
蘇州付近を源流とするため名付けられた蘇州河は上海市で2番目の大河ですが、古代は「松江」と呼ばれていました。古くから主要な水運の航路でした。
蘇州河を更に河口に向け東に進むと、歴史を刻んだ旧跡を見ることができます。
1.天后宮劇台
1884年、元代以来上海城の小東門にあったものが移築された媽祖教の廟で、江南地方の伝統的宮殿洋式で最大規模の建築です。
租界時代は租界政府工部局より免税の対象となっていたそうです。
2.媽祖教廟
媽祖は中国道教の神で海洋信仰の重要対象神です。
漁民や海運従事者が航行の安全を祈願したそうです。
3.静安区文物保護単位
静安区の保護対象となっています。
廟の建物は松江の方塔公園内に移築保存されているそうです。
4.上海総商会跡地
「上海総商会」は辛亥革命後1912年に成立しました。
1915年にこの地に本部が建てられましたが、新中国成立後会は「上海市工商連合会」に改組され、1979年に香港路に移転しました。
5.商業月報
毎月、会報が発行されていたようです。
6.河浜大楼
上海総会を更に東に進むと、大型の建築物があります。
1935年竣工の当時上海最大の高級アパートメントだった河浜大楼です。
7.当時最新最高の設備
建設当時は8階建て282戸で暖房設備と9基のエレベーターを設置して、屋上にはプールもありました。
その後ヨーロッパでナチスの迫害から逃れたユダヤ人難民が多く滞在した時期もありました。
もともと上海租界はバグダッド系ユダヤ人社会とロシア系ユダヤ人社会が成立しており、
租界は世界で唯一ビザなしで訪問できる場所として、1937年以降1941年の日米開戦まで20,000人のユダヤ人が上海に逃れてきました。
旧日本軍が上海租界の実権を握った後、虹口区提籃橋地区に無国籍ユダヤ人18,000人の難民収容地区が設けられました。
日本敗戦後、1959年の中華人民共和国成立までにほとんどのユダヤ人はアメリカやイスラエルに出国し上海を去りました。
中国に残ったユダヤ人は100ほどだったそうです。
8.3階を増設
中華人民共和国成立後の1978年に8階建ての上部3階を増設し、戸数は700戸あまりとなりましたが、配水管のつまりなどが生じ住環境が悪化しました。
政府幹部や知識人が多く住んでいたそうです。。
9.優秀歴史建築
上海市の優秀歴史建築に指定されています。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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