白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

師がボロボロと・・・

2009-05-23 07:32:51 | Weblog

 野田さんのブログに、今月師クラスの方がアレフから次々脱会することが書かれている。当然といえば当然だが、今後のことを考えれば、体の丈夫な今のうちに脱会して生活の基盤を築いておこうとするのが正常な思考だろう。

 師クラスがまとまって辞めれば、その下にいるサマナも浮き足立つのではないだろうか。アレフの現状に気づかない信徒・サマナはいつまでも教団にぶらさがっているだろうが、気づいた者からすみやかに脱会の準備をするほうが賢明である。

 たしかに不況だ不況だと世間では大騒ぎで、厳しい就職状況だが、えり好みしないで探せば何かしらの仕事はあるはず。しばらくの腰掛け程度でもいいから、まず教団の外に出て働いてみることが大切だと思う。脱会した方々には、なんとか生き抜いてほしい。がんばってください!

 

野田氏ブログから

 

「印刷機が壊滅」

http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-353.html

 

「印刷機が壊滅2」

http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-354.html

 

結局、今回脱会される(あるいはされた)師の方はどなたなのでしょうね?

ホーリーネーム知っている方がいたらコメント欄への書き込みお願いします。


43 コメント

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Unknown (2チャンネルから転載)
2009-05-23 07:56:54
763 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 13:59:34 ID:8596vBwu
ただ上祐のようにAから持ってきた人間で同じようなシステムで徒党をいまだに組み
宗教で金を取ってないだけ全然いい。
そこは称賛したい。

上祐のとこは償いのために宗教やるならその部分で金を取らないことだ。
宗教にドロを塗った部分を償うなら無償でやる。
一元でもなんでもいいが、てめぇの度量を勘違いせずに
宗教面で布施など取らずにやればいいことだ。

稼ぎは別に法具を外国から安く仕入れて日本で売ったって、それは商売でやればいい。
そんなのは二宮でもやってる。

まだ出家だとかいってるうちは、自分たちは特別でやはり真理の実践者で偉い
んだから布施に値するという勘違いから脱却できない。

白い大きいイスに座ってご説法しているさまは麻原とウリ。
なんも変わっちゃいない。

それで成就者出すなどと馬鹿なことを言っているならつぶした方が社会のためだ。

764 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:04:24 ID:GQesyj1d
結局 根っこは同じなんだよなあ

オウムなんだよ
765 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:08:59 ID:8596vBwu
自分のグルである麻原のステージを否定したのだ。
自分が正大師で成就者を出せるとかいうのも嘘だったと言っているのと同じなのに
いまだにイニシエーションだのエンパワーメントだのやっているのは霊感商法と同じ。
なにも証明がない。

麻原と同じ「自称」と、取り巻きの雰囲気作りや体験談という不確かなものだけだ。

おかしいと思わないのか?

輪も、体験談を重要なものとして取り上げてくるしかないだろうが
それがマハーヤーナとどう違う?

この染みついた腐れ体質は
出家の仕組みをやめなきゃ治らないってのが分かってない。
支えている信徒がいる限り、奴らの脳は変わらない。

766 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:10:40 ID:8596vBwu
>マハーヤーナ

オウムの月刊誌な。

767 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:10:49 ID:s2rh22uy
上祐は、
 そもそも宗教が一般大衆を平定して収める精神的な手段になっていることを己のために利用する麻原のそれを踏襲する所から一歩も脱していないんだよ。
768 :神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:11:48 ID:pQ8Q8Gh1
「人類を救う」とか「教え導く」とかって、実は究極の自己満足であり
エゴなんだけどね。

「救済者」とか、自分をそういう立場の人間だと思いたがる。
上祐にしろ、野田にしろ、Alephや分派にしろ、その点はみな同じ。
返信する
野田ブログにニューフェイス登場 (野田ブログにニューフェイス登場)
2009-06-02 12:15:27
http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-357.html#comment7639
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Unknown (オンフ板から転載)
2009-08-02 19:03:45
Message#24969 2009年8月2日(日)17時54分
From: 元芝携帯 返事 削除 変更
Re3:卵は殻だ。殻を破れ。世界を革命せよ!
教祖の卵さんのメッセージ(#24968)への返事

> 前生というものは、あるかないかという時点で、
> 疑わしいものであります。
> それゆえに、いくら、それらしき証拠を揃えても、
> もちろん証明にはなりません。
>
> http://www.vivekananda.net/PPlHeKnew/HouseholderDisciplesofRK/MahendranathGuptabio.html
> ところで、マヘーンドラナート・グプターをご存知ですか?
> 彼はラーマクリシュナの主要な弟子の1人でMと呼ばれるのを好み、
> ラーマクリシュナの言行録である「ラーマクリシュナの福音」を出版した人です。
> 彼は「あるヨギの自叙伝」という本で「至福の聖者」と呼ばれています。
>
> さて、元芝さんとは教団に所属してた時期がずれているので、
> あまり面識がないと思いますが、パモーチャナ師という人がいます。
> 彼は幼いころからMという文字が理由もなく好きで、
> 幼稚園のころロボットの絵にMという文字を書いていた、
> 小学校の図工の時間に作った壺にもMという文字を入れた、とのことです。
>
> 教団に入ってからは編集関係のワークを中心として行い、
> 成就認定後は、身体が常に快感に包まれているという至福状態が続いているそうで、
> アーレフのビデオで「至福の聖者」と紹介されていました。
>
> 私は彼の顔を知っていますが、この写真とよく似ています。
> 彼はマヘーンドラナート・グプターと自己に何らかの縁があるのではないかと感じ、
> インドのドッキネッショルのラーマクリシュナの住んでいた部屋を訪ねて行ったとき、
> とてつもない、懐かしさと感動を感じ、
> 一緒に行ったヨーガ教室の生徒さんたちが、
> なぜか泣いていた、ということがあったそうです。
> これは不思議な話だと思いますか?
> それとも、そうは思わないですか?



思いません。

それは『あるヨギの自叙伝』などを読んでいたパモが彼のナルシズムを満たすために無意識に演技をしたのだと思います。


聖者とは如何なる者か?

我が師も聖者Cもそして多くの聖者もこう答ます。


「神の楽器」

あるいは

「神の道化」

すなわち神の、神が神自身を表現するための道具であると。

聖者が死して、転生し新たな生を得る場合我々とは違う点があります。

それは傾向を決定するサンスカーラが死滅しているため前の生の傾向をひきずらないということです。

別の言い方をすればその生の都度に神が弾く曲が違う(その生でのテーマが違う)ので、成すべきテーマや乗り越えるべきテーマが違う(色々なシュチエーションを体験する)ので

ハッキリ言って

顔が似るとか人生がシンクロするとか

あり得ません。

シンクロするのはサンスカーラから解放されていないものたちだけです。


釈迦の転生譚を見ても様々なシュチエーションを生まれてきています(一貫しているのはその崇高な精神性だけです。そうで無い性もありますが)


偉大なものに自分の人生を重ねるのは弱者や虎の威を借る詐欺師の傾向です。

悟りを得んとする者は過去自分が誰であったかよりも自分とは一体何なのか?
を重視すべきです。

過去は消え去って戻っては来ない。永遠に。
だから過去世で自分が誰であろうとそれは糞ほどの意味も持ちません。

だから逆に瞑想の中で自分の過去世が見えてそれが偉大な人物だった場合、それは自分のプライドの高さの現れだと取るのが真の意味で偉大です。
返信する
貴重な発言 (白龍)
2009-08-02 19:12:39
元芝さんがオンフ板で貴重な発言をされていますので、
こちらにも転載させていただきました。
返信する
Unknown (オンフ板から転載)
2009-08-08 07:31:17
Message#25120 2009年8月6日(木)21時33分
From: 元芝
Re9:卵は殻だ。殻を破れ。世界を革命せよ!
教祖の卵さんのメッセージ(#25117)への返事

> 元芝さんのメッセージ(#25085)への返事
>
> ラクシュミー・デーヴィーの伝記より
>
> あるとき、部屋の半円状のベランダに立っていた師は100年後また生まれてくる
> とおっしゃった。
> しかし、ホーリーマザーは、また生まれてきたくないと言った。
> ラクシュミーもその考えには激しく反対した。
> もう二度と生まれてきたくない―たとえ煙草の葉のように切り刻まれようとも!
> と言ったのだ。すると師は笑って言った。
> 「もし私がここに来るなら、お前たちはどこにとどまるつもりなんだ?
> お前たちの心は私に恋いこがれるだろう。私たちの根はカルミ草のように
> 結びついているのだ―ひとつの茎をひっぱれば、茂みの全体が一緒についてくる」
>
> これを読むと、ラクシュミー・デーヴィーは、
> ラーマクリシュナが地球に再び生まれ変わること、
> そして、自分が生まれ変わることを望んでいない、
> ということが分ります。
> つまり、ラクシュミーの希望的な意思が混ざっているとは考えられません。
>

いいえ。
俺が言ってるのはラクシュミーのそういう「感情」の話ではなく、残された者の
「教団運営者」としての「打算」を言っているのです。



> 素直にこの文を読むと、ラーマクリシュナが100年後に、
> 弟子たちと共に、地球に転生するということになります。
> それが、あり得ることだと思いますか?
>

有り得ないと思います。

この言葉は支配を望まないラーマクリシュナらしからぬ発言です。
ラーマほど他人の自由に重きをおく聖者はいません。
なのでこれは後に残される「教団運営者」としての人物たちの思惑の入った

「物語」

であると俺は思います。

そして、一言。

真に悟りの道を歩く者ならば、弟子は師を追いかけたりはしません。

師の神の体現という表現の場を、機会を奪わないために。

師はあらゆるとこにいるのだから一人になど執着しません。

師も特別なことがない限り弟子を追いかけません。

弟子の神の体現の、その無限の多様性を、機会を奪わないために。

ラーマクリシュナは弟子たちの神の体現という機会を、その無限の多様性を自分一人の教えで限定させるような真似はなさらないはずです。

水は流れていくからこそ清い。

そのことに気がつかないほど愚かな方では断じてない。

逆に、

ラーマとその弟子たちの転生がどこどこの誰々だと固執するのは彼等に対する冒涜侮辱であると思います。

彼等は無限の多様性とそのもっとも崇高な形の最も壮大なバージョンで転生しているはずだから。

これ以上この結論をある形に集約させようという意図が汲み取れる愚昧な議論を俺は望みません。

なので敢えて断定します。
返信する
勝手転載申し訳ない (白龍)
2009-08-10 12:04:22
 オンフ板から勝手に転載させていただいて申し訳ないですが、掲示板から貴重な書き込みが流れて消えてしまうのがもったいないので、こちらに転載し保存させていただきます。関係者の皆様ご容赦のほど。

 元芝さんと新しく書き込みされているヨギーニさんの会話は、ヨガの本質を知っておられる方同士の会話と言う点で興味深いだけでなく、オウムの教義や行法の問題点を指摘する上で貴重な資料となるのではないかと考えます。
返信する
Unknown (クンダリニーヨーガ)
2009-08-10 12:11:12
Message#25275 2009年8月9日(日)03時24分
From: ヨギの卵 あらため ヨギーニ

「クンダリニーヨーガ」

言いたいことは、たくさんあるのですが。
クンダリニーヨーガだけで、サマディーには行けないと思います。

オウムのクンダリニーは、日本人向けというか、わかりやすいんですね。
ある面で、松本は凄いと思いましたが。
チベット的な、供養の瞑想とかと関係あるのだったかな?。
アレンジのしかたが上手いのでしょうか?。

どうして、松本がラージャヨガがダメというのかわかりませんが。
ババジを支配できなかったから?。

1度 リシケシでもいいから、アシュラムに行って修行したら
目が覚めないのかなあ・・・。
オウムの人たちの思考がわからないので、なんとも言えないのですが。

クンダリニー・・・、小周天に近い気もしますが
自分も不正確ですが 胴体だけで回す小周天のようなのを、習った気が・・・。

基本的に、スピードが速い ということが1番かと思われますが。
グルがいると、違いますしねえ。言葉になりませんが。

テクニックもけっこうあるとは思うのですが、最重視はされていない気がします。
あまり、気にしないほうがいいかも。w

深い瞑想に入りやすい人がいますが、サマディーに近いようですが
グルがいないと、帰ってくることが難しいようだし。
そういう人は、一見 上達が速そうですが、落とし穴がある気がします。

いつも、同じようなことを繰り返してしまうようですから。

チャクラも、普通のアーサナとプラーナヤマでも開発されますし。
クンダリニーは、特別のことではない気がします。

上がりにくい人もいますし、それでも問題はないと思うの。


Message#25281 2009年8月9日(日)07時57分
From: ヨギの卵 あらため ヨギーニ

「クンダリニー」

胴体だけで回す小周天のようなのを、習った気が・・・。
というのは、インドで図を書いて説明してもらったのです。
これは、いつか謎が解けるかなあ・・・。保留。
知らなくても、問題はないのですがね。

スピードが速い というのも、瞑想の効率がいいという意味です。
上がる、上がらないというのも、あまり意味がないと思います。

クンダリニーヨガだけでやってる人は、師の締め付けが多くて
習ったもの以外やるなという感じで
せいぜい、3つくらいのものを繰り返すだけです。
効率が異常に悪い気がします。

やはり、ヨガの場合はテクではなくて、その理論が大事かと。


Message#25286 2009年8月9日(日)08時36分
From: ヨギの卵 あらため ヨギーニ

「Re2:クンダリニー」
아벨(Abel)さんのメッセージ(#25283)への返事

> ヨギの卵 あらため ヨギーニさんのメッセージ(#25281)への返事
> > 胴体だけで回す小周天のようなのを、習った気が・・・。
> ヒンドゥーツァンダリーとかガヤトリー真言とか?? 後者は回さないか・・・

ヒンドゥーツァンダリーというのは、よく知らないのですが
甘露が落ちるとか?。チベット仏教は知らないので・・・。

ただ、全ては瞑想につなげていく。と思います。
ラージャヨガは。

実際に小周天は、自然に回っているとは思います。
ただ、心の小周天が1番大事なようですよ。
テクではなくて。

自分が習ったのは、たぶん 瞑想と関係あることで、技術だけ知っても
理論を知らないと、使いこなせないことだったかなあ・・・・・。

オウムは、技術も間違っているとは思うのですが、理論が1番問題あると思うのです。
オウムの行を全部知ってるわけではないですが。
元素の捉えかたが違う気がします。
返信する
Unknown (元芝氏妄想を斬る)
2009-08-10 12:19:39
Message#25295 2009年8月9日(日)19時35分
From: 櫻京

「Re:クンダリニーヨーガ」

ヨギの卵 あらため ヨギーニさんのメッセージ(#25275)への返事

> 言いたいことは、たくさんあるのですが。
> クンダリニーヨーガだけで、サマディーには行けないと思います。

僕は、ある元の方から伺ったところによりますと、
クンダリニーヨーガ的な、サマーディへの入り方の一例として、

全身を包むエネルギーの柱が、どんどんと広がっていき、
ついには内側と外側の二元性を越えて全てとつながって、
サマーディに至る。

というものがありました。
ムドラーのような行法を為した後に、自分の身体内におけるナーディとは別の箇所で、
エネルギーが上昇する現象があると思うのですが、
最終段階では、その「エネルギーの柱」と「外界」の区別がなくなるそうです。
小周天や大周天といった行法や体験は、エネルギー的に初期の段階だと思います。


Message#25298 2009年8月9日(日)20時02分
From: 元芝携帯

「Re2:クンダリニーヨーガ」

櫻京さんのメッセージ(#25295)への返事


> 僕は、ある元の方から伺ったところによりますと、
> クンダリニーヨーガ的な、サマーディへの入り方の一例として、
>
> 全身を包むエネルギーの柱が、どんどんと広がっていき、
> ついには内側と外側の二元性を越えて全てとつながって、
> サマーディに至る。
>
> というものがありました。


はい。
それ、妄想です。

クンダリニヨーガはシャクティ(クンダリニー)がサハスララのシヴァと合一(二元が一元になる)する時がサマディです。

外側と内側というのは人間の持つ誤解・幻想で本来は外側も内側もありません。
だって人間(生命全て)の基本構造は『筒』だから。

肉体的には口から肛門までの筒。
食物を摂取して排泄するまでの筒。

霊的にはアジナーからムーラダーラまでの筒。
プラーナを摂取して排出する筒。

なので実は最初から内側も外側も無い。

それに、外側に向かってエネルギーが大きくなる限り『それは無限大に広がっていく。だって外側って無限大だから』




> ムドラーのような行法を為した後に、自分の身体内におけるナーディとは別の箇所で、
> エネルギーが上昇する現象があると思うのですが、
> 最終段階では、その「エネルギーの柱」と「外界」の区別がなくなるそうです。

外側と内側という無知を無くす方が先です。

何の為に調気法をやるのか分かって無いからこんな誤解・妄想をするんです。

調気法には一般的な意味と効果の他の『外側と内側って実は存在しない。全ては一体。隔たりは幻』って気づく為にやるんですよ。




> 小周天や大周天といった行法や体験は、エネルギー的に初期の段階だと思います。


いえいえ。
こういうものは基本が奥義。
小周天だけでかなりのとこまでいけますよ。
返信する
Unknown (体験に対するとらえ方)
2009-08-10 12:21:17
Message#25304 2009年8月9日(日)21時21分
From: 元芝携帯

Re8:そもそも 今マッサージ屋さんは暇
ナDシィ(Abel)さんのメッセージ(#25302)への返事


> そう言っていただけると初心者としては安心です。以前には(体験至上主義のオウムの
> 行き過ぎへの警告という意味で)体験しなくてもよい、というふうに読み取れるような
> 仰り方のこともあって、あれれ一寸面白みに欠けないかな? と誤解したりも・・・


体験が生じないと不安になったりする方がいます。
こういうとらわれに陥らないためにも

『体験が無くてもいい』

と言っていたのです。

初心者は大変たくさん経験・体験すると思います。
でもそれは拘らずにスルーすべきものです。

体験自体は無意味です。
意味など無い。

体験は一つの世界だからそこにこだわるとそこの引力に捕らわれてそこから進めなくなります。

そして体験を拘らずということを続けていくと大抵自分のネックとなっている体験が繰り返し出てきて何が自分の弱点なのか分かってきます。

それさえも越えていくと体験がシンプル化していき、やがて体験が消えていきます。
返信する
Unknown (瞑想は必要ない?)
2009-08-10 12:23:35
Message#25307 2009年8月9日(日)21時34分
From: ヨギーニ

「昔の大聖者は」

瞑想をしなくても よい と言ったそうですよ。

それほど、深い瞑想に入らなくても、リラックスして自分を見るだけでも
かなり有効と思うのですね。

クンダリニーなんかも体験にこだわってるなあ・・・と感じますね。
上がらなくても・・・いいんじゃ?。(笑)

体験にこだわるのって、おかしな霊能者がビジョンを見ているようなものでは?。
脳がやられてるのでは?。と思います。

チャクラが見えたとか、見えないとか。
どうして、オウムがそこにこだわるのか、全くわかりませんよ。

反面教師としては、最高ですわ。



Message#25309 2009年8月9日(日)21時44分
From: 元芝携帯

「Re:昔の大聖者は」

ヨギーニさんのメッセージ(#25307)への返事

> 瞑想をしなくても よい と言ったそうですよ。


シャンカラですね。

あの聖者はジュニアーナ(ギャーナ)ヨーガの大天才なので果たして一般に当てはまるかどうか。


>
> それほど、深い瞑想に入らなくても、リラックスして自分を見るだけでも
> かなり有効と思うのですね。
>
> クンダリニーなんかも体験にこだわってるなあ・・・と感じますね。
> 上がらなくても・・・いいんじゃ?。(笑)
>
> 体験にこだわるのって、おかしな霊能者がビジョンを見ているようなものでは?。
> 脳がやられてるのでは?。と思います。
>
> チャクラが見えたとか、見えないとか。
> どうして、オウムがそこにこだわるのか、全くわかりませんよ。
>
> 反面教師としては、最高ですわ。



多分あなたが一番健全な精神を持ってると思います。
健全なコメントだと思います。
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