲しみも極限を超えると
人は感情をコントロール出来なくなる。
斯の若きオバサンの笑い・・・きっとそうなのであらう。
確かに深い悲しみの中にあった、そして可笑しくって笑った。
然し、その笑いは
悲しみの中から湧き出た絶望の笑いだと

・・・私は、そう想う。


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