白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

教祖麻原彰晃尊師part1

2006-10-10 02:11:23 | Weblog
 実は、一番困った問題が、教祖をどう捉えるかという問題である。これは、アーレフの信徒、サマナにとって信仰の根幹に関わる問題であり、結局、この点の捉え方の違いが、今回の分裂騒動の引き金になっている。そして、今後もくすぶり続ける可能性のある、大きな問題なのである。

 私にとっても、教祖をどう捉えて良いのか、明確な答えを出せていない。2チャンネルなどで、書き込みをすると、結構、教団を客観的に捉えた発言をするため、信徒らしからぬ発言をされますねとか、そこまで分っていて、なぜ、教団に残っているのですかと言われることが多々ある。

 そんな私でも、教祖麻原彰晃尊師を、どう捉えるかという問題に関しては、口ごもってしまうところがある。上祐路線に賛成している私でも、まだ、どこかで、教祖を、完全に否定することが出来ないでいる。それは、なぜなのであろうか?

 そこで、私にとって、教祖は、どのような存在なのかという点を、もう一度、自分自身で検証していこうと思う。ただし、教祖のことを述べると、自己矛盾がいろいろ出てきそうな気がして、少々不安なのだが、あえて自己矛盾を恐れずに、書き進めてみることにする。

 まずは、教祖に一切の疑いを持たず、信じきっていた時の、捉え方はどのようなものであったかというと、
 「偉大なる完全なる絶対なるシヴァ大神の変化身」、「全てのヨーガのステージを終えた最終解脱者」、「56億数千万年後に未来仏マイトレーヤ真理勝者(弥勒)となる魂」。こんなところだろうか。どれをとっても、すごい称号であることは間違いない。

 もちろん、入信当時から、これらを全て信じていたわけではない。一番最初、マハーヤーナの表紙の写真を見た時は、髭ずらで、ピンクのインド風のサリーを着た、変な男だなあという印象でしかなかった。 

 マハーヤーナや他の著書を読むうちに、解脱の最終段階を終えて、最終解脱に至った人物であるということが分かった。ただし、ここでいう分かったとは、本人及び教団の人間が、そう言っているので、そうなのだと思ったという程度であった。しかし、教祖が、自らのステージに関して、インドやチベット、スリランカの聖者方に会いに行き、体験をもとに、確認していくという作業をしていた点は、好意的に捉えていた。また、ブータン国王に会ったりしたことは、単純にすごいと思っていた。

 私が傾倒していった理由として、説法の内容が、最も自分の感性に合っていた点が挙げられる。一つ一つの教えにおいて、納得出来る部分が多く、説法を読んだり、聞くことが楽しくて仕方が無かった。
 説法会での尊師は、原稿を読み上げるでもなく、何も見ないでその場で、ヨーガや仏教の教えを紐解いていった。それが、いずれ本になっていくのだが、後で、本になっているものを読んでも、論理的な矛盾点はみられなかった。それは、すごいことで、この人物は、只者ではないなと感じていた。それに、何より、説法の最後に個々人が投げかける質問に対して、一つ一つ、明確に答えを与えていたのには、いつも感心させられた。

 テレビの、朝まで生テレビに出演した時も、「幸福の科学対オウム真理教」の論戦において、尊師は、どの論客に対しても、的確に答えていたし、田原総一郎の司会にも引きずられること無く、持論を展開していた。もちろん、幸福の科学に対しては、真の仏教とは何かという立場に立ち、真正面から批判をしていた。出演したパネラーの方々も、幸福の科学よりオウムの方が、まだまともなことを言っている、という印象を持ったのではなかろうか。

 テレビでのビートたけしとの対談では、あのたけしが、引き込まれるがごとく身を乗り出して、尊師の話を聞きたがっていたのが印象的だった。最後には、「出来れば、20時間ぐらい朝までトークやらせてくれないかな。」というくらい、尊師に興味を持っていた。その後、たけしが、軍団の人間をオウムに入れたとかいう噂が出たほどである。

 尊師には、その風貌からは図り得ない、教祖としての最も重要な要素、カリスマ性があったのだ。


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