「カナリアの詩」には、元信徒や元サマナの手記が載っています。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/shuki/3-3.html#31
この中の元サマナの手記を抜粋して載せさせていただきます。教団内にいた時は、陰謀説に捉われていたせいもあって、これらの手記の類も、「どうせあることないことを書いて、教団の人間を脱会させようとしているのだ。」と見なしていたため、読もうともしなかったし、信じようともしませんでした。
しかし、今になって、このような手記を読んでみると、リアルな場面描写で、本当にあったことが書かれているのだろうと感じられます。亀戸の異臭事件の後の、ミーティングの三塚氏と豊田氏が涙を流す場面や第七サティアンでのワーク中の端本 悟氏との会話など、なかなか生々しい描写だと思います。一連の事件が、教団内で行なわれていたということを、未だに信じられない方に、改めて読んでいただきたいと思います。
追加13 ● A K
1998年1月23日第32号より
◆ 私はサリン事件で警察に逮捕され、種々の取調べを受けました。
自動小銃製造の件に関しての取調べの時、オウムで作った”AK-64(?)”を取調べ官が持ってきて、実際に持たせてくれました。それはズシリとした重量感がありモデルガンなどではなく、まさに本物の銃でした。
取調べ官によれば、「オウムで完成された自動小銃は二丁あって、ここに持ってきたものは実際に撃てるものでもう一丁は排莢動作が上手く行かない。」とのことでした。完成したのを見たのは始めてだったので、その時は正直言って「すごい!」と少し感激してしまいました。
◆ 92年9月岡村鉄工が倒産しそうだということで、当時の広報技術のメンバーが金沢に呼び集められました。
例のごとく何も内容は聞かされませんでした。しばらくして岡村鉄工は結局倒産し、そのあとで村井さんからここの設備でモデルガンを作り、玩具として販売することもこのヴァジラ・アヌッタラ・ヒタ・アビブッディ(倒産後の、松本被告を社長とした新会社)の仕事に加えようと言われていたのでしばらくは作っているものはモデルガンだと思っていました。
◆ しかし94年6月に自動小銃だということがはっきりしました。それは豊田亨さん・松下悟史さんと私を含めた四人の科学技術省のメンバーが第六サティアンの松本被告の自宅に呼ばれ「君たちには自動小銃の弾を製造するラインを造ってもらう。」と指示されたからです。
その時やっぱり本物の銃を作っていたんだと判り心臓がドキドキして、体が緊張しました。しかし同時にこんなに重要な仕事を指示されるのだから頑張らなくてはという喜びの気持ちも沸きました。
◆ そしてそのようなことをすれば当然重罪に問われるだろうがそれも仕様がない。もし逮捕されるとしたらそれが私に与えられる修行なのであろう。と自分のすべてを松本被告に供養する決意を新たに固めました。
この前に93年の亀戸異臭騒ぎのときにも、松本被告に豊田さんと二人で呼ばれて「君達には、屠られた子羊になってもらう。救済のために命を投げ出して全力で頑張って欲しい。」と言われました。
◆ この時はじめて自分の死、もしかしたら無差別の殺戮、そしてそれに伴う自分への刑罰などが現実的な葛藤として大きく迫ってきて、心臓が止まりそうな物凄い動揺の中で自分のすべてを供養する決意を固めたことがありました。このときは、その当時の決意を呼び覚ましたという感じでした。
◆ その亀戸の件についてもう少し詳しく述べると、その後決意は固めたものの、あまりの動揺で体は震え、鳥肌が立ち、寒気がしてそれを落ち着けるのに大変でした。亀戸の件は結局失敗に終わったのですが、そのあとのミーティングで松本被告に上祐さんなどのステージの高い人から順番に意見や反省を言う場面がありました。
◆ 緊張が緩んだのか三塚さんと豊田さんは、泣きながら声を震わせて話をしていました。私はその痛いような不安な気持ちがわかるような気がしました。でも私には涙が出ませんでした。それはその時には「もう自分の命も苦楽も松本被告に御布施してしまったんだ。これからは、このようにいつも自分を布施していく実践をつづけていくんだ、そしてその先に解脱があるんだ」と思いが定まってしまったからだと感じていたのですが、今思えば余りに急激に心が追い詰められたので、どこか映画を見ているように現実感薄く茫然としか状況を捉えてなかったのかもしれません。
◆ その後94年7月にサリンプラントに加わる時の会議で「このワークは大変危険なワークでボタン操作一つ間違えば、この上九一色村、富士山麓全体が死の山となるぐらいのものだ。辞退したいものは今申し出なさい。」
と言われ、誰も申し出るものがなかったので続けて「死を見つめながらワークすることがマハ―ムドラ―の修行には欠かせない。」などの話を受けました。
◆ それからいわゆるヴァジラヤーナのワークに専従するようになりました。そして結局95年5月16日に逮捕されることになりました。
サリン事件や坂本事件などに実際に関わった人達について、とかくとりざたされることは、
・教団内での権力争い
・あれでけっこう好き勝手していたんだ
・在家信徒や出家サマナをも欺いていたんだ
・成長過程で問題があったなどです。
・そしてあれだけ悪いことをしたんだから死刑や無期懲役が当然だ
などと思われがちです。このようなことは外側から見た常識的判断では、恐らく妥当なことなのでしょう。
しかし彼らと身近に接していて思うことは、彼らが今まで育ってきた生活では考えられなかったであろう人の命を手玉に取るような行為をしている自分の現実、それに対するどうしようもない捌け口としての破戒(好き勝手する事)行為をしていたのだろうかということであり、また彼らの言葉や振る舞いの端々から感じられた無気力さもそのせいだったのだろうかということです。
第七サティアンでのワーク中、端本 悟さんが、疲れを感じさせる雰囲気で、このようなことを話していたことがあります。
「僕は今はこんな買い食いしたり、セーラー(ある女性サマナ)といろいろあったりするけど、昔は真面目だったんだ!。営業やってたころは、他の人は結構買い食いしてたけど、僕は絶対しなかったんだよ!。
信じられないかもしれないけどね。でも、ここの第七サティアンのワークもそうだけど、ヴァジラヤーナの修行(ワークのこと)は、本当にすごく厳しいんだよね。だからそういうときに女性っていうのは、本当に逃げ道になっちゃうんだ。救済のためにー!と突っ走れればいいんだろうけどね。だから君もよく気を付けていたほうがいいよ。」
この時私は「性欲・愛情欲求には気を付けなきゃな。そっちへ逃げちゃだめだな。」と言葉どおりに聞いていただけでした。
しかし、彼の発した「ヴァジラヤーナの修行は厳しい。」と言う言葉の中には、彼が実際に坂本弁護士一家を殺害したことも含まれているのだと分かったとき、彼が言っていた逃げ道という言葉が重くのしかかってきました。
もともとは、解脱を目指して出家し真面目に修行をしていたであろう彼らが、それとは程遠い姿になっているように写ったのは、その苦悩の大きさのためだったと、今、彼らの姿や言葉が改めて痛みとともに納得できるのです。
私たち、元信徒はただ単に一般の人々が言うように、オウムはくだらないところだとして去るのではなく、彼らの痛みを思いながら、それぞれが自分にとってのオウムと決着をつけようとするとき、はじめてオウムのとってきたオウム流ヴァジラヤーナの本質が見えて来ると思うのです。そしてオウムへの依存から独り立ちできるのだと思うのです。またそれが昔、一緒に修行をした仲間に対する誠意でもあるのではないでしょうか。
私自身はあるお坊さんに助言をもらったり、今までのオウムでのことを振り返ったりするうち、拘置所でまさに劇的な瞑想体験をしました。その体験を基に、オウムから離れることに決めました。
それは、私たちの目指した解脱・悟りとは、なにも特別な宗教的場面設定が絶対必要というわけではなく、まごころをよりどころにしてありふれた生活をする中でも、いくらでもそれに気づくことが出来るものなんだと感じたからですあの体験がなかったらスッキリとした気持ちでオウムから離れ、その後の短いけど苦しかった刑務所生活を乗り切ることが出来たかどうか、そして今のようにスッキリとした毎日が過ごせているかどうか自信がありません。
しかし今、私のなかで松本被告やオウムの位置づけがハッキリとなされているかというと、そういう訳ではありません。折に触れ未だにいろいろ考えつづけています。これからもずっと考えつづけることでしょう。私にできることは、それぐらいなのかもしれません。
私が今、オウムの中で疑問や不安を抱いている現役サマナに伝えたいことは、オウムを続けていくということは重大事件に関わった人達のような葛藤を経験していくということに他ならないのです。それだけの葛藤を受け入れる覚悟がいるのだということなのです。
・目的のために手段を正当化するという修行実践
そしてまた
・他に苦しみを与えることによって他を救済するという実践そういうものであるオウム流ヴァジラヤーナをオウムが掲げているかぎり、これらの葛藤は程度の差こそあれ避けられないものだと思うからです。そのことを知った上で、オウムを選ぶのなら私がいろいろ言っても無駄でしょう。(しかしその教団内での修行よりも刑務所生活の方がずっと修行が進むと思いますが・・・・・・。)
ただ他にも修行の道は沢山沢山あると思いますよ。その中から無理せず自分にあった修行を選べばいいと思います。
私については、オウムから離れて後、色々なものに目を向ける中で、自分がオウムの中で過ごしていたころの気持ちとは、比べ物にならないほどのスケールと誠実さで利他行を行っている人々の存在を知りました。
その時には、あぁ自分は井の中の蛙だったんだと思ったものでした。そういうこともありました。
教団内ではオウムの修行が最高のものだとされているのでしょうが、なにも無理して
”BEST”とされる修行方法をとらなくても、無理せず急がず他の自分にあった”BETTER”の修行を探して実践すればよいのではないですか?
「お仕事大変ですねぇ。」という言葉を取り交わすありふれた日常の場面にもよくよく感じればマハ―ニルヴァ―ナの光が輝いている気がします。
最後に、今回は被害者の方々への思いには触れずに書いてきましたが、被害者の方達へは、心よりお詫び申し上げます。オウムを通してしか、大切なことに気づけなかった自分の愚かさを深く責めつつ、到底償いきれるものではないですが、少しでも償いの出来るような方向で、これからの人生を決めていきたいと思っています。
(男性・元サマナ)
でもぼくは脱会できた。本当に洗脳が解けたのは、脱会して一般社会で友達ができてからだ。
いま、ぼくは、刑務所ではなく、ふつうの社会に戻れて人並みの生活をできている。そのことが、とても幸せだと思う。当時の精神状況からして、いま、このように完全に麻原の世界から脱却できたことが、本当に奇跡だとも思う。
ひさしぶりにこういう文章を読んで、ぞっとした。
現在、死刑判決を受けている弟子たちの多く(真摯に反省し洗脳から冷めた人たち)は、本当に死刑に処せられなければならないのだろうか…と考えると、頭がおかしくなりそうだ。首謀者の松本や、いまも松本を絶対視する被告人は別としても。
>10年ちょっと前、自分も科学技術省で自分の身を供養して、すべてを捨てて武器を作ってた。松本から直接指示を受けて。20歳そこそこの年齢で。
まさに手記の方と同じ科学技術省にいらしたのですか・・。
じゃあ、記事の方のような心境は、痛いほど理解出来るのでしょうね。
>でもぼくは脱会できた。本当に洗脳が解けたのは、脱会して一般社会で友達ができてからだ。
社会の中での居場所が出来るというのは、
社会復帰への大切な足がかりになります。
>いま、ぼくは、刑務所ではなく、ふつうの社会に戻れて人並みの生活をできている。そのことが、とても幸せだと思う。当時の精神状況からして、いま、このように完全に麻原の世界から脱却できたことが、本当に奇跡だとも思う。
その当時を知らない人には理解できないかもしれませんが、
麻原からの完全脱却ができたのは奇跡でしょうね。
失礼ですが、刑にも服されたのですか?
>ひさしぶりにこういう文章を読んで、ぞっとした。
まさに事件の中心部署にいた方にとっては、
まさにぞっとする内容だと思います。
>現在、死刑判決を受けている弟子たちの多く(真摯に反省し洗脳から冷めた人たち)は、本当に死刑に処せられなければならないのだろうか…と考えると、頭がおかしくなりそうだ。
元サマナさんも、一歩間違えば彼らの立場に成り得たわけですものね・・。
死刑を望む声は多いのでしょうが、難しい問題です・・。
元サマナさんのような方からの、声が多く寄せられれば、
未だ事件が陰謀だと思い込んでいる、
教団内部の人達の目を覚ますことが出来ると思いますので、
ぜひ今後もコメントをお寄せください。
~オウムを手玉に取った男、~ってタイトルだったか
小説を書いた人がやっていた会社だと思う
小説といっても、事実にもとづいて書いたそうなんだけども
中小企業であったらしいけど、教組が乗り込んできて
しまいに社長になってつぶされたんだって。
社員にも、オウム信者に全員がなるように強要させられて、その社長さんは、非常に躊躇したそうなの
もし、オウム信者になるように、言ったらかなりの数が
やめていくだろうって
実際、それまで右腕だったような人らがやめてしまい、
痛かったんだそう
で、なにやら予言めいたことをいい、こうするといいとか
社長を振り回して、、、
結果会社は潰れたそうなんだけど
社長は教組のいうとおりやれば、うまくいくと、
言われて信じ込んでいたみたいなのね
で、恨んでいると、あなたはいつまで、会社を経営することにこだわっているんだ、みたいなことを
言われたんだって、、
で、単に在家信者なんだけど、特別待遇で
奥さんともども、呼ばれて教祖と同じ車に乗るとか
よく教組に呼ばれたりして特待だったそうなんだけど
きっと、教組はその会社のもともともっていた
機材、なにか精密機器とからしいけど
会社の物質的財産に目をつけて、ここでなら
自動小銃作れるかもとか、考えて
わざと倒産させたんじゃないかしらね?
社長は非常に教組のやりくちを恨んでいたみたいな
書きぶりでしたよ
絶対大丈夫、というからまかせていたら
どんどん悪化して、、倒産と
そこへ、オウムの人間がなだれこんできたんでしょ
最初からのっとるつもりだったんでしょうね
小説書いたのも、少しは金になるかと思ったんじゃないかな
その人がオウムに関心もっていたのも、短期間で急成長した秘密が知りたいとか、修行者っぽい動機ではあまり見てないのね、、
誰かが儲けているって噂を聞くとかぎまわっていたみたいで、、あるとき、数億を稼いで布施している信者がいるって聞かされて、住居は教えないっていわれたそうなんだけどかぎまわって、見つけていったらなんとキャバレーみたいな、女の子の写真が戸口にかかっている場所だったって、
で、中の経営者らしき人に話し掛けたら、すごい怒って
(絶対にここを教えるな、って言ったろう?
もう布施はしないからな!)って言っていたっての
大変結構なご提案ですな。
ぜひ活用していただきたいものです。
弁護士先生の講師の件は、先生のブログによると、
まともな回答が返って来ないと、ブーイングされてますから、
そこをクリアしないと難しいのでは・・。
>どんどん悪化して、、倒産と
>そこへ、オウムの人間がなだれこんできたんでしょ
>最初からのっとるつもりだったんでしょうね
>きっと、教組はその会社のもともともっていた
>機材、なにか精密機器とからしいけど
>会社の物質的財産に目をつけて、ここでなら
>自動小銃作れるかもとか、考えて
>わざと倒産させたんじゃないかしらね?
本当は、経営を立て直すために乗り込んだんだと思いますが、
上記のような、意図があった可能性も十分考えられます。
実際、その後自動小銃作りが行なわれていますからね。
オウムを喰おうとした男、ですた
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/96228134
へ~、こんな小説があったのですか。
キャンディさんは、読んでみたんですか?