昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

大地蔵 ・ 峠越えて

2021年03月03日 04時51分57秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

銀輪部隊・罷り通る
「 ひかれるでー、端によっちょり !!
道端にいた私に 大人達が大きな声で そう叫んだ。
自転車に乗った一団が、オカノ店の前を通過してこっちへ向って来る。
それはもう、猛スピードで私の前を通過したのである。
そして、風を切って通り過ぎて行く彼等の背を、私は目で追いかけたのである。
「 あぶないのー 」
大地蔵から 蒲刈中学校へ通学する中学生達、
遠路 峠を越えて、自転車に乗ってやって来たのである。

 昭和54年6月 ・祖父母の家前から撮影
斯の物語 ( 昭和37年 (1962年) 迄 ) に登場する幹線道路。
銀輪部隊は斯の路を駆け抜けたのだ。
住吉浜から大地蔵への 山路 を、田圃を越えた辺りに、
おなご水・・・と、称されて、山の麓からの湧き水があった。
「 ここの水は飲めるんじゃ 」

・・・と、大きい人が教えて呉れた。
私等、小さき子供は 嬉しくなって、さも得意になって呑んだのである。

岬の櫓
三ノ瀬港から船に乗って地蔵に向かうと。
岬の先端にある松の木に、櫓が設けられているのが見れた。
「 あれ なんなあ ? 」
「 あれはのお、沖合のボラの群れを見つけるための 見張り小屋じゃあ 」
と、親父が そう教えて呉れた。
大地蔵では、昔から ボラの漁を行っていたのだ。
親父は 独特の臭いのあるボラを好んで食べたんだと。
然し私は、 「 こがな 臭い魚 くえん 」 と、鼻を摘まんだのであった。


峠越えて
5歳の頃だった。
大地蔵の庄屋家の 佐官の仕事を請けた親父。
住込みでの仕事になると言う。
吾々親子三人は、陸路 ・住吉浜から山路に入った。
大地蔵へのアクセスは、巡航船でも行けるが、
たいていはこの山路を通ったのだ。

♪ 昔々 その昔  椎の木 林のすぐそばに
    小さなお山が あったとさー あったとさ
    丸々坊主の禿山は  いつでもみんなの笑いもの
  「 これこれ  杉の子 起きなさい 」
    お日さま  にこにこ 声かけた 声かけた ♪

                                                          ・・・「 杉の子 」
母と手をつないで唄った。
「 お母ちゃん、禿山は どこにあるん ? 」
「 あの山が、禿山で 」
母は木の生えていない山を指さした。
ちゃんと 実存した山なのである。 ( が、それがどの辺りだったかの記憶はない )
「 お母ちゃん、早よ 大きいなりんさい 云うて、おひさん 肥え かけたんじゃな 」
肥え かけたんじゃのうて、声 かけたんで 」
親子三人で、こうして歩くのも久し振りのことであった。
私は嬉しくって堪らない。
だから、元気溌剌 山路を上ったのである。
もうそろそろ 峠。
・・・・「 カラスヘビはなぁ、空を飛ぶんじゃ 」
「 大地蔵の峠で、追っかけられてなぁ・・ワシの後ろから飛んで来るんじゃ 」
「 パッと軀をよけたんで助かったが、危なかったんで 」
「 噛まれちょったら、死んじょる 」
親父が襲われた 伝説のカラスヘビの存ると謂う 峠。
「 カラスヘビ・・恐ろしいヘビがおるもんじゃ 」・・・・と、ずっと想ってきたのである。

その峠にさしかかった。  私は、緊張した。
何事も起ころう筈もなかろうに。
何か事 ・・・あったけど、今回は語るまい。 私の懐にしまっておく )
吾々親子は峠を越えて、
大地蔵の庄屋へと 山路を下って行ったのである。
妹の存在に記憶が及ばない・・・妹は何処にいたのであろう。

庄屋家の納屋が寝床だった。
便所の窓から 坂道を上って行くお爺さんの姿が見える。
外へ出ると、
庄屋のおじいさんが焚火をしている。
冬だというのに、寝巻き姿に 素足で下駄履きの私。
暖をとろうと 火に近づき手を出した。
「 竹を燃しょうる 」
・・・と、そう想った瞬間、
パーン ・・と 響く音
案の定 竹が破裂したのだ。
咄嗟に、焚火に背を向け 逃げんと走った。 体が勝手に反応したのである。
走らんとして、爪先を踏んだ。
当然のこと、カカトが浮く。
そこへ、火の粉が飛んできた。
こともあらうに、足の裏と下駄との間に落ちたのである。
「 アーチッチ 」
人生わずか5年、こんなことも起る。

土踏まずで、火の粉を踏んでどうする。
足の裏ゆえか、火傷は なかなか治らなかった。
蒲刈病院へ行くと。
医者の先生、水脹れした皮をハサミで切ると、赤チンをつけた。
赤チン、それはもう、傷に沁みた。 然し男の児、それでも辛抱したのである。
続いて、足に包帯を巻いた。
私は、包帯を巻いて欲しかったのである。  男の児にとって包帯は勲章のようなもの。
「 してやったり 」 ・・・願い適って 得意顔の私。
名誉の負傷 でも、あるまいに。


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