昨夜頑張りすぎてしまったので、今日は軽い話題でいこうと思う。信徒となって、道場に行くと、最初にびっくりしたのが、ごきぶりがいたことである。慣れないうちは、一般人の感覚だから、うわっ!ゴキブリ!って思う。はじめて見た信徒の中には叩こうとする人もいる。そうすると師やサマナから「殺さないでくださいね!」と言われる。最初は、「はっ?」と思う。通常一般人の常識としては、ごきぶりは害虫である。ばい菌を媒介して歩くと考えられるので、見つけ次第抹殺である。
しかし、道場では、ゴキブリ殺しはご法度である。ゴキブリに限らずいかなる虫、生き物の殺生も行ってはいけない。もちろん、いかなる場所での殺生もしないことが、不殺生の戒律である。最初は慣れないから、面談で、話をしていても、ゴキブリにばかり眼がいく。女性ならなおさらだろう。近寄って来ようものなら、顔を引きつらせる人もいる。それが、道場に足しげく通ううちに、しだいにゴキブリに慣れていく。本当は慣れちゃいけないのだろうが、人間とはどんな環境にでも適応していくものである。そのうち、ゴキブリのことを、「ゴキちゃん」などと呼び出すようになる。
まあ嫌悪と言うものは、持っていて幸せになることがないので、出来るだけ少ないほうが良い。そう考えると、生き物に対しても、嫌悪を向けないにこしたことは無いのだ。そこで、ちゃんづけで呼んで、出来るだけゴキブリに対する嫌悪を持たないようにする作戦は、まあ良い作戦といえるだろう。しかし、ミミズとかだとミミちゃんで、トカゲだとトカちゃんになるのだろうか?トカちゃんってどこかで聞いたような気がするけど・・。
ゴキブリでも嫌悪を向けないのは、確かに素晴らしい修行実践だと思うが、ゴキブリを増やしっぱなしにするのは、また違う問題のような気がする。日頃、きれいに道場を掃除すれば、かなりの繁殖を抑えることが出来るはずなのである。さすがに、支部は、信徒の出入りがあるため、毎日掃除をしてきれいにしているので、まあまあましなのである。それでも、一日一回は、ゴキちゃんに遭遇していた。
そのうち、どういうわけか、自宅にまで、ゴキちゃんが現れる。どうも、バックか何かの陰に隠れて、自宅に潜り込むらしい。なぜ道場のゴキちゃんか分かるかと言うと、家にいるゴキブリと、種類が少々違うのである。一般的に、ゴキブリというと、黒くてでかい、脂っこいやつで、足の速いやつを思い浮かべると思う。あるいは、よく家にいる、茶色の脂っこい太ったゴキブリを思い浮かべると思うが、道場のやつは、その種類とは少々違うのだ、比較的スマートで、大きさも、黒いやつの半分くらいで、はねがはえている、良く言えば、ちょっとバッタに近いような感じである。走りもそんなに早くない。だから、まだ耐えられたのかもしれない。さすがに、黒いでかいゴキブリが、わさわさいたら、道場に誰も寄り付かなかっただろう。
それが、ある日突然、我が家にお目見えする。さあ、それからが大変。不殺生の戒は守りたいから、殺さないようにしようと、ゴキちゃんとの格闘が始まる。見つけては、外に逃がし、見つけては外に逃がしをする毎日。連中も仲間がいなくなるものだから、負けじと仲間を増やそうと躍起となる。人間とゴキちゃんの攻防戦である。時には、アパートの二階の窓から、下にゴキちゃんを落としてやったこともある。一階の人は大丈夫だったろうか?一階の人ごめん。懺悔。
仙台支部も一時期、ものすごく、ゴキちゃんが増えたことがあった。今は、隙間を全部入れないようにテーピングして、掃除もきちんとしているので、ゴキちゃんを見ることがほとんど無くなった。しかし、沢山いた時は、いるのが当たり前状態で、ペットボトルの上を切って、ゴキブリ捕獲器を作り捕獲していた。内側にバターを塗って、すべりやすくしてゴキちゃんが上がれないようにして、中に餌となるバナナの皮を入れる。そうすると、餌に釣られたゴキちゃんが中に落ちて上がれなくなって、中にたまるのである。それがまた、毎日取れるのである。さすがに、たまったゴキちゃんを見るのは、慣れてはいてもいい気分ではない。それでも、出てくるやつが後をたたないと、ハンディタイプの掃除機で吸い込むのである。吸い込んだ後、口をダンボールでふさいで閉じ込める。しかし、これをやると、時々ポアされるやつがいる。
それを、夜中に公園に持っていって、逃がしてやるのである。サマナの代わりにゴキちゃん逃がしバクティーをやったことが、何度もあるが、公園の周辺の人はゴキブリ被害に遭わなかったのだろうか?それよりも、ゴキちゃん逃がしで、功徳が積めるのだろうか?それもちょっと疑問である。教団では、教団のために働くことは全て功徳になると考えているので、功徳になったのであろう。
私の数あるゴキブリ体験の中でも、最も強烈だったのは、亀戸道場のゴキブリ体験であった。亀戸は、「うまかろう安かろう亭」という飲食事業部で働くマハポの信徒さんが、寝泊りしていたところであった。それぞれに、掃除はしているのだが、結構広い上に、皆くたくたに疲れて帰ってくるため、食事して、風呂に入って、修行して、寝袋にもぐってバタンキューなのである。掃除も手抜きになってしまう。
ゴキちゃんに取っては天国のようなところであった。とにかくびっくりするほどいた。信徒さんの中には、ごきぶりに噛まれたという人までいた。道場では、布団などというものは無い。みんなごろ寝で、畳に寝るか、寝袋に入って寝るのである。飲食店で遅くまで働いて、くたびれて風呂にも入らずに寝てしまう人もいる。そうすると、ごきぶりが、良いにおいに誘われて出てくる。目の前には、巨大な餌が転がっていると見えたのであろう。カプッと噛んでしまうのである。昔は、田舎でねずみが多かったから、ねずみに噛まれた話は聞いたことがあったが、ゴキブリに噛まれた話は、オウムにきて始めて聞いた。
亀戸道場には、ガス室があり、コンロがいくつか並んでいた。そこで皆がラーメンやそばを作って食べたりしていた。そうすると、食物のかすが落ちるものだから、当然連中も自然に集まってくる。ある夜、深夜何か作って食べようかと思って、ガス室に入ろうとして、ガス室の電気をつけたら、床が灰色になっていた。そして、明かりと同時に、灰色が一斉に動き出した。灰色に見えたのは、床が白っぽいところに、茶色っぽいゴキちゃんが、大量に散らばっていたため、灰色に見えたようである。それが、まさに蜘蛛の子を散らすように、一斉に物陰に隠れようと逃げ出した。となりのトトロのまっくろくろすけを知っていると思うが、あれが逃げていく様にそっくりであった。
田舎育ちで、虫好きの私でも、さすがに「おっ!」と声が出て、その場に立ちすくんだ。草むしりをしている時に、10センチの緑のいも虫が出てきた時以来の衝撃であった。これだけいるんだという妙な感動を覚えた。すごかった。あんなにたくさんのゴキちゃんを見たのは、私だけだったのだろうか?他の人も見ていたのかな?見ていた人いたら、ご一報ください。
あまりに、たくさんいたため、中には、極端に貪りの強いやつもいた。そういうやつは、食い意地が張っているため、少々の危険を冒してでも、食い物のそばに近づこうとする。そして、まさに、食事にありつこうとした時に、コンロの火に近づきすぎて、焼身自殺をしたものもいたのである。
しかし、まあ、亀戸道場はまだ良い。所詮修行者の空間だから。しかし、飲食店でのゴキちゃんはまずかった。私は、江古田の定食屋に配属になっていたのだが、食事を作っていると、店から、女性の悲鳴が聞こえてくるのである。「キャー!」という声が聞こえてくると、従業員皆で、顔を見合わせて、どうしようという顔になる。皆、もう、「キャー!」の原因が分かりすぎるほど分かっているのである。店内にもゴキちゃんがいっぱいなのである。人が入っていて、ばたばたしている時は、やつらも、おとなしく潜んでいるが、少し人が減ってくると、どこからともなく現われるのである。
「キャー!」と騒がれると、さすがに無視も出来なくて、店のおばさんが、「私もういややわ~!」と言いつつ謝りに行って、ゴキちゃんを追い払ったり捕まえたりする毎日。店を閉めた後、ゴキブリ捕獲器で捕まえたゴキちゃんを、毎日公園に逃がしに行くのが日課だった。店のテーブルを見ると、板と板の隙間に、ゴキちゃんの赤ちゃんが、たくさん入り込んでいるのである。隙間が狭くて、それを採ることも出来ない。これはいつか、店がつぶれるといつも思っていた。
もちろん、今の支部道場はどこも、きれいに掃除がされているので、大丈夫だと思うが、内ワークの部署とかは今も怪しいかもしれない。今は辞めて教団にいなくなったサマナが、「頭陀の行と不潔なのは違うんだ!きたないのは、そこに住んでいる者の心の現われだ!」と怒って掃除をしていたのを思い出す。そういうことがちゃんと分かっている人は、いなくなっちゃうんだよねえ。残念。
しかし、道場では、ゴキブリ殺しはご法度である。ゴキブリに限らずいかなる虫、生き物の殺生も行ってはいけない。もちろん、いかなる場所での殺生もしないことが、不殺生の戒律である。最初は慣れないから、面談で、話をしていても、ゴキブリにばかり眼がいく。女性ならなおさらだろう。近寄って来ようものなら、顔を引きつらせる人もいる。それが、道場に足しげく通ううちに、しだいにゴキブリに慣れていく。本当は慣れちゃいけないのだろうが、人間とはどんな環境にでも適応していくものである。そのうち、ゴキブリのことを、「ゴキちゃん」などと呼び出すようになる。
まあ嫌悪と言うものは、持っていて幸せになることがないので、出来るだけ少ないほうが良い。そう考えると、生き物に対しても、嫌悪を向けないにこしたことは無いのだ。そこで、ちゃんづけで呼んで、出来るだけゴキブリに対する嫌悪を持たないようにする作戦は、まあ良い作戦といえるだろう。しかし、ミミズとかだとミミちゃんで、トカゲだとトカちゃんになるのだろうか?トカちゃんってどこかで聞いたような気がするけど・・。
ゴキブリでも嫌悪を向けないのは、確かに素晴らしい修行実践だと思うが、ゴキブリを増やしっぱなしにするのは、また違う問題のような気がする。日頃、きれいに道場を掃除すれば、かなりの繁殖を抑えることが出来るはずなのである。さすがに、支部は、信徒の出入りがあるため、毎日掃除をしてきれいにしているので、まあまあましなのである。それでも、一日一回は、ゴキちゃんに遭遇していた。
そのうち、どういうわけか、自宅にまで、ゴキちゃんが現れる。どうも、バックか何かの陰に隠れて、自宅に潜り込むらしい。なぜ道場のゴキちゃんか分かるかと言うと、家にいるゴキブリと、種類が少々違うのである。一般的に、ゴキブリというと、黒くてでかい、脂っこいやつで、足の速いやつを思い浮かべると思う。あるいは、よく家にいる、茶色の脂っこい太ったゴキブリを思い浮かべると思うが、道場のやつは、その種類とは少々違うのだ、比較的スマートで、大きさも、黒いやつの半分くらいで、はねがはえている、良く言えば、ちょっとバッタに近いような感じである。走りもそんなに早くない。だから、まだ耐えられたのかもしれない。さすがに、黒いでかいゴキブリが、わさわさいたら、道場に誰も寄り付かなかっただろう。
それが、ある日突然、我が家にお目見えする。さあ、それからが大変。不殺生の戒は守りたいから、殺さないようにしようと、ゴキちゃんとの格闘が始まる。見つけては、外に逃がし、見つけては外に逃がしをする毎日。連中も仲間がいなくなるものだから、負けじと仲間を増やそうと躍起となる。人間とゴキちゃんの攻防戦である。時には、アパートの二階の窓から、下にゴキちゃんを落としてやったこともある。一階の人は大丈夫だったろうか?一階の人ごめん。懺悔。
仙台支部も一時期、ものすごく、ゴキちゃんが増えたことがあった。今は、隙間を全部入れないようにテーピングして、掃除もきちんとしているので、ゴキちゃんを見ることがほとんど無くなった。しかし、沢山いた時は、いるのが当たり前状態で、ペットボトルの上を切って、ゴキブリ捕獲器を作り捕獲していた。内側にバターを塗って、すべりやすくしてゴキちゃんが上がれないようにして、中に餌となるバナナの皮を入れる。そうすると、餌に釣られたゴキちゃんが中に落ちて上がれなくなって、中にたまるのである。それがまた、毎日取れるのである。さすがに、たまったゴキちゃんを見るのは、慣れてはいてもいい気分ではない。それでも、出てくるやつが後をたたないと、ハンディタイプの掃除機で吸い込むのである。吸い込んだ後、口をダンボールでふさいで閉じ込める。しかし、これをやると、時々ポアされるやつがいる。
それを、夜中に公園に持っていって、逃がしてやるのである。サマナの代わりにゴキちゃん逃がしバクティーをやったことが、何度もあるが、公園の周辺の人はゴキブリ被害に遭わなかったのだろうか?それよりも、ゴキちゃん逃がしで、功徳が積めるのだろうか?それもちょっと疑問である。教団では、教団のために働くことは全て功徳になると考えているので、功徳になったのであろう。
私の数あるゴキブリ体験の中でも、最も強烈だったのは、亀戸道場のゴキブリ体験であった。亀戸は、「うまかろう安かろう亭」という飲食事業部で働くマハポの信徒さんが、寝泊りしていたところであった。それぞれに、掃除はしているのだが、結構広い上に、皆くたくたに疲れて帰ってくるため、食事して、風呂に入って、修行して、寝袋にもぐってバタンキューなのである。掃除も手抜きになってしまう。
ゴキちゃんに取っては天国のようなところであった。とにかくびっくりするほどいた。信徒さんの中には、ごきぶりに噛まれたという人までいた。道場では、布団などというものは無い。みんなごろ寝で、畳に寝るか、寝袋に入って寝るのである。飲食店で遅くまで働いて、くたびれて風呂にも入らずに寝てしまう人もいる。そうすると、ごきぶりが、良いにおいに誘われて出てくる。目の前には、巨大な餌が転がっていると見えたのであろう。カプッと噛んでしまうのである。昔は、田舎でねずみが多かったから、ねずみに噛まれた話は聞いたことがあったが、ゴキブリに噛まれた話は、オウムにきて始めて聞いた。
亀戸道場には、ガス室があり、コンロがいくつか並んでいた。そこで皆がラーメンやそばを作って食べたりしていた。そうすると、食物のかすが落ちるものだから、当然連中も自然に集まってくる。ある夜、深夜何か作って食べようかと思って、ガス室に入ろうとして、ガス室の電気をつけたら、床が灰色になっていた。そして、明かりと同時に、灰色が一斉に動き出した。灰色に見えたのは、床が白っぽいところに、茶色っぽいゴキちゃんが、大量に散らばっていたため、灰色に見えたようである。それが、まさに蜘蛛の子を散らすように、一斉に物陰に隠れようと逃げ出した。となりのトトロのまっくろくろすけを知っていると思うが、あれが逃げていく様にそっくりであった。
田舎育ちで、虫好きの私でも、さすがに「おっ!」と声が出て、その場に立ちすくんだ。草むしりをしている時に、10センチの緑のいも虫が出てきた時以来の衝撃であった。これだけいるんだという妙な感動を覚えた。すごかった。あんなにたくさんのゴキちゃんを見たのは、私だけだったのだろうか?他の人も見ていたのかな?見ていた人いたら、ご一報ください。
あまりに、たくさんいたため、中には、極端に貪りの強いやつもいた。そういうやつは、食い意地が張っているため、少々の危険を冒してでも、食い物のそばに近づこうとする。そして、まさに、食事にありつこうとした時に、コンロの火に近づきすぎて、焼身自殺をしたものもいたのである。
しかし、まあ、亀戸道場はまだ良い。所詮修行者の空間だから。しかし、飲食店でのゴキちゃんはまずかった。私は、江古田の定食屋に配属になっていたのだが、食事を作っていると、店から、女性の悲鳴が聞こえてくるのである。「キャー!」という声が聞こえてくると、従業員皆で、顔を見合わせて、どうしようという顔になる。皆、もう、「キャー!」の原因が分かりすぎるほど分かっているのである。店内にもゴキちゃんがいっぱいなのである。人が入っていて、ばたばたしている時は、やつらも、おとなしく潜んでいるが、少し人が減ってくると、どこからともなく現われるのである。
「キャー!」と騒がれると、さすがに無視も出来なくて、店のおばさんが、「私もういややわ~!」と言いつつ謝りに行って、ゴキちゃんを追い払ったり捕まえたりする毎日。店を閉めた後、ゴキブリ捕獲器で捕まえたゴキちゃんを、毎日公園に逃がしに行くのが日課だった。店のテーブルを見ると、板と板の隙間に、ゴキちゃんの赤ちゃんが、たくさん入り込んでいるのである。隙間が狭くて、それを採ることも出来ない。これはいつか、店がつぶれるといつも思っていた。
もちろん、今の支部道場はどこも、きれいに掃除がされているので、大丈夫だと思うが、内ワークの部署とかは今も怪しいかもしれない。今は辞めて教団にいなくなったサマナが、「頭陀の行と不潔なのは違うんだ!きたないのは、そこに住んでいる者の心の現われだ!」と怒って掃除をしていたのを思い出す。そういうことがちゃんと分かっている人は、いなくなっちゃうんだよねえ。残念。
「道場にはゴキブリなんていない」
なんて、言っている現役信者や元信者がいたとすれば、
彼は「偽物」だと思いますね。
わたしは道場に通っているとき、
説法会や道場開きの時を除いて、
ゴキちゃんを見かけない日はありませんでした。
種類はというと、チャバネゴキブリでしたね。
「小さく茶色い」ゴキブリです。
横たわった枯れ木の下にもいますね。
わたしの家の中にはいません。
いるのは、黒くて大きな種類でつ。
ごきぶるな♪
ゴキブリの歌という歌なんですが、
まあ切実な問題ですわねえ。
特に虫嫌い(足がないのは大丈夫)な私には
切実以上に死活問題です。w
それでも道場のゴキブリは可愛いですね。
黒ゴキブリってやつだけはどうしてもダメ。
ちなみに、亀戸道場って
どこらへんにあったんでしょう?
東京に滞在する時は亀戸の近所なので、
一度跡地を見に行ってみたいのですが。
及ばずながら、
今後のご家族の幸福を祈らせていただきます。
さてさて、我が家のは黒ゴキですからな。
大きくて不気味なのじゃ。
道場のは単なる虫というイメージで
あまり嫌悪感も感じません。
ゴキも道場に住み着くほうが命の保障があっていいと思う。
一般家庭は殺害される率高いから。(笑)
まだかわいいやつ。
あれだとまだ触れますが、
黒いやつは、さすがに触りたくないです。
昔、子どもの頃、木のくぼみに、
黒い影を見つけたので、
てっきりクワガタだと思い、
捕ろうとしたら、ゴキブリで
ギャッと驚いたことがありました。
「ゴキブリのいない道場なんて、・・・。」
童謡ですかこれ?
虫嫌いの人にはきついですね。
都会で、田舎暮らしをしたいと言う人に、
夏になると、蚊とアブと蛾が一杯出るよ、
というとみんなたいがいしりごみしますね。(笑)
亀戸道場は、駅から結構離れたところにありましたね。
歩いて15分くらいだったかなあ。
どなたか、東京の人で知っている人いないですかね。
4階建てのビルだったと思いますが、
まだ建ってるのですかね?
私は、青山総本部道場に行ってみたいです。
しかし、病院に通って、老人をながめ、
老いと死を見つめるというのは、
最高の修行です。
是非、アーレフの皆さんにも、
実践していただきたいと思うくらいです。
セイラさんのところは、黒ゴキですか。
黒ゴキの嫌なところは、
動きが早いのと、飛ぶところですね。
カブトムシかクワガタかと思って、
捕まえようと思うと、ゴキだったということが結構ありました。
ゴキといえど、むやみに殺さないほうが、
いいのでしょうな。
本当の謝罪は相手の望むことをすること。そして相手が望むことは
自分の望むこととは異なるものだ。それは自分にとって
もっともやりたくないこと、辛いことであるかもしれない。しかし、
それを敢えてするのが真の謝罪だ。
アーレフにとってはそれは解散なのである。自分のやりたいことをやって
好き放題、それで謝罪というのはありえない。
>そして相手が望むことは
>自分の望むこととは異なるものだ。
>それは自分にとって
>もっともやりたくないこと、辛いことであるかもしれない。
>しかし、
>それを敢えてするのが真の謝罪だ。
>アーレフにとってはそれは解散なのである。
>自分のやりたいことをやって
>好き放題、それで謝罪というのはありえない。
紀藤雑談板のあんぐら~さんが
「団体にではなく、個人に賠償金をかけるべし!」と主張しています。
わたしはア~レフが解散したくないのは、
個人にかけられたくないからだと思います。
もし、解散して個人にかけられたとしたら、払えない方も出てきますからね。
という理由があるので、
絶対に「教団解散」なんて上祐氏や二ノ宮氏もしないと思います。
オウム真理教:被害者集会「賠償、いったん国が立て替えを」--東京
オウム真理教(アーレフに改称、96年破産)の賠償問題で、被害者や遺族ら約50人は4日、東京・永田町の衆院第2議員会館内で集会を開き、教団による賠償を国がいったん立て替える特別法の制定を求めるアピールを採択した。
破産手続きにのっとった教団の賠償は3割にとどまっている。「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさんは「事件から10年以上たち、もう待てない」などと訴えた。
この日は教団の債権者集会も東京地裁であった。被害者への優先配当のため発足した「オウム真理教犯罪被害者支援機構」に、一般債権者から約2億3400万円の債権が譲渡されたことが明らかになった。次回の中間配当から被害者賠償に上乗せする。【高倉友彰】
毎日新聞 2006年10月5日 東京朝刊
2006年10月4日(水)21:38 朝日新聞
オウム真理教(アーレフに改称)の破産管財人は4日の債権者集会で、サリン事件などの被害者賠償のために進めている資産処理の状況を明らかにした。教団関連先で見つかった金の延べ板が換金された一方、長野県内の山肌に建設された核シェルターやスリランカにある茶畑など、買い手がつかないまま「塩漬け状態」となっている資産もあった。
延べ板は00年、元幹部の子供が暮らしていた埼玉県都幾川村(当時)の住宅で見つかった。テレビ台にあったビデオケースに2枚が収められ、村役場が管財人に引き渡した。1枚1キログラム。416万円で売却した。
一方、教団が核シェルターを建設した長野県川上村の山林17ヘクタールは買い手がつかない。解体に金がかかる上、造成が不十分で、台風の時に土砂が流された。「普通の人は買わないだろうし、公費を充てるのも割に合わない」と村の職員はいう。
海外資産では、土地が広すぎて交渉が難航するケースもあるという。