三遊亭円楽さんがまだ全生という名で真打ちにもなっていないころ、ある落語会で「淀五郎」という噺(はなし)をかけた。大看板の師匠でも尻込みする難しいネタである。若いころ「生意気だが、スケールは大きい」といわれていた円楽さんの面目躍如だった。
ところが間の悪いことに、その落語会を師匠の三遊亭円生さんが聞きにきていた。円楽さんは冷や汗をかいて高座を下りるが、翌日、皮肉たっぷりのお小言が待っていた。「全生さん、あなたは結構なはなし家ンなりました。もう私が教えることはなにもありません」
矢野誠一氏が『落語讀本』(文春文庫)で明かしている逸話である。円生師匠の弟子に対する厳しさには定評があった。特に円楽さんが「笑点」などテレビで人気を得ると、苦虫をかみつぶしたように、批判した。「落語の芸がだめになる」というのである。
円楽さんにも口には出さぬが、反論があったはずだ。今や落語家が寄席だけでやっていける時代ではない。円楽さんらがテレビの人気者になることで、他の落語家にも声がかかる。しかもその噺家が寄席に戻れば、落語の隆盛につながるということだったのだろう。
まさにテレビ時代の落語家の先頭ランナーといえる。その最大の「売り」は「物識(し)り」だった。仲間の立川談志師匠の『談志楽屋噺』によれば、このキャラクターは「笑点」で司会をしていた談志さんがつけたのだという。円楽さんも落語家らしくこれに応じる。
インタビューで「本はよく読みますか」と聞かれ「若いころ図書館にいったら、もうあなたの読む本はありませんと言われた」と「吹いた」という。いかにも豪快な円楽さんらしい話だ。亡くなったのは、読書週間の最中の先月29日だった。
産経抄 産経新聞 11/1
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