のぞき穴のむこう

後援:博愛主義ネクロフィリア協会(嘘)

冬の日

2010-01-20 01:40:15 | 徒然

わりと、元気な時もある。
客観的事実としては、別になにも変わってないのだけれど。
単に忘れてる、わけでもないらしい。
見方、のようなものが、がらりと違ってる。
知能テストにある、立体視?の図、あれに似てるかもしれない。
つまり、反対から見れば同じものであることに、幸いかな、気づかない。
そんな時がある。

世界がすてきに輝いて、ぜんぶが祝福されてるような、日。

無邪気にも期待に満ちて、胸をはる。
空元気でない、元気。
夏休み初日の朝みたいな、
プレゼントの箱、渡り歩くみたいな。


すこしは考えてもの、書きなさいな。

効果を計って?
時間が無いんだよ。
もう、寝なくちゃいけないんだ。ほんとは。


そんな投げやりさでも、価値拾える方法とは。
そんなことばかり思案してないで、鬼気迫る手を使った方がいいんだろうなあ。きっと。

運に乗って飛躍つづける勘違いの大系
うーんと唸って悲哀つづる感知請け合いの一計

ただつらつら連ねる

だけで

おなーべかぶぅってちょっときぃておっくれっ

2010-01-18 00:26:20 | 解体
 
やたらかなしい。
世界が終わる前って、こんなかんじ?


これは、これは、ホルモンの、脳の、器質的な、変化に過ぎないのか。
つまり、つまり、世界はちゃんとそこにあって、明日もあって、
ふつうに生きていく、そんなあたたかな空気の中、まぶしい陽射しの中へ、
歩き出していく、当たり前に、歌口ずさみながら、ふと見上げて、ほほえみなが












うーん


頭痛いのは、歯を抜いたせいかね?






うーむ、                  つらい。
ぼくの外に、あるのか?世界。
ふつうに笑ったり・泣いたりする、ふつうのせかい。
盲が耳をそばだてるように、ぼくも全知覚を振り向けるべきか。
どこにあるかわからない、闇を破る、蟻の一穴を探って。

時間が一瞬しか留まらなくなって、過去がますますあやしい。
あるのは今・ここだけだ。なにを手がかりにしたらいい?
すべてが馬鹿らしく、もしくは薄く見える。
動作がいちいち惰性に基づく。なにも目指していない。
ただうろうろしている。意味もなく廻っている。

靴が見つからないので、外に出られない。たしか、用事があったはずなんだけど。



しかたないので、二階に上がってみることにする。
狭い木の階段のぼって。一歩ごとに、きっ、きっ、と微かに軋む。
吹き寄せで三角になった踏み段左に回って、のぼりきれば短い廊下。
右手はベランダになっていて、窓がない。開け放たれたまま、

外の景色がない


ああ、だめだ

そういや一時期そんなぶきみな世界ばかり書き溜めてたっけ?
跳ぶ → 着地 → 探索 → 誰もいない → 妙な‘破れ目’を見つける → どんどん狂っていって破綻

うーむ、今思えば単にリアルな実感だったんだな、自らの。


ここのところ前にも増して表現が貧困な自覚がある。
ボキャブラリーの枯渇というより、実感の喪失。
より正確に言うならば、それを感じる必要性自体を、見失いつつある。
文章が書ける間は大丈夫だと思う。まだ、確か。
だからすがり付いているのか?


ずっと痛いびょうきにかかると、もしくは吐き気と戦う病気になると、
たいていのことがどうでもよくなるとおもう。
漢字変換でどの字が出るとか。
描いた線が太いか細いか。
考えられなくなってきている。
かんがえれ どう  い 


ヒトは子をつくるべきだと思う。しかるべき齢までに。
それで走りきれる。つまり、 買ってもらった靴。
とんとんと、かかとふまずに履いて、出かけよう。さあ。

信仰告白+

2010-01-10 14:34:11 | 解体

ちゃんと書く気にならないと、ひと文字も出てこない。
思えばこれも、かなりの決心を必要とする行為で、
だからいろんなことすべてわすれて、
混乱したまま、ただ指の運動として、刻むほかない。

いまなんで並べられるかというと、
ほんとは日曜でもやってる歯医者を探さないといけないからで。
わずらわしい不可欠から逃れる手段としてなら、わりとらくちんにできることなのだ。
ほら、試験期間中おどろくほど読書が進む、あの感じ。

文章をナリワイとする、なんて、なんておそろしいことを。
すげえなあ、あの人たち。それとも、逃げ続けてるのか。何かから。


この一週間ほどは、平均3時間も睡眠していなく、
しかもそれは何も解決を生まないことを知る徒労の結果であって、
いろんなところに、それなりの傷をつくったのではないかと見回してみるものの、
どれがそれやら、はたしてどこかにあるのかさえ、わからない。

いつか気づいた世界のしくみ、
‘見えたようにしか、知れない’
つまり、感じた情報を、‘いつのまにか当たり前になっていた方法’で組み合わせて、‘創り出した’ものである以上、
どれもぼくの創作にすぎない。世界も、出来事も、ぼくも、‘方法’の存在も。

というのが、たびたび顔を出してはこちらをうかがっている。

だからでしょう。いまさらながら、真剣になれない。人生に。
どんな不運が幸運が、はたまた辛苦が悦楽が、この身にあろうがなかろうが、
すべて自らの内に作った構築物なれば、文字通り、
夢でしかない。
夢は、淡々と見るものだ。

いやあね、正直なところ、はんぶんくらい、もうちょっと多く? 信じてるのよね。
ぼくの‘外’に世界は無く、ぼくの終わりは、世界の終わり。


うすくてあわい世の中を、ビビットに縁取ってくれるのは、リクツを越えた強い感情。
怒り、悲しみ、恋い焦がれる、なにか。たとえその中心が、空洞であっても。

それもまた‘方法’なんだと思い至るとき、静かに終焉はやってくる。

そこまで論理的な思考はできてないので、今がある。いいかげんさが過ぎるのか、足りないのか。
考えてみれば自殺とかもかなりの積極的行為で、むしろその雄々しさを評価すべきなのではと思う。
真の意味で病める現代日本。それを憂い、身を持って立ち向かう最終行為者、年3万人。これは、すごいことだ、と、こっそり思う。



ふたりでひとりごと 2010 その2

2010-01-05 01:26:10 | 徒然

じゃ、そゆうことで!


どういうことで?


いいの。余計なことは考えない。そしてたくさん書く。


時間がなーあ。
浪費に過ぎなかったと後悔する可能性が高くないかい?


あーあー。聞かない聞かない聞こえない。
さあ、さっそく書きなさい今すぐ書きなさい。       ワレにかえる前に。


あのさ、


ん?


考えてみると、世にいう小説の類ってのは、みんな、こういうことなのかもね。


どおゆうこと?


つまり、ひとりごとの、記録。


うーん。


ずいぶん複雑で、思わせぶりだけど。


だとしたら、
・・・・おそろしくヒマなことしてるような?


言えてる。
でもまあ、需要に答えてるって側面があるけどね。
つまり、お金になって、それで生活していける、人もいるっていう。


じゃあ、あたしたちは、誰かのひとりごとを印刷したやつに、お金払ってるんだ。


まあ、それをどう使うかは、買った人の勝手なわけで、その人にとっては、何かに使える、具体的メドがあるってことだろうけど。
ベストセラーに群がるのだって、例えば世間の標準、または理想とされる発想パターンをなぞって確かめるには格好だろうし、かつてのそれと比較してその変化を追う、なんてことも可能だろうし。
もしくは単に自分との違いに驚いて刺激を受けたり・はたまた規範を求めたり。逆に類似に安心感を覚えてみたり。
そういう複雑な効果を可能性という形で提供するには、いまだにこういう一見不合理で非効率的な‘素材’のまま取り引きした方が価値足りえるんだな。あれだけ色々サプリメントがあっても、ラーメン屋が繁盛するように。


ちょ、ちょっと。
おぬしは時々わからないことを言うね?ダーっとね?


要するにまあ、ひとりごとでも、ちゃんとしてれば使い道が色々あるっていうこと。
そんな道具を提供してるんだ。彼らは。報酬もらって。


お金もらわないで、ここに書くのは?


そこが問題だ。


(しまった。)
あーあー、買ったゲームって、これ? やってみてもいい?


別にいいけど。できるの?


ばかにするない。あたしだってゲームくらいっ。
えいや・・・っと。


ふたりでひとりごと 2010  その1

2010-01-04 23:45:40 | 徒然

やはり、他所で書いて移すかなあ。


・・・どっちでもいいんじゃない?


誰も、読んでないしなあ。
自分も含めて。


あははのは。


おう、久しぶり。


何ヶ月ぶりか、覚えてる?


さあ。


管理人がそんなことじゃ、だめなんだなーあ。
ここがなくなったら、困るんだからね。あたし。


なんで?


ほかに居る場所ないし。


えーと?
基本的には、君はぼくの、なんだ、その、女性原理?としての分身なわけで、


人格として、いな、人として!
ちゃんと!あたし単独でシキれる部分が、オヌシの日常に、ほんのわずかでも、あるか!


いやまあそう言われると


ない!まるでない!


ぼくだっていちおう男性として社会人やってるわけだしねえ。
ぼくがシナつくったって誰も喜びゃしないだろうし。


そんなこと言ってんじゃないの。その体にあたしが出てったら、不気味。


言うなあ。


それにほら、オヌシにだってメリットあるじゃん。


どんな?


え? えーと、ほら、前に言ってたじゃんか。ほらほら。


なんだっけ。


うーんと、
                     違う発想、とか、  なんとか?


ああ、まあ、確かにね。
自分の中の使ってない部分がちゃんと人格化できたら、
情報を完全に共有し・かつ違う視点からの発想てのが期待できるかもね。
多面的で、より客観的な見方が、頭の中でできるかも。


ほらっ、ね? ほらほら。


でも、手間がかかるなーあ。
それに、人格の違い、つまり考え方の違いって、大部分は持ってる情報、すなわち経験によって生じてきてるような気が


なにおう!あたしがそうしろっ・・・じゃなくてそうしてってお願いしてるんだからいいじゃんかよーう。お願い聞いてよプリーズプリーズ


時々、ふと思うんだけどさ。


なに?


こういうのって、他人が読んだら、ものすごくハズカシイ文章なのでは。


知らないよーう。そんなのどうでもいいじゃんかあ。
どうせ誰も聞いてないんだし。ぐすん。