11月24日に病院から特養へ引越しをしました。
無茶苦茶遠くて渋滞にはまらなくても2時間半~3時間以上かかります。
施設の職員の方々と顔合わせをして契約も済み
あとは帰るだけの状態になった時
『これからは会いたい時に会うのも難しくなるな。』と思いました。
会いたいといっても今までの見舞いは義務的に考えていましたが、
こうも距離が離れていると
さながら県外に面会に行くようなもので
だんだん足が遠のいていくような予感がします。

ふと、母親が死ぬという事を想像してしまいました。
きっと一回でも多く見舞いに行かなかった事を後悔するだろうなとも
分かってはいるのですが
こうしなければ家族がズタズタになってしまうだろうことも分かっています。
例えば死んで天国に行かれてしまうよりは
時間さえ作れば物理的に会いにいけるというのは
まだ幸せなことなんだと
無意識に自分に言い聞かせているようでした。

再び『姥捨て山』の説話を思い出します。
物語中結末で主人公は年老いた母を山に置いてきた事を後悔して
家に連れ帰って一緒に暮らしましたが
果たして美談で終われたでしょうか。
いづれ介護をしなければならなくなった時
肉体的、精神的負担は休みなく続き、
蝕(むしば)んでいくのかもしれません。
私は説話とは違う選択をしたようなものですが
それはそれで良心の呵責(かしゃく)にいつまでも苛(さいな)まれていくのでしょう。

何故私が母親の家に養子として連れて来られたかを幼い頃何度か聞いた事があります。
「(実の)母親が死んでお前(私)が片親で寂しい思いをしないようにだよ。」
これに関しては変な育てられ方をしたので
今までは反論もたくさんありましたが
寂しい思いはさせないっていう親心は感じて育ちました。
私は母親が年老いて死期に向かっていく時に
寂しい場所に押し込めてしまったようで、
どうしようもできない罪の存在を見出し
少し悲しくなりました。
手をしばらく握って頭を撫でてから帰途につくことにしました。
無茶苦茶遠くて渋滞にはまらなくても2時間半~3時間以上かかります。
施設の職員の方々と顔合わせをして契約も済み
あとは帰るだけの状態になった時
『これからは会いたい時に会うのも難しくなるな。』と思いました。
会いたいといっても今までの見舞いは義務的に考えていましたが、
こうも距離が離れていると
さながら県外に面会に行くようなもので
だんだん足が遠のいていくような予感がします。

ふと、母親が死ぬという事を想像してしまいました。
きっと一回でも多く見舞いに行かなかった事を後悔するだろうなとも
分かってはいるのですが
こうしなければ家族がズタズタになってしまうだろうことも分かっています。
例えば死んで天国に行かれてしまうよりは
時間さえ作れば物理的に会いにいけるというのは
まだ幸せなことなんだと
無意識に自分に言い聞かせているようでした。

再び『姥捨て山』の説話を思い出します。
物語中結末で主人公は年老いた母を山に置いてきた事を後悔して
家に連れ帰って一緒に暮らしましたが
果たして美談で終われたでしょうか。
いづれ介護をしなければならなくなった時
肉体的、精神的負担は休みなく続き、
蝕(むしば)んでいくのかもしれません。
私は説話とは違う選択をしたようなものですが
それはそれで良心の呵責(かしゃく)にいつまでも苛(さいな)まれていくのでしょう。

何故私が母親の家に養子として連れて来られたかを幼い頃何度か聞いた事があります。
「(実の)母親が死んでお前(私)が片親で寂しい思いをしないようにだよ。」
これに関しては変な育てられ方をしたので
今までは反論もたくさんありましたが
寂しい思いはさせないっていう親心は感じて育ちました。
私は母親が年老いて死期に向かっていく時に
寂しい場所に押し込めてしまったようで、
どうしようもできない罪の存在を見出し
少し悲しくなりました。
手をしばらく握って頭を撫でてから帰途につくことにしました。