父親が大事にしていた桜の木を切ったことを、少年時代のワシントンが正直に打ち明け、かえって父親からほめられた。実は創作といわれる教訓話は、いかにもアメリカらしい。つまり告白したワシントンは、謝罪をしていない。
作家の村上龍さんの指摘である。謝罪すれば、償う義務を負う。そんな訴訟社会のアメリカに比べて、日本では、とりあえず謝れば物事がうまく運ぶことが多い。それでも先日、チリの巨大地震に伴って発生した津波の予報について、気象庁の担当者が記者会見で口にした「おわび」には、違和感を覚えた。
確かに津波の高さは、当初の予測「最高3メートル」を大幅に下回り、1・2メートルにすぎなかった。いくら予測精度の向上に努めても限界がある。「警報はおおげさ」「注意報の解除が遅すぎる」といった批判は、酷というものだ。津波予報がなかったために、多くの住民が命を失ったチリの惨状をみれば、被害が出なかっただけで十分ではないか。
もちろん、謝罪すべきときもある。その場合は、何より潔さが肝要だ。3日の参院予算委員会に、前原誠司国土交通相、仙谷由人国家戦略担当相、原口一博総務相が遅刻したのは、前代未聞の珍事だった。
3閣僚は神妙に頭を下げていたが、果たして本気で謝罪するつもりがあったのか疑わしい。開会予定時間を過ぎても、ミニブログのツイッターに書き込みをしていた原口氏は、夕方ツイッターに、「大臣室と総務課の確認ミス」と、言い訳を記した。
鳩山由紀夫首相にいたっては、「役人の中で緊張感が足りないのがいる」と、官僚批判にすり替えた。政治資金の不正は秘書に、遅刻は官僚に責任を押しつける。それが、民主党の政治主導の正体なのか。
産経抄 産経新聞 3/5
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