浮かんでは消え、また浮かぶという繰り返しを続ける「大宏池会」構想。麻生派、古賀派、谷垣派の3グループが、元の鞘に収まるには過去の遺恨がいろいろあり難しいことは周知の事実です。
そこで今度は、古賀派、谷垣派の連合体を模索する動きが浮上してきました。「中宏池会」構想と名付ける人もいましたが、誰が見ても麻生太郎へのさや当てです。
参院選後にあり得ると、ささやかれ始めた内閣改造と執行部改造。そのなかでも注目されているのが、麻生太郎の幹事長起用があるかないか。
どこまでも安倍首相と足並みを揃えてきている麻生太郎の存在が、古賀誠、谷垣禎一、加藤紘一にはたまらなく許せないことなのかもしれません。
すかさず麻生太郎は
「古賀派と谷垣派の合流は、安倍政権に批判的な勢力の結集と見られるだけで、得策ではない」とコメントしていました。
それを批判するかのように加藤紘一が、
「昔の派閥がよかったというのでなく、政策的な考えがより近い人が集まるべきだ」、
「アジア外交重視など、リベラル系の人間が多く集まらなければならない」とコメントをしていたのはお互い顔が見えないなかでバトルしているようです。
加藤紘一のコメントを聞いて引っかかったのが「リベラル系」という表現。
リベラル系とはいったいなんなのか。加藤が使った意味は、安倍首相や麻生太郎などを右寄りの政治家と位置づけ、自分たちは左寄りでもない「真ん中あたりですよ」といったところでしょう。
ところがこの「リベラル」がくせ者でとても耳障りが良いのですが、意味がよく分かりません。
政治関係の人たちが理解しているリベラルという意味は以下のようなものでしょう。
リベラル=個人の自由や権利を尊重し、社会や体制の変化を促進していこうとする立場。
一方、リベラルに対する言葉は「保守」。
保守=共同体の伝統・秩序・習慣を重視し、社会や体制を維持していこうとする立場。
どちらも言葉そのものの意味は分かるのですが、「リベラル」に関しては政治家が使い始めると自分の立ち位置を都合よく変えられる魔法の言葉になってるような気がしてなりません。
換言すれば、右寄りを批判するにはいい位置で、そして左寄りではないという証明をしてくれているといったところでしょう。
リベラル系の政治家は、「批判は上手だけれども、自分では何も出来ない」と思ってしまう管理人です。皆さんの傍にもリベラル系はいませんか。管理人の周辺には結構います。
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