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上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

なのくに歴史散歩(4):弥生時代の共同墓地「金隈遺跡」

2013年10月09日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
遺跡は市内の東を流れる御笠川右岸の丘の尾根に位置し、昭和43年の春、桃畑の開墾作業中に発見されました。

市教育委員会の調査の結果、非常に価値の高い遺跡であることが分かり、昭和47年に国の史跡の指定を受けました。



119基の土壙墓と348基の甕棺墓、2基の石棺墓が発掘されました。



遺跡の上に屋根をかけるように展示館が建てられ、甕棺や人骨が発見されたままの状態で見学できます。



内部では甕棺墓91基、土壙墓34基、人骨3体が見学できます。



136体の人骨が確認されましたが、死亡したピークは未成年で1~6歳、成人では40歳位だそうです。


60歳以上と推定される人骨は女性のわずか4体でした。

素焼きの甕棺。



展示館の内部全体。



埋葬された甕棺は規則的には並んでいませんね。



発掘された人骨の平均身長は男性が162.7cm、女性が151.3cmだそうです。



縄文人と比較すると顔も面長で、身長も急に高くなっているとのこと。


朝鮮半島との混血が行われたと考えられています。

副葬品の中から青銅器や勾玉に交じり、南の島から渡ってきた貝で作った腕輪が発見されました。
弥生時代に中国大陸と南方諸島との交流があったことを物語っています。

展示館の北側に古墳の跡があります。



古墳とはほとんど識別できませんね。



小高い丘からは市街地が見渡せます。


古墳に埋葬された主は平野で稲作に励む弥生人たちを見下ろしていた事でしょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS


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