昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

記憶しない大切な想い出もある

2016年12月04日 00時03分16秒 | 6 バブルの頃 1986年~1988年

 イメージ
東京モノレール・・私は一度も乗ったことが無い
新婚旅行
羽田から東京駅までの往路
                       乗換
大阪空港・・・・東京羽田空港 ・羽田 ・・浜松町・浜松町 ・・東京 ・・皇居・・九段会館
                  モノレール・15分         山手線    徒歩
更に
羽田までの復路
                乗換            乗換
九段会館・・・・東京 ・・浜松町 ・浜松町 ・・東京羽田空港 ・・・・仙台空港
         山手線                 モノレール・15分               
こともあらうに
東京駅から羽田までの往復、
此の二つの道程を完全にワープしている。

いかんせ・・真っ白 なのである。
「 ( 地図も時刻表も ) 何に一つ持たずに、スイスイ・・と移動するのに感心した 」
・・と、吾妻は言う。
妻は確かに、東京モノレールに乗ったと謂う。
然し、私は乗らなかった。
何故なら、乗った記憶が無い。・・・のであるからして

皇居二重橋
昭和59年 ( 1984年 ) 4月15日
これ以降の記憶は鮮明に甦るのに・・・


新婚旅行は何処でも構わない
無くてもいい
・・と
なんともしおらしい

この言葉を素直に 真に受けたる私
若き日の熱き吾想い叶えんと
昭和維新の地を馳せた

吾はもう夢心地・・哉
吾想い叶えたり
・・・と
リンク
男のロマン 大東京 二・二六事件 一人歩き (二)


私は、海外旅行が
 したかったのに 」
 ・・
と、吾妻

私にとっては、絶対忘れるべく筈のない
大切なるもの
にもかかわらず、記憶しない ・・・
不思議なる哉である。


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