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スクラッチ木造帆船製作日記と映画、スタトレなどあれこれです。

アイ・ロボット

2005年02月10日 | 映画
トレーラーを見て思った。われはロボットって、こんな話やったか?スーザン・カルビン博士が、銃バンバン撃ったりするような話やったっけ?誰かが暴れまわるような話と言うよりは、もうちょっと賢そうな話だった気がする・・・。どうせ、CGIが売りのアクション映画だろう、これじゃ、アシモフも墓の中で目裏返るぞ。少なくとも、アシモフのSFを見る気分は捨てて見ようと思った。が、結果は大違いである。もちろん、カルビン博士が銃バンバン撃ってたし、コロッサス対600万ドルの男ではあったが、「我はロボット」だけを読んで脚本を書いたわけではないだろう。
 少なくとも、ロボットシリーズと、銀河帝国シリーズは全部読んでアシモフが、ロボット三原則を、着想し、発展させた経緯をすべて頭に入れた上で、ストーリーを練っている。当初、個々のロボットと個々の人間との関わりを対象として着想されたロボット三原則も、晩年の作品では、より発展して、原則にある「人間」を「人間全体」としてロボットが捉えるように変化して行く過程で、ロボットたち自らが、第0原則ともいえるような解釈を加えることで、人類がその活力を失わないように見守って行くというような話を書いていた。そうした解釈を踏まえたうえで、かかれている脚本である。
 お話としては、40年位前のSF映画でよくあった、コンピューターが世界を支配するという、超古典な構造を持っていて、こうしたテーマは、ターミネーターが最後だった気がする。こうしたコンピューターが壊れるときは、HAL以来、声がだんだん間延びして停止するお約束になっている。また、600万ドルの男もそうだったが、いくら腕強化しても、それを支えているのが普通の体である以上、壁ぶち破ったり車投げたりしたら、腕は大丈夫でも、繋ぎ目が壊れるんじゃないのか?という疑問には答えてくれていない。これも、腕を強化したら、それでOKというお約束である。
 脚本と演出がいいおかげで、馬鹿が正面に立つことなく、いい雰囲気で最後まで持っていっている。謎解きとどんでん返しもいい具合に作用しているし、ミステリーのネタだけで引っ張って行く映画でもないので、オチが読めたところで魅力がなくなるわけでもない。このところSF映画と言えば、マトリックスみたいな頭悪い系の映画ばかりだった(もちろん頭悪い系の映画は大好きだが)ので、頭悪いテイストを充分持った上で、こうした古典テーマのいい作品が見れてよかった。

アイ,ロボット 特別編

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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