衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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八月の六日、九日すぐに過ぎそののちの日も過ぎてゆきたり・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-08 | 産経抄(コラム)

 「八月の六日、九日すぐに過ぎそののちの日も過ぎてゆきたり」。歌人の竹山広さん(89)は、昭和20年8月9日の朝、長崎市内の結核療養所を退院しようとしていた。兄の迎えを待っていると、飛行機が急降下するような音を耳にした。次の瞬間閃光(せんこう)が走り、建物が揺れ、ガラスや壁の破片が落ちてきた。  

 翌日、捜し出した兄は全身にやけどを負っており、15日に亡くなった。血だるまになりながら呆然(ぼうぜん)と立ちつくす人々、荼毘(だび)に付された遺体から立ち上る煙…、竹山さんが、目の当たりにした惨状を歌にできるようになるまで10年かかった。  

 「くろぐろと水満ち水にうち合へるシ者満ちてわがとこしへの川」。61歳のときに第1歌集『とこしへの川』を刊行する。数々の賞を受けて、一般の読者に名前が知られるようになったのは、80歳を超えてからだ。困窮生活が続き、原爆症とみられる障害にも苦しんだ。  

 「生けるかぎり国費診察の許さるるわれら単純に羨まれつつ」。原爆症認定集団訴訟をめぐって、広島の「原爆の日」のきのう、麻生太郎首相と原告側は救済策で合意した。今後は原告以外に認定を待っている被爆者の救済をどのように進めるのかが、焦点となる。  

 もっとも竹山さんは、毎年8月に入ると、被爆者の悲惨な面ばかり強調する報道にも、違和感を持つという。自身も原爆詠のほか、身の回りの出来事や若者の風俗、内外のニュースを、ユーモラスに切り取った歌も多く詠んできた。  

 「鈴木善幸といふ名を妻が思ひ出しくれて眠りの安らかにくる」。その後もおびただしく代わった首相の名前を、竹山さんはどれくらい覚えているのだろう。北朝鮮の核の脅威やオバマ大統領のプラハ演説を題材にした作品も読みたい。

産経抄 産経新聞 8/7
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事件に首をつっこむのと、人間に首をつっこむのと混同しちゃったら駄目・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-07 | 産経抄(コラム)

 高樹のぶ子さんの初期の作品『街角の法廷』は、新米弁護士の安部輝一が、売春防止法違反に問われた大原カナ子を、拘置所に訪ねる場面で始まる。カナ子が街中で男に声をかけ、たまたま警察官だった男に逮捕された。ありふれた事件のはずだった。  

 ところが、輝一の調査で、カナ子と同棲(どうせい)している男が、婦女暴行未遂事件を起こしていたことがわかる。2人を立ち直らせようと、輝一は事件に深入りしていく。そんな輝一に、婚約者でやはり弁護士の知子が忠告する。「事件に首をつっこむのと、人間に首をつっこむのと混同しちゃったら駄目だわね」。  

 東京都足立区で、今年5月に起きた隣人女性殺害事件で、サツ人罪に問われた無職、藤井勝吉被告(72)の裁判の判決が、きょう言い渡される。全国初の裁判員裁判とあって、新聞、テレビの報道は詳細を極めた。  

 被告は、自宅庭の猫よけのペットボトルが何度か倒れたことをめぐって、向かいに住む被害者女性と口論となり、サバイバルナイフで刺したという。被告が犯行を認めていることもあり、単純な事件のようにも思えた。しかし、小紙の「法廷ドキュメント」を読んで、その考えを改める。  

 被告に強い殺意があったのか、あるいは突発的な犯行なのか。量刑を決める重要な点で、判断が難しい。裁判員の最初の質問は、被害者の長男が語る、母親の人物像についてだった。被告の孤独な身の上も明らかになった。誠実な裁判員であればあるほど、「人間に首をつっこんで」しまいそうな気がする。  

 いずれにしても、大変な任務を課せられたものだ。判決後、6人の裁判員の方々に記者会見で、貴重な体験を語っていただければ、後に続く人々にとって大きな助けになるのだが。

産経抄 産経新聞 8/6
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政権選択選挙「党首隠し」党首同士が討論すべき課題はヤマのようにある・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-06 | 産経抄(コラム)

 各党の政権公約(マニフェスト)が出そろい、政権交代を懸けた大勝負が刻一刻と迫っているというのに、どうも今ひとつ盛り上がらない。投票日まであと3週間以上あり、間延びしているためばかりではない。  

 テレビ各局の討論番組も似たり寄ったりで、3分もしないうちにチャンネルを替えたくなる。お互いのけなし合いに終始する内容のなさもさることながら、主役であるはずの「二大政党」の党首がちっともでてこないからだ。  

 麻生太郎首相も民主党の鳩山由紀夫代表もともに祖父が首相経験者というだけでなく、発言が「ぶれる」のも共通している。言い放しの街頭演説はともかく、討論でボロが出るのを防ごうと両陣営が「党首隠し」をしているのでは、と疑いたくもなる。  

 どんな芝居でも座長が出てこなければ、舞台は締まらない。ことに衆院選は、政権選択選挙だ。首相候補である二大政党の党首が、火花を散らす討論は、有権者に判断材料を提供する意味からも不可欠のはずだ。  

 民間の有識者らでつくる「21世紀臨調」は、党首討論を開くべく奔走しているが、自民党が地上波テレビでのノーカット放映を条件にしているという。日ごろ、つまらない国会中継をしているNHKが引き受ければいいとは思うが、テレビ中継がなくても新聞やネットが詳報するはず。自民党は劣勢挽回(ばんかい)のチャンスを自ら潰(つぶ)すようなものだ。  

 日本の政治が夏休みに入ったのを見透かしたかのように、クリントン元米大統領が、平壌詣でを隠密裏に敢行した。米民主党には、金王朝を甘やかした前科がある。対北朝鮮政策に限らない。米国の変節をいかに抑えるか、内政だけでなく外交・安全保障でも党首同士が討論すべき課題はヤマのようにある。

産経抄 産経新聞 8/5
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言葉というのは、それを発した人によって、名言にも迷言にもなる・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-05 | 産経抄(コラム)

 言葉というのは、それを発した人によって、名言にも迷言にもなる。「高齢者は働くことしか才能がない。80歳を過ぎて遊びを覚えても遅い」。ひんしゅくを買った麻生太郎首相の発言も、訃報(ふほう)が伝えられたばかりの古橋広之進さん(80)だったら、喝采(かっさい)を博したはずだ。  

 ローマで開かれていた世界水泳選手権では連日、炎天下のスタンドから、観戦していた。背泳ぎの古賀淳也選手ら日本選手の活躍には大満足だったようだ。亡くなる前夜の関係者との会食では、いつも通りの健啖(けんたん)ぶりを発揮していた。  

 「フジヤマのトビウオ」の活躍が、敗戦に打ちひしがれた日本国民をどれほど勇気づけたことか。ローマで取材中の小紙の青山綾里記者(27)は、もちろん現役時代の古橋さんを知らない。それでも「ずっと特別の存在でした」と話す。  

 14歳でアトランタ五輪の100メートルバタフライに出場したときも、記者として再会したときも、古橋さんの激励に奮い立ったものだ。きのう、記者として初めて1面トップを飾った記事が、古橋さんの訃報になってしまった。  

 古橋さんは、日本オリンピック委員会(JOC)会長を9年間務めている。金メダル確実といわれながら、出場できなかった1948年ロンドン五輪を除き、戦後の五輪すべてにかかわった、多分唯一の日本人でもある。「日本のオリンピックの父」といわれた嘉納治五郎が1938年、77年の生涯を終えたのは、国際オリンピック委員会(IOC)のカイロ会議から、帰国途中の船上だった。  

 嘉納が招致に成功した40年東京五輪の開催を、戦争に傾斜する日本政府が返上するのは、その2カ月後のことだ。古橋さんには、2016年東京五輪決定の報を聞いてもらいたかった。

産経抄 産経新聞 8/4
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美しくてしゃれている「漢字」漢字文化を尊重する機運の高まり・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-04 | 産経抄(コラム)

 中国・共産党と台湾の中国国民党は2006年から、「両岸(中台)経済貿易文化フォーラム」と称する会議を行っている。先月、中国湖南省で行われた第5回大会では、文化の接近がうたわれ、特にお互いの使う「漢字」の話題で、盛り上がったそうだ。  

 中国では、もとの漢字を簡略した「簡体字」が使われている。新中国の成立後共産党が、将来の漢字廃止をにらんで制定したものだ。一方台湾の漢字は「繁体字」という。といってもあくまで簡体字の側からの呼称で、台湾の人たちは「正体字」と書く。従来の漢字に余計な手を加えずにいるのだから、当然だ。  

 中台が経済的な結びつきを強めるなかで一時は、台湾への簡体字の浸透が問題になったことがある。最近では中国で、漢字文化を尊重する機運の高まりから、繁体字を見直す動きが出てきた。パソコンの普及で、字画の多い漢字も瞬時に打ち出せるようになったことも大きい。  

 中国文学者の高島俊男さんは、以前から、少なくとも中国社会の学術と商業の世界で、「野暮で見苦しい」簡体字から、「美しくてしゃれている」正体字に戻るのでは、と指摘してきた。「昔から学問と商賣とは中国の大黒柱」だからだ(『お言葉ですが…別巻2』連合出版)。  

 中国と同じ時期に、やはり漢字の簡略化に踏み切った日本はどうか。「俺」を加えたが、「淫」は削除すべきだ。新しい漢字表の名称は、「基本」か「一般」か。文化審議会の委員会では、「常用漢字表」の改定をめぐって、相変わらずこんな議論ばかりしている。  

 もとの漢字、すなわち正字に戻せという声は、一部の文化人の主張にとどまっている。高島さんも、「残念だが、もうダメだろう」とあきらめ顔のようだ。

産経抄 産経新聞 8/3
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「マニフェスト」どの党が政権の座につくにせよ、自らの公約の重みに耐えられるか・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-03 | 産経抄(コラム)

 選挙になると、ついつい落語の「三枚起請(きしょう)」を思い出してしまう。遊郭の女性が「年季が明ければ、あなた様と夫婦になります」という起請文を、あろうことか3人の男たちに出す。これがバレて大騒ぎになるというおなじみの噺(はなし)である。  

 今や二大政党といえる自民党と民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)が発表された。自民党の「安全保障重視」や民主党の「国家戦略局の創設」といった特色はある。だが生活や経済政策となると、ともに3枚どころか、何枚も起請文を乱発しているようでならない。  

 例えば民主党は高速道路の段階的無料化を打ち出す一方、平成32年での温室効果ガス25%減を公約している。高速道路無料化はマイカー族や運送業者には歓迎だろう。温室効果ガス減は環境重視の人たち向けだ。だが高速無料化でCO2が増えないという保証はない。  

 今、社会の多様化で国民の政治に求めるものは際限なく広がっている。高齢者と若い人、小さい子供のいる人、いない人など立場によってまったく違ってくる。選挙で広く票を集めて勝つためには、あちこちに公約をばらまくのも仕方ない、ということのようだ。  

 しかし、世界を見渡してみると、民主主義国の指導者はほとんど支持率低下にあえいでいる。オバマ米大統領さえ、4月に比べ10ポイントほど下がったようだ。いずれも政権発足時に、国民がそれぞれ期待したことがなかなか実現しない。そんな不満がなせることだろう。  

 日本でも1カ月後、どの党が政権の座につくにせよ、自らの公約の重みに耐えられるか疑問だ。有権者も今から考えておくべきことである。落語では起請文を信じた男がバカだったということになるが、現実の世界はそうはいかないからだ。

産経抄 産経新聞 8/2
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椰子の実「ゴミを捨てるな」日本中が海辺の掃除に追われている・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-02 | 産経抄(コラム)

 民俗学の泰斗、柳田國男が療養のため愛知県伊良湖岬に逗留(とうりゅう)したのは明治30年の前後、まだ大学生のころであった。そんなとき海岸を散歩していて、椰子(やし)の実が流れ着いているのに出くわすことがあった。暴風雨の翌朝は特に多かったそうだ。  

 東京に帰り、近所に住む友人の島崎藤村にその話をすると「その話を僕にくれ給え」と言う。こうして「名も知らぬ…」という藤村の詩が生まれ、後に国民歌謡として全国に広まった。柳田が藤村の死後に『藤村の詩「椰子の実」』などで明らかにした話である。  

 柳田はこのエッセーの中で椰子の実にまつわる別の話も紹介している。歌人の若山牧水にも、椰子の実を素材にした歌があり、弟子たちが歌の舞台の宮崎県都井岬に歌碑を建てようとした。ところが地元の新聞記者が「あんな所に椰子の実は流れてこない」と反対した。  

 困った弟子が都井岬を訪ねると、茶店に椰子の実がズーッと並んでいたという。どこに何が流れてきても不思議ではないと言いたかったようだ。だが今の日本の海岸は椰子の実どころではない。伊良湖岬を含め、大量のゴミや危険物の漂着に悩まされている。  

 その数は年間約15万トンに及ぶという。大半は韓国、中国、台湾など海外からのものらしい。これに対し政府が、ゴミ処理費用を国が支援する制度を設けたところ、33もの都道府県から申請があった。つまり今、日本中が海辺の掃除に追われているということになる。  

 中には火薬が入った発煙筒や医療廃棄物などの危険物も多い。もはや安全の問題でもあり、外交的に解決する必要にも迫られている。できもしない公約を振りまくのではなく、隣国に「ゴミを捨てるな」と言える政党が現れてくれないものかと思う。

産経抄 産経新聞 8/1
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社会の幼稚化が進んでいる「18歳成人」日本人は12歳の少年のようだ・・・ 産経抄 八葉蓮華

2009-08-01 | 産経抄(コラム)

 「松山善三。45才。違いがわかる男(ひと)のゴールドブレンド」。昭和44(1969)年に大ヒットしたインスタントコーヒーのCMコピーだ。以後、登場人物は次々に変わって、CMは長く続いた。  

 大人の基準とは何か。そんな論議が、持ち上がるたびに、このCMを思い出す。当時小学生だった小欄は、映画監督の松山さんが、静かにコーヒーを味わう姿に、大人のイメージを重ねていた。  

 「18歳は大人か」という議論が、再び活発になりそうだ。法制審議会の部会が、100年以上続いた「20歳成人」を、引き下げる方向性を打ち出したからだ。確かに、今や世界のほとんどの国では、成人年齢が18歳以下となっている。海外のツアーで、物おじしないでプレーする17歳の石川遼選手の姿を見れば、大人扱いは当然という気もする。  

 一方で、親離れ、子離れできない家庭や大人になりたくない、あるいはなれない若者が増えている。社会の幼稚化が進んでいるとの警告を耳にして久しい。だからといって、政治までそれに追随することはあるまい。  

 民主党の鳩山由紀夫代表が、政権獲得後に、インド洋での海上自衛隊の給油活動を延長しない考えを明言した。アフガニスタンでの「テロとの戦い」の最前線で、米英をはじめとする多国籍軍が、戦死者の増加に苦しんでいる。それを尻目に、来年1月に海自がさっさと引き揚げたら、米国はどんな反応を見せることか。  

 少なくとも、同盟国としての「大人の国」の扱いはやめるだろう。アングロサクソンとドイツ人が45歳とすれば、「日本人は12歳の少年のようだ」。連合国軍最高司令官を罷免されたマッカーサーは帰国後、上院でこう証言した。同じような声が上がるに違いない。

産経抄 産経新聞 7/31
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