3日付のコラムで、台湾でいまも使われている漢字の「正体字」が、中国で見直されつつある、と書いた。そんな動きに日本だけが無縁である、とも。すると先日、「産経◎抄擔當(たんとう)者●様■」あてに、手紙が届いた。
小紙に掲載されるせめて1本のエッセーでも「正漢▲字正假名」にならないか、というのだ。差出人は、福島県会津若松市の眼科医、米山高仁さん(56)だった。「談話室」の常連執筆者の一人だから、名前に覚えがある。
米山さんが、歴史的仮名遣いや正漢字を使うようになったきっかけは、50歳ごろから始めた俳句や短歌だった。生まれ育った祖父の代からの医院には、戦前に出版された雑誌や本が多数残っていた。子供のころから、それらに親しんできたから、違和感はなかったものの、正しく使うのは難しい。
米山さんは『旧★(きゅう)漢字』(萩野貞樹著、文春新書)を教科書にして、毎日1ページずつ書き写し、巻末の「正漢字表」を切り取っていつも見ているそうだ。「正漢字の練習は、脳の老化予防にもなると思います。画数が多いから、視細胞が刺激されるし、指の運動も多くなる」と話す。
最近では紹介状など仕事の文書も、正漢字で通している。ただ、所属していた短歌誌は旧漢字を認めなかった。「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節
のありとこそきけ」。戊辰戦争で自刃(じじん)した西郷千重子(家老、頼母(たのも)の妻)の辞世をここで思い浮かべるのが、いかにも会津っぽらしい。
節を曲げることはできない、と短歌会を辞したのはいうまでもない。「戦前の『醫學(いがく)』には威厳と権威がありました」ともいう。なるほど、モンスターペイシェントといわれる患者の出現も、漢字の簡略化と関係があるのかもしれない。
産経抄 産経新聞 8/10
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