「八月の六日、九日すぐに過ぎそののちの日も過ぎてゆきたり」。歌人の竹山広さん(89)は、昭和20年8月9日の朝、長崎市内の結核療養所を退院しようとしていた。兄の迎えを待っていると、飛行機が急降下するような音を耳にした。次の瞬間閃光(せんこう)が走り、建物が揺れ、ガラスや壁の破片が落ちてきた。
翌日、捜し出した兄は全身にやけどを負っており、15日に亡くなった。血だるまになりながら呆然(ぼうぜん)と立ちつくす人々、荼毘(だび)に付された遺体から立ち上る煙…、竹山さんが、目の当たりにした惨状を歌にできるようになるまで10年かかった。
「くろぐろと水満ち水にうち合へるシ者満ちてわがとこしへの川」。61歳のときに第1歌集『とこしへの川』を刊行する。数々の賞を受けて、一般の読者に名前が知られるようになったのは、80歳を超えてからだ。困窮生活が続き、原爆症とみられる障害にも苦しんだ。
「生けるかぎり国費診察の許さるるわれら単純に羨まれつつ」。原爆症認定集団訴訟をめぐって、広島の「原爆の日」のきのう、麻生太郎首相と原告側は救済策で合意した。今後は原告以外に認定を待っている被爆者の救済をどのように進めるのかが、焦点となる。
もっとも竹山さんは、毎年8月に入ると、被爆者の悲惨な面ばかり強調する報道にも、違和感を持つという。自身も原爆詠のほか、身の回りの出来事や若者の風俗、内外のニュースを、ユーモラスに切り取った歌も多く詠んできた。
「鈴木善幸といふ名を妻が思ひ出しくれて眠りの安らかにくる」。その後もおびただしく代わった首相の名前を、竹山さんはどれくらい覚えているのだろう。北朝鮮の核の脅威やオバマ大統領のプラハ演説を題材にした作品も読みたい。
産経抄 産経新聞 8/7
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