白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

オウム真理教との出会い

2006-09-25 03:13:05 | Weblog
 実家に戻ってからも、彼女とは、電話のやりとりを結構していたし、週末を利用して会うことも出来た。ただし、実家にいては、以前のように、頻繁に会うことは出来なかったのは確かである。今考えると、かえってそのほうが、二人のためには、良かったのかもしれない。近いところに一緒にいて、しょっちゅう会っていると、どうしても、自分のエゴをぶつけたくなりがちである。特に、独身者の私は、自分のことだけを、考えていれば良かったが、家庭を持っている彼女は、そうはいかない。結局、失うものが無い私が、煮え切らない彼女を、攻めるという構図が出来上がっていた。しだいに彼女が、独身者でなく、妻帯者と不倫をすれば良かったと思うようになったのもわからないでもない。

 そう、彼女は、私が実家に戻って2年ほどたった時、妻子ある男性と関係を持つようになるのである。その男性は、私の行きつけのスナックに、よく飲みに来ていた消防士であった。私もよく知っている男だった。

 しかし、このことを書く前に、最も大切な出来事である、オウム真理教との出会いについて触れなくてはならない。

 私が実家に帰ってから、1年ほど過ぎようとしていた時である。彼女との関係は、相変わらず進展を見ず、闇の中を、いつ出口が見えるのかわからないまま、日々の生活を送っていた。実家に帰っても、酒の量は減らず、ほとんどアルコール依存症のように、毎日飲んでは、憂さを晴らしていた。

 子供たちとの関係についても触れておきたい。本当は、子供たちに申し訳なくて、あまり書きたくないが、懺悔のつもりで、あえて書かせていただく。私生活で、こんなに、ぐちゃぐちゃになっている教師が、良い教育など出来るわけがない。頭の中は、女のことでいっぱいなんだから、全てにおいて上の空である。子供の本当の内面を探るわけでも無く、上っ面だけで判断する薄っぺらい教師になっていた。おまけに、毎日深酒をして、二日酔いで、酒臭いまま教壇に立っていた。午前中はグロッキー状態で、ぐったりしていて、給食を食べてようやく復活するような教師である。子供たちがついてくるわけがない。子供との関係も、ぎくしゃくしており、それを、どう修復していいのかも分からず、全くのお手上げ状態だった。

 自分の私生活にも、職業にも自信が持てず、途方に暮れていた頃、本屋で一冊の本に出合った。「マハーヤーナ」という本であった。表紙には、ピンクのサリーのようなものを着た男が、横を向いて微笑んでいる写真が載せてあった。「なんじゃこの男は?」。ものめずらしさから、本を手に取ったのが最初だった。もう一冊、マハーヤーナの第二巻も置いてあった。こちらには、きれいな女性が微笑んでいる写真が載せられていた。この女性の微笑みに引き付けられた。中を見ると、なんと、悟り、解脱について書かれた本であり、おまけにヨガをベースに修行をするらしいということが分かった。学生時代、精神世界の本を捜し歩いていた頃の記憶がよみがえってきた。

 早速、2冊とも買って、家に帰ってむさぼるように読んだ。チャクラやクンダリニーなどの言葉は、すでに知っていたので、あまり抵抗無く頭に入ってきた。しかし、アストラルやコーザル、ラジャス、タマス、サットヴァなどやたらカタカナの言葉が出てきて、言葉を理解するのに苦労をした。しかし、悟り、解脱こそが、私の出口の見えない現状を打破する、唯一の方法であると思った。
 ケイマ大師の成就体験記は、かなりインパクトがあった。こんな体験が出来るなら、修行してみたいと思った。

 そこからはもう、オウムの本を買いまくって、片っ端からむさぼるように読んだ。とにかく面白かった。私の興味関心の全てに合致していた。悟り、解脱、ヨガ、超能力、神秘性、大乗の救済。私の欲しかったものが、全てそろっていたのだ。当然のごとく、のめり込んだ。読み進めていくうちに、シャクティパットなるものがあることを知った。これは、クンダリニーを目覚めさせるために、絶大な効果を発揮する技法であるらしい。私はすでに、クンダリニーが、人間を驚異的に変革させる原動力であることを知っていたため、なんとかしてクンダリニーを目覚めさせたいと考えていた。それが、シャクティーパットで実現できる。なんとしても、シャクティーパットを、受けてみたくなった。

 オウム神仙の会から、オウム真理教に変わったばかりの時で、なんだよ、宗教か~、どうしようと少々迷った。しかし、シャクティーパットの誘惑には勝てず、入信することに決めた。1988年のことである。
 
 入信してからは、出版された書籍を買い漁り、分からないなりにも、教義を一生懸命学んだ。我々には、なぜ生老病死があるのか、仏教的な戒律が、なぜ必要なのか、どうすれば苦しみから解放されるのか、スパスパと自分が長年疑問に思っていたことが解決されていき、学ぶのが本当に楽しくて仕方が無かった。

 自分が見つけた素晴らしいものを、人に教えたくなるのは人情。彼女に会った時、オウムについての話をした。オウム真理教という、教団に入信したことを話し、このような、すごい教えがあってね、解脱、悟りが得られるんだよと言う話をした。そうしたら、彼女に「私は、宗教をやるような弱い人間は嫌いなの。」と言われた。彼女の中には、宗教は、現実に向き合えない弱い人間が、神仏の力にすがるものというイメージがあったらしい。いやいや、そうではないのだよという説明をしても、なかなか理解してもらえなかった。

 教義の理解もいくらか進んできたある日、彼女から、電話で、別な男性と付き合っていることを打ち明けられた。物理的に離れているとはいえ、彼女を信じていた私は、話を聞いた時、我が耳を疑った。相手は、私も知っている男であった。また、泥沼の復活である。当然、電話で彼女を責めた。会った時も、どうしても、そのことで口論になる。なら別れればいいのに、彼女を失うことが怖くて、別れることすらも出来ない。泥沼状態のまま、月日だけが過ぎて行った。
 
 そんなある日、彼女と電話で話していて、いつものように、彼氏の関係について口論になり、私が、彼女をなじっていたら、彼女が、小さな声で「もう、許して。」と言った。その言葉を聞いた時、はっとした。私は、この世で最も愛したい相手を、苦しめていたのだと理解した。その時、愛と愛情は違うものなのだ、という教えを思い出した。愛情は、相手から見返りを求めるが、愛は、相手からの見返りを一切求めることなく、相手が成長するためなら、喜んで身を引くことが出来るのだという違い。私の感情は、愛情であったと理解した。そこで、全てが吹っ切れた。彼女を、本当の意味で愛する実践をしようと思った。その日を境に、彼女を責めることはなくなった。

 それからは、逆に、彼との関係や、子供に関する相談を聞いてやる、相談相手に徹した。もちろん、彼氏の話を聞かされる時、最初の頃は、嫉妬が湧き出てきて、苦しかったが、しだいに、それにも慣れていった。やはり、心が落ち着いていった背景には、教義の理解が大きかったように思われる。

 そんな、相談者と、聞き役の関係が続いていたある日、彼の浮気が、相手の奥さんにばれたらしいという話を聞いた。彼の家庭は、まだ子供が1歳になったかならないかくらいであった。奥さんは、怒りまくったらしい。しばらく日にちが過ぎてから、すさまじい話を聞かされることになった。

 なんと、怒り狂った、彼の奥さんは、彼女がいない時に、彼女の家に上がり込んで、旦那様を寝取ったというのである。なんとも、恐ろしい話である。奥さんは、復讐を果たしたのだろう。それを見せられた彼女は、怒り心頭で(私に言わせれば、自分が原因を作ったのだから、怒る必要はないと思うのだが)旦那様を責めたらしい。かわいそうなのは、彼女の旦那様である。さんざん、嫁さんに裏切られ続け、挙句に、浮気相手の奥さんの復讐のために利用されてしまった。結局、彼女は、旦那様と離婚。彼のほうの家庭も離婚。ダブル離婚という結末で、二家族が崩壊して全てが終った。一番の被害者は、子供達であったろう。今だから言えるが、私が、家庭を壊さなくて本当に良かったと思う。

 離婚後もしばらく、いろいろ相談にのってやっていたが、去るものは日々に疎し。しだいに、電話もかけなくなり、彼女との縁も完全に切れた。オウム風に言えば、カルマが切れたのだろう。

 長々と、過去の恥を書きなぐってきたが、オウムとの出会いに至る経緯を語る上で、どうしても避けて通れない話であったので、詳細を書かせていただいた次第である。


10 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-10-31 01:58:13
ここまで、興味深く読ませていただきました。

35歳にして、彼女を持ったことのない私にとっては

普通の小説より面白かったです(失礼な言い方ですが)

白龍さんは文章がとても上手ですね。

携帯のブックマークに登録してしまいました。
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Unknownさん (白龍)
2006-10-31 02:06:32
どうもはじめまして。

よくおいでくださいました。

ほめられると嬉しいですが、

文章が上手いというよりも、

事実の力に勝る物がないのでしょうね。



35歳なのですか、これから、まだまだ出会いが有りますよ。

素敵な人とめぐり合えると良いですね。

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思い出したので (さくら)
2006-11-08 01:18:53
さくらの出会いは、港区のどこかのフェンスに貼ってあったちっちゃなポスターでした。
松本さんが中央に座ってる白黒のポスター。
ふしぎだな~って思って立ち止まってしばらく観てました。
まさか、後に自分が入信するとは・・・。
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さくらさん (白龍)
2006-11-08 01:25:59
また、古いところから読み始めたのですか?(笑)

>ふしぎだな~って思って立ち止まってしばらく観てま>した。

なぜ不思議だな~って思ったのでしょうか?
写真の姿?

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白龍さんへ (さくら)
2006-11-08 01:38:41
何故不思議だったのか・・・。

松本さんの装束・ポーズだったか
そんなちっちゃな
(ポケットティッシュの倍くらいに感じました)

変なポスターを立ち止まってみている自分自身だったか。

今となっては謎です。
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そうなんだ (白龍)
2006-11-08 01:47:11
ちっちゃなポスターでも、
何かインパクトがあったんでしょうね。
入信しちゃうんですから。
世田谷赤堤の道場に通ったのですか?
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Unknown (さくら)
2006-11-08 01:57:18
入信はその数年後、杉並でした。
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さくらさん (白龍)
2006-11-08 02:08:34
杉並でしたか。
杉並道場も、説法会でよく行きました。

さくらさんは、今お住まいはどちらなんでしたっけ?
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それは (さくら)
2006-11-08 11:52:58
fufufuないしょ(*^^*)
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あら (白龍)
2006-11-08 12:51:53
そうでしたか、ではないしょにしておきます。
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