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市川右太衛門の旗本退屈男
額の三日月傷は天下御免、日本人ならば誰もが知るところ也
「 天下御免の向う傷 」
4才の私
額には三日月傷
戯れに叔母が口紅にて画いたもの
腰には刀を差した
得意になった私、颯爽と表通りを歩いた。
果して、惟ったとおり
出遭う人、出遭う人が
「 オッ、退屈男 」 と、囃し立てた。
ははん
皆の反応に気を能くした私は
一段得意に為って調子に乗って
村を闊歩したのである。
弘願寺保育所 昭和35年(1960年) 本堂の前庭で撮影 中列左4人目
昭和35年 ( 1960年 )
6才・年長さんの吾々
来る学芸会の話題で花を咲かせていた。
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「 主役はわしがするんじゃ 」
と、私
主役は歴代、花田(家)のもん(者)がする・・とそう信じ込んでいた。
常々、祖母から、叔父達から、両親から、
そう擂り込まれていたのである。
6年前、叔父 が主役で 「アンリンマル 」 を務めた。 1才頃・叔父と
だから、次は私の番だと。
その時の衣装も、私が使う為に・・と、園に残してあると謂う。
祖母から、叔父から、母から、そう聞かされていた。
そのこと、私は得意気に皆に喋ったのである。
「 アンリンマル、ゆうて強いんじゃ 」 ・・・そう、皆に威張ったのである。
ところが然し
斯様な話、なるほどと想って聞く者なぞ誰一人として居やしない。
「 アンリンマル・・知らんけん
あんじゅとずしおう・・じゃろう 」
「 ずしおうは そがに強うはないじゃろ 」
・・・と、親男君が嘲笑った。
彼に調子を合せて、彼の取巻きも笑った。
嗚呼 口惜しや
・・と、その時 オボーサン・昭和36年
「 いや、そうじゃない 」
弘願寺のオボーサン ( 村の誰からもそう呼称されていた )
そう云って話に割って入った。
そして
「 アンリンマルはな
こう刀をもって
こう歩いて
こんなに勇ましい 」
此ぞと、身振り口振りを以て皆に示した。
オボーサンにそう云われれば、さすがの親男君も納得せざるを得ない。
おかげさまで、私は面目を保てたのである。
然し、せっかくの私の面目、何処吹く風や、
学芸会では、殊更誰彼を主役とする大時代的な演目は、行われなかった。
だから、私が主役として、アンリンマルを演じることなぞなかった。
いや、そもそも端っから無かったのである。
此を 肩すかし と謂う。
己の想いどおりにゆかない・・もの
まにうけた私が馬鹿だった。
ありときりぎりす
吾々年長組の演目は、 『 ありときりぎりす 』
私は、きりぎりす役に付いた。
演じるに不可欠なのが役を示す面で、此を各自で用意せよとのこと。
きりぎりすの面を作らねばならない。
貞子(てい)さんのお父さんは絵が上手ともっぱらの評判であった。 ・・・リンク→貞子さん(ていさん)
そこで、彼に殿さまバッタの絵を画いて貰うことにしたのである。
果たしてその出来栄えたるや、さすがに評判とおり立派なものであった。
「 わしのキリギリスが一番じゃ 」
・・・と、鼻が髙かった私 勢い調子に乗った。
同役の梶浜君のものに目を遣り
「 これ、違おうが、キリギリスじゃなかろうが 」
「 イナゴ、じゃろが 」
「 違わんわい、イナゴも、バッタじゃ 」
・・・
余計な一言
今も変わりゃしない
私は、7番目末っ子キリギリス
ありさん役のよしこちゃんに
「 まあ、こんなに冷たいおててをして 」
と、手を握られる。
・・・そんな役柄であった。
そして、女の子に手を握られるという幸運、私一人賜ったのである。
然も、相手は大好きな よしこちゃん
よしこちゃんに手を握られて、照れくさいやら、嬉しいやら
「 幸せいっぱい 胸いっぱい 」
一人良い目をした・・と、そう想ったのである。・
昭和35年(1960年)頃
娯楽の主役は映画
市川右太衛門の旗本退屈男
月形龍之介の水戸黄門
・・吾々は、大きな映画看板を見るだけでもワクワクしたものである
大友柳太郎の黒ずきん
・・当時、私の一番好きな俳優さんであった
美空ひばりの一人二役、三役
・・一つの画面に二人の美空ひばり、そして面と向き合って喋っている
少年の私は其れを「アナ不思議」・・と、そう想った
大川橋蔵の新吾十番勝負
・・母と向の映画館で観た映画である
高田浩吉、中村錦之介、東千代之介、片岡千恵蔵 ・・等々
東映時代劇は豪華絢爛だった
チャンバラ
当時の子供の遊びの定番
吾々は、風呂敷を顔に巻いて頭巾とした
「 雨が降りょうる 」
三ノ瀬の映画館
映し出される映像は悉く、晴れているのに雨が降っている。
家ん中のシーンまでもやっぱり雨が降っている。
どうして雨が降る?
それが不思議であった。
幼き少年の私
それは
擦り切れる程使い古したフィルム故
と、なんで判ろうや ←高田活吉のめんこ
ぱっちん
大阪ではべったん
東京はめんこ
吾々の巷では
高田浩吉の絵柄が最強とされて
誰もが欲しがったものである。