goo blog サービス終了のお知らせ 

SUNDAI1989

模型をいじったり、漫画を読んだり、日々感じた事を
綴っていこうと思っています。

特別養護老人ホーム!3

2009年11月27日 | 闘病記
11月24日に病院から特養へ引越しをしました。

無茶苦茶遠くて渋滞にはまらなくても2時間半~3時間以上かかります。

施設の職員の方々と顔合わせをして契約も済み

あとは帰るだけの状態になった時

『これからは会いたい時に会うのも難しくなるな。』と思いました。

会いたいといっても今までの見舞いは義務的に考えていましたが、

こうも距離が離れていると

さながら県外に面会に行くようなもので

だんだん足が遠のいていくような予感がします。



ふと、母親が死ぬという事を想像してしまいました。

きっと一回でも多く見舞いに行かなかった事を後悔するだろうなとも

分かってはいるのですが

こうしなければ家族がズタズタになってしまうだろうことも分かっています。


例えば死んで天国に行かれてしまうよりは

時間さえ作れば物理的に会いにいけるというのは

まだ幸せなことなんだと

無意識に自分に言い聞かせているようでした。



再び『姥捨て山』の説話を思い出します。

物語中結末で主人公は年老いた母を山に置いてきた事を後悔して

家に連れ帰って一緒に暮らしましたが

果たして美談で終われたでしょうか。


いづれ介護をしなければならなくなった時

肉体的、精神的負担は休みなく続き、

蝕(むしば)んでいくのかもしれません。


私は説話とは違う選択をしたようなものですが

それはそれで良心の呵責(かしゃく)にいつまでも苛(さいな)まれていくのでしょう。



何故私が母親の家に養子として連れて来られたかを幼い頃何度か聞いた事があります。

「(実の)母親が死んでお前(私)が片親で寂しい思いをしないようにだよ。」

これに関しては変な育てられ方をしたので

今までは反論もたくさんありましたが

寂しい思いはさせないっていう親心は感じて育ちました。


私は母親が年老いて死期に向かっていく時に

寂しい場所に押し込めてしまったようで、

どうしようもできない罪の存在を見出し

少し悲しくなりました。

手をしばらく握って頭を撫でてから帰途につくことにしました。



特別養護老人ホーム!2

2009年11月26日 | 闘病記
母親については、

つい何ヶ月か前まで冷静に対処できず

死んで欲しい、いなくなって欲しいと考えたこともありました。

そう考えた事を後悔する事もないだろうとも思っていました。



しかし4ヶ月の入院生活ですっかり弱り、

癇に障るような声も出なくなって

自由の利いた右腕さえ最近ではやっと動かせるまでの姿を見ていると

最期は家で送らせてやりたいとも考えた事もありました。

看護士に相談してみたところ

寝たきりの老人の介護もかなり大変なようです。

床ズレを起こさないために2~3時間に一回

寝ている姿勢を変えなければならないとかオムツの交換、食事の全介助など

世話だけで丸一日休まる暇もなさそうです。



それを考えると

一時の情に流されるよりは老人ホームで世話をしてもらった方が

家族の負担は減るので

合理的に考える事にしました。



特別養護老人ホーム!

2009年11月25日 | 闘病記
しばらくぶりに母親の記事を載せます。

今年の8月1日に熱を出し救急車で病院に運ばれてから

実は今日まで入院していました。

あまり原因のわからない熱が出たり下痢になったりと

病院の方も早く退院させたいのを感じながらも3ヵ月半居させてもらいました。



そうこうして平和な日々を送っていたら

幸運にも特別養護老人ホームへの入所が決まりました。


“特別養護老人ホームとは”

大金を出せばすぐに入れる有料老人ホームと違って

月々10万円前後で終身まで預かってくれる老人ホームです。

他にも老健(老人保健施設)などもありますが、私の知る限りでは

特養が最も安い老人ホームで人気もあり、

基本的にひとつの施設に何百人も待機してて何年も待つことになります。



そんな特養に何故入所できたかというと

出来たばかりの施設で入所者募集中だったためです。


なので、最近は様態も安定してきたのと

入所日が近づいてきたので病院の方でも退院日を合わせてくれたのでした。

つづく。



脳梗塞!38

2009年02月22日 | 闘病記
ショートステイ(短期外泊老人ホーム)は本当は2月16日から2泊3日の予定でした。

書類手続きと面談も終わり、あとは16日が来るのを心待ちにしていたのですが、

14日の夜になって「集団食中毒が起こってしまい利用出来なくなりました。」

との電話があり、めまいがするほどがっかりしたのを憶えています。



ケアマネージャーに報告したら、私の落胆ぶりに同情してくれたのか

それとも彼が有能なのか

3週間のショートステイを見つけてくれました。

2月23日~3月16(仮)日まで。

ショートステイも1日につき2000円掛かりますが

病院にいた頃は(有料部屋になってから諸経費込み)1泊8000円くらい掛かっていたので凄く安く感じます。

なんにせよ、

23日(月)からがパラダイスのように待ち遠しいですw(●^o^●)


入院中もほぼ毎日見舞いに行き親と会っていましたが

今回はまるまる3週間顔を合わせないで済みそうです。

久しぶりに趣味の時間に集中出来そうだゾとww(@^^)/~~~

( ^^) _旦~~  ( ..)φコリコリ  (^。^)y-.。o○  (^◇^)ノシ

脳梗塞!37

2009年02月21日 | 闘病記
2月18日

母親が実家に戻ってから8日が経った日に待望のデイケアが開始されました。

8日間よく頑張ったな~私(笑)

月,水,金と週3で利用予定ですが親の体力次第ではもう1~2日増やしていこうと思っています。

デイケアとは日帰り老人ホームのことです。(正確にはもっと違う言い方があるかもしれませんが)

朝9時に迎えに来て夕方5時頃に帰宅する。

昼食,リハビリ,入浴,その他イベントをやってくれて、大体一日2000円強で預かってくれます。

五月蝿い呼び出しから久しぶりに開放された気分で

私自身もだいぶリフレッシュ出来ました。



一番の心配は外出して疲れて帰ってきて

「やっぱりウチが一番だねぇ。もう行きたくないよあんなトコ。」

と言い出さないかでしたが、いくら認知症があるといっても

家で孤独な気分でいるよりはよっぽどマシだったようで

「あたしゃ病院(デイケアの事を勘違いしている)に戻った方がいいかもねぇ。」

とまで言っていました。

これによってショートステイ(短期外泊する老人ホーム)をする時の抵抗がなくなり

スムーズに親が家を離れる下地が出来ました。


ちなみにデイケアから帰ってきた夜はぐっすりと眠ってくれたので

私も翌朝までは久しぶりに穏やかな気分になれました。

次の日には元通りの生活に戻ってしまいましたが・・・orz

園児を幼稚園に引き取ってもらった親になった気分ですw

脳梗塞!36

2009年02月20日 | 闘病記
「死ぬ」「死ね」なんていう言葉は悪意の塊なので使いたくありませんでした。

10代の頃は単純な動機で簡単に思ったり口に出したこともありましたが

社会に出たり身近な人と死別することによって

悲しみの基、得た教訓でもありました。

『死んだらもう二度と会うことは出来ない』

実際に亡くなったとしたら後で激しく後悔することになるでしょう。



それとこれは私の価値観ですが

『業は繰り返される』

健康な私が身体の不自由な親にとった態度は

巡り巡って将来、私の身体が不自由になったときに繰り返されるのかもしれません。

惨めな気持ちになりながらも「これも因果」と納得出来るでしょうか。


いづれにせよ、死してなお残る後悔が本当の地獄だと考えています。

それでもあの時思ったり口にした事は偽らざる本心でした。







・・・なんか暗くなりすぎて遺書っぽくなってしまいましたが

死ぬ気は毛頭ありませんのであしからづw

たまには意識を掘り下げて哲学っぽくしてみました。

え、哲学になってないって?

脳梗塞!35

2009年02月19日 | 闘病記
カミさん&娘と母親は今のところ決して受け入れられないようです。

大声でしつこくせかせるように呼ばれるのは想像以上のストレスになります。

15年ほど前、カミさんも母親が半身麻痺のため介護をした経験があり

介護には嫌な思い出しかなかったそうですが

今回のわずらわしさに比べればまだおとなしい分

自分の母親の方が楽だったと言っていました。



昼夜問わず大声で呼び出し、夜中は寝たいから呼んでくれるなと諭しても

認知症のためにすぐ忘れて呼び出す。

そして娘もストレスやらで実家に立ち寄れなくなってくると

心の奥の奥の方にしまっておいた言葉が浮かび上がってきます。

・・・「死んで欲しい」と。

神に願ったり実行したりは絶対にしませんが、

一日に一度は心に思います。


かつてあった{姥捨て}は人道人権的にも私は大反対でした。

昔話の『姥捨て山』に出てくるおばあさんは死なすべきではないと

心から思っていました。

ところが現実に年寄りの家族が認知症に掛かっていたりすると

こうも家族の神経をすり減らすとは

直面してみないとわからない事なのでした。

脳梗塞!34

2009年02月18日 | 闘病記
私が怒鳴ったのが原因ではありませんが

その日を境にカミさんと子供は実家を出て行くことになりました。

といっても今まで住んでいたアパートの方で再度生活するようになったワケですが。



出て行くときに初めて聞いたのですが

トイレや台所に向かうときにどうしても母親の部屋の前を通らなければならづ、

その時に例のように声を掛けられると(実際に何度かああやって声を掛けられたそうです)

怖いし気持ち悪いしで、我慢を重ねるごとに

必然的に2人とも便秘になってしまいました。

それと共に

食欲もなくなり睡眠も深く眠れなくなっていきました。

食欲減退は深刻で、朝晩も少ないし昼の給食は一口ぐらいしか箸をつけないとのこと。

別居するようになって3~4日経ちますが食欲がいまだに元に戻らないと

娘に対して一番申し訳ないと感じてしまいます。

冷蔵庫などの主要な荷物は実家に運び込んだ後なので

母親が生きている以上は娘も「絶対に戻りたくない。」と言っているし

今後どうしようか悩みながら暮らしている毎日です。

脳梗塞!33

2009年02月17日 | 闘病記
先日の記事のようにまたしても夜中に私を呼ぶ声で目が覚めました。

その時はいい加減3日目だったので無視を決め込んでいました。

長いこと呼んでいましたがしばらくすると呼ぶ対象を変えていきました。

カミさんの名前。そして子供の名前。



「○○!そこにいるんだろ!(くもり)ガラス越しに見えているんだからね!

このふすまを開けな!なんで返事をしないんだい!

もういい!お前のお父さん呼んできな!」

文章にすると短いですがかなり長い時間繰り返し叫んでいました。

ところで目が覚めて布団の中で聞いていたのですが、

廊下を見ると真っ暗です。

娘は普通以上に怖がりなので一人でトイレにも行けないし

明かりを点けずに歩くなんてありえません。

一体誰に話しかけてんだと思ったらちょっと怖くもなってきました。

「なんで返事をしないんだい!叩いてやるからね!」

ガラっと襖を開けた後は静かになりました。

何かを勘違いして見間違えたのに気付いたようです。

襖を開けたついでに自力でトイレに向かい

転んで私を連呼したので、しょうがなく助けることにしましたが、

連日夜中に起こされたのでまたもや怒鳴ってしまいました。


翌朝に娘から私の怒鳴り声で目が覚めて眠れなくなってしまったと言われましたが

夜中にこんなことがあったと言ったら

怖がるだろうから内緒にすることにしました。

脳梗塞!32

2009年02月16日 | 闘病記
母親が退院して2日目の早朝に便をもらしました。

下のパジャマも足も糞まみれですが引いている場合ではありません。

その時は自分で思っていたより嫌悪感も無く冷静に対処できたと思います。

ただその後に尻を洗浄するのにシャワーを使ったり私も大変でしたが母親もだいぶ寒い思いをしたり疲労したようでした。



その疲労をしたくないのと便を漏らしてはいけないというプライドも手伝って

私を呼ぶ回数が更に増えたような気がしました。

「夜中は起こさないで欲しい。オシッコをしたいときはオムツにしちゃって構わない。」

と相手が了解するまでしつこく言っても夜中に2度3度と呼ばれました。

聞こえていない振りをして布団に潜っても

必死に大声で連呼されていると

眠気も飛ぶし心拍数も上がってくるような感じになりました。

仕方がないのでトイレに連れて来ましたが

連日の睡眠不足も手伝って大声で罵声を浴びせてしまいました。

自分の中の鬼が顔を出してきたので

この後自己嫌悪に陥ったりしました。