衣裏珠の八葉蓮華 ≪創価学会 仏壇≫

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縁は異なもの、味なもの「おかしい」異様な出来事が続く・・・ 産経抄 八葉蓮華

2010-08-07 | 産経抄(コラム)

 2カ月ほど前の大阪版「夕焼けエッセー」欄で、京都府木津川市に住む68歳の男性が、小学4年生の夏休みの思い出を綴(つづ)っていた。遊び疲れて家に帰ると、おっちゃんが縁側で待ちかまえている。「さぁ、一番やるか」。へぼ将棋の始まりだった。  

 縁側に腰掛けて、スイカにかぶりついた少年時代が、よみがえってくるようだ。もちろん縁側は、子供たちの独占物ではない。お年寄りが庭を眺めたり、孫の子守をしたりしながら、一日を過ごす場所でもあった。通りがかりの近所の人とのおしゃべりも楽しみだった。  

 「縁は異なもの、味なもの」という言葉がある。男女の縁の不思議さ面白さだけでなく、縁側にもあてはまると、建築家の清家清は指摘する(『やすらぎの住居学』情報センター出版局)。いったい室内なのか外部空間なのか判然としないところが、「異」であり「味」だというのだ。  

 そんな縁側も見かけなくなって久しい。人と人との縁も薄れてしまった。大阪市西区のマンションでは、23歳の母親が3歳と1歳の幼い姉弟を置き去りにして餓シさせる事件があった。激しい泣き声を聞いた住民が、児童相談所や警察に通報したにもかかわらず、扉が開けられることはなかった。  

 東京都足立区の民家では、生きていれば111歳になる男性の遺体が見つかった。約30年前にシ亡していた疑いがある。高さ2メートルのコンクリート塀の外では、近所の住民が「おかしい」とうわさしていた。  

 縁側は、自然か人工物か判然としないという意味で、農山村の暮らしに密着した「里山」に似ている。里山の荒廃が、山の獣を人里に呼び寄せているように、縁側のない世の中で、異様な出来事が続く。

産経抄 産経新聞 8/2

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