白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

キリストのイニシエーションpart4

2006-10-22 01:22:23 | Weblog
 一通り懺悔の涙を流した後で、気を取り直して、さらに座法を組み直した。顔は、どういうわけか、あごが上がり固定されてしまう。後で、師の方に聞いたら、おそらくヴィシュッダチャクラで、エネルギーがつまっているため、そうなってしまうのだろうと言われた。しかし、その時は、そんなことは分からないので、あごを上げて、上を向くような感じで、父の名はシヴァなりのマントラを繰り返していた。するとまた、外界の意識が完全に無くなり、大変な風の上昇を感じ出した。懺悔で身が軽くなったせいもあるかもしれないが、強い上昇の風に乗って、意識がどんどん上昇していった。

 そして、到達した世界は、形状のない世界であった。紫の美しい光の粒子が噴水のように溢れ、全ての空間が紫の光で満たされていた。そこには、平安があり喜びがあった。そこに留まれば、大変な喜びと、安住があることが分かった。

 しかし、その時、ふと下を見た。そうすると、多くの魂が苦しみの中にもだえている様が見えた。あんなに多くの魂が、苦しんでいる、涙が流れて仕方がなかった。なんとかしなくては・・・。私は、その世界に入ることをやめ、上昇の風に逆らいながら、逆さになって、もがくようにして元の世界に戻ってきた。

 次にどうしても、確認しておきたいことがあった。シヴァ大神とは、どんな方なのであろうか、どうしても見てみたくなった。父であるシヴァ大神の顔をどうしても見たかった。父の名はシヴァなりのマントラを唱えつつ、意識を集中させると、足が見え出した。もう少し上である。さらに思念を強め、しだいに身体の上のほうまで上がってきた胸の辺りまで来た。見たい!お顔を見せてください!強く懇願した。最後の思念を振り絞って、顔を上げ、シヴァ大神の顔を見た。見えた!その顔は、なんと尊師の顔であった。

 いや、正確に言うと、尊師のマンガの顔であった。あれっ?て感じもあったが、おそらく私が、実物や写真での記憶修習が足りなくて、マンガの顔の尊師ばかり見ていたので、おそらくそうなってしまったのではないかと思われる(自分なりの言い訳に過ぎないけど・・)。それも、あのアニメのかっこ良過ぎる尊師ではなくて、ふっくらして、にこっと笑った尊師であった。その時の私にとっては、マンガでも何でも良かったのである。シヴァ大神と、尊師が同じだったことを知った。心の奥の奥での大納得であった。俺は知った!分かったぞー!と叫びたいそんな気分であった。

 そこから場面が変わり、スポットライトのように、光を浴びた尊師が、ナポレオンのように馬にまたがり、馬の前足を上げさせた姿勢で静止していた。その馬が、なんとも美しい馬で、何色と表現すれば良いのだろうか?鶯色のようなブチがあるのだが、それぞれが、玉虫色に輝いているのである。すでに、顔は、マンガの顔ではなくなっていた。天界で見たような、威厳に満ちた、美しい顔立ちの尊師であった。私は、シヴァ大神と、尊師が同体であることが分かり、全てが解決し、満足しきってこの世界に意識を戻した。

 少し薬が切れ掛かってくると、余裕が出てきて、実験もしてみたくなった。意識を上に向けると、天界のような美しい世界に入るが、下に向けるとどうなるのだろうか?と思い、スーと意識を下げてきたら、身体に虫が這いずり回り出した。ミミズのような虫が、私の身体を這いずりだしたのある。周りもミミズのような虫でいっぱいである。なんとも、気色悪いことになってしまった。これは大変と、また、意識を上に向けると、また、美しい世界に入ることが出来た。今度は、大丈夫かなと思って、また、意識を下げると、やっぱり身体に虫が這い出した。さすがに、それ以上、下に意識を下げる勇気はなかった。

 かなり、意識が戻ってきたら、今度は、私の意志に反して勝手に、手が動き出した。あらあら、という感じで、勝手に手が動き、印を結び出した。あー、この印は見たことがある、この印は気持ちが良いなあとか、勝手に動く手を眺めて面白がっていた。どうも、ナーディーの流れと印は関係があるようであった。それぞれの、ナーディーの中をエネルギーが流れる時、それぞれに違った印を結ぶようであった。

 印結びが終ったら、次に、手が空気の流れを感じ取れるようになった。どういうことかと言うと、うちわや下敷きを横にして、空気を切ると、空気がまっすぐ横に切れず、波打つことを経験したことがないだろうか?あんな感じで、手で、空気の波や抵抗が感じられるようになってしまった。気功の人が、気を感じながら、手を動かす時と同じような感じで、空気の動きを完全に把握出来たのである。これは、すごい、何かに役立ちそうであると思って、外にいる人に声をかけ、こんな風に、空気の流れが分かってしまうんですけどと実演しながら、これを何かに役立てられないですかねえと言うと、そうですね、役立つかもしれませんから、覚えておいてくださいねといわれたが、帰る頃には、すっかりその感覚は抜け落ちてしまっていた。今考えても、残念であった。あれが出来れば、気功教室くらい出来たかもしれない。

 完全に、意識が戻ってきた頃に、看護婦さんが、「大丈夫ですか?」と具合を聞きにきた。大丈夫ですと答えたら、「脱水症状が起きていたので、3本ほど点滴しましたからね。」と言われた。3本も点滴してたの?ぜんぜん分からなかった。いつの間に?この一例をみても、いかにアストラルに突っ込んでいたかが分かる。

 それと、言葉をかけてくれた看護婦さんを見て、あーこの人だったのかと思ったことがある。実は、アストラルに突っ込んだ直後の、恐ろしい体験をしている最中に、瞬間的に現実の世界に意識が戻ったことがあった。それは、たぶん、最も恐ろしい殺されるような体験をしているさなかだったのだろうと思うが、看護婦さんが、ドアをそーっと開けて、私が死にかけていないかどうか、状態を確認しに来たのだろうと思う。

 腕を伸ばして、私の腕をそっと触れたのである。間の悪いことに、私は、瞬間的に現実世界に意識が、戻ってしまったのである。アストラルの中で、殺されるような恐怖を味わっている最中に、突然触れられたものだから、暗闇で、突然顔の前に幽霊が現れたような反応をしてしまった。「オワァー!!」と大声を出し、顔を引きつらせて、手を振り払った。びっくりしたのは、看護婦さんである。静かに寝てると思って触ったのに、突然顔を引きつらせて、大声を出されたものだから、看護婦さんも、「ウァッ!!」っと顔を引きつらせて、のけぞって急いでドアを閉めてしまった。そんなことを言うと失礼だが、驚いた時の看護婦さんの顔が怖くてしばらくドキドキしていた。その時、看護婦さんの顔に、大きなホクロがあったのを覚えていた。先ほど、声をかけてくれた看護婦さんの顔に、大きなホクロがあったのを見て、あの時の看護婦さんだったかと済まない気がした。

 イニシエーション終了時間が迫ってきたが、かなりまだ突っ込んでいたような気がする。トイレにも、フラフラしながらいった。なんとか、失禁だけはしなかったようである。全て終了して、広い道場で、待機していたが、そこでもまだ後遺症が残っていて、少々ふらついていた。蓮華座を組んで、金剛印を結び、また父の名はシヴァなりのマントラを唱えてみた。そうすると、しばらくして、突如身体が振動し始めた。小刻みに揺れだしたと思ったら、横揺れが始まり、次に縦揺れが始まった。何事が起こったのか分からなかったが、次の瞬間、ボンボンボンと身体が跳ねだした。なんと、ダルドリーが起きたのである。自分でも、びっくりしてしまった。どんなに、クンバカを頑張っても、ダルドリーが起きなかったのに。マントラを唱えただけで、ダルドリーが起きてしまったのだから驚いた。

ダルドリーのおまけもついた、キリストのイニシエーションは全て終了した。当時は6年間、まじめにやってきて、何も霊的な体験がない私をかわいそうに思って、尊師が私にいろいろな、体験をさせてくれたのかなと考えていた。


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