えーと?
疑似体験?
当たり前からすこしだけ、もしくはすこしずつ外れていく状況を、
脳裏に作り上げながらたどることで、
荒唐無稽はもはや受け入れる隙のない、硬直した日常感覚に、
体感的な 情報として まぎれこませる?
うそだと知っている自分に、
そんなリアルな手触りを感じさせることで、
ダマサレルことを 了承させる 。
いや、それはぼくの文脈だ。
可能性を予感するのか。
より可能性のある形で。
つまり、日々狭まっていくそれに当てはめるには、
たえず複雑な組換えとサイズの縮小が要るわけで、
年とればそれだけ、手垢じみたリアルさが不可欠になる のだ な。
してみると、自ら認める己が延び代(可能性の量)に従って、
読める(リアルに感じて効果を得られる)ジャンルが変わっていくのかも。
たとえば、
ギャグマンガ > SF・ファンタジー > 歴史もの とか。
ラノベ > 純文学 > ハウツーもの とか。
だから?