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日々の寝言~Daily Nonsense~

アバターは個を解放する(できる)、のか?

IU の "A Beautiful Person" の MV を繰り返し視ていて、この MV のラストと、石黒さんのアバターや本、落合さんのアバター、などがつながった、という感じがした、という話。

MV のラスト、出会って仮面を脱いだ二人が、それぞれのタブレットの中に入ってゆき(=アバターとなり)、そのタブレットが1つに融合して終わる。

この MV は、美しい容姿をもって生まれたがゆえに、ずっと、その外面(身体)ばかりを評価される「美人」を描いていて、仮面をかぶることで外面を隠した二人が出会い、より深いところでつながった結果として、仮面を脱ぐことができる、という内容で、ここまではよくあるストーリーだが(それでも十分感動的だが)、特筆すべきラストは、それをさらに、それぞれがアバター化して一体化するというところまで飛躍させている、と解釈することができる(妄想だが・・・)。

石黒さんの本では、明確に、彼のビジョンとして「アバターによる個の解放」が宣言されていて、落合さんの「ヌルの森」での自分のアバター化体験もまた、同じ方向を指している、と書いたが、この IU の MV もまた、身体の超克による個からの解放、というメッセージを持っていて、3つが同じ方向、つまり、「「身体の超克」こそが、人類の21世紀的な課題である」ということを示しているのだなぁ、と勝手に感じてしまったのだ。

そこに向けての技術的な課題を検討すると、これも既に書いたように、人とアバターの融合のところに2つの難題があると思う。1つ目は、人とアバターの間の情報伝達のチャンネルの太さ、そして、2つ目は情報伝達の双方個性だ。

ハラリさんの NEXUS にも書かれているように、人間はコミュニケートする動物で、他者と情報=経験や思考を共有することで生きている。そのための最大の手段が「言語」だが、それ以外にも、映像や音楽などもメディアとして使われている。

このうち、言語については、現状の LLM のように、AI・アバターは人の言語を理解し、生成するようになった。いろいろ問題は残っているが、大まかには、我々が日常的にやっている、思考や経験を言語を使って誰かと共有することと、ほぼ同じくらいのレベルには達していると思っても良いだろう。

映像や音についても、AI・アバターは映像を理解・生成する能力を持ちつつあるので、1人称視点のカメラをずっと装着しつづけて撮影した映像と音を VLM に入力することはそれほど遠くない未来に実現しそうな気がするし、逆に、AI・アバターが自分の経験をもとに映像や音を生成してくれることも近いうちには実現しそうだ。ただし、この場合の細かい問題として、人 →  AI・アバターの方向には、圧縮した情報を送れるが、逆方向は時間がかかる、ということもある。映像をダイジェストにすることは考えられるが、そうするとどうしても情報は落ちるだろう。

さらに問題なのは、触覚・痛覚・温覚・力覚、嗅覚だろう。これらをリアルに伝えあうためのいろいろな VRデバイスが研究されているが、まだまだ「経験を共有する」には不十分ではないかと思う。輪廻転生していろいろな身体を生きる、というところには到底至らない。

飛 浩隆さんの「グラン・ヴァカンス」を読んだときも、アバターの経験をどうやって自分の経験として受け取るのか、というところが一番大きな疑問だった。

最終的には、石黒さんの本にも書かれているように、脳とネットワークを直結する、ブレイン・マシンインタフェースが必要そうで、これがあれば、言葉や視覚、聴覚情報についても十分な共有が可能になるのかもしれないということで、イーロンマスクやザッカーバーグも投資していたと思うが、その実現性はまだまだかなり不明確だと思う。日常的に脳とネットを直結することにはかなりの抵抗もあるだろう。

自分が生きている範囲の近未来的には、言語、映像、音、要するに今の VR に近い技術の範囲でどこまでゆけるのか、ということになりそうだ。既に、VR のバーチャル旅行や誰かに代理で旅行してもらうようなサービスは始まっているし、VTuber や石黒さんの本に書かれている遠隔店員のようにアバターを使って稼ぐ人も普通に表れている。石黒さんや落合さんのように、自分のアバターをつくって自律的に行動させて、言葉や映像・音で報告を受ける、ということも身近になってゆくのかもしれない。

そのレベルで、人間の悲願である「個からの解放」「身体からの解放」(=アンドロギュノス)がどこまで進むのかどうかは興味深いところだ。

昔々、宇宙ステーションが実現した頃に、宇宙から地球を眺めるという経験をする人が増えれば、もっと地球を大切に思うようになり、人類としての一体感が高まり、戦争などもなくなる、というような話もあったが、全くそういうふうにはなっていないように、近代的自我の超克は、なかなかたやすいことではないが・・・


ところで、IU の MV のラスト、歌声の字幕には「空高く飛ぶことを恥ずかしがるまい」と表示され(これは、"The Winning" につながる言葉だと思われる)、その後、少し高齢の男性と女性の声が何かを語るのだが、その部分の字幕が出てこない・・・ChatGPT に音声翻訳してもらうったら、「暗いものは、ダイナミックな明暗表現によって、現実を超える」という文章を返してきたが、よくわからない。スマホの広告文のような言葉で、何かを伝えているのかもしれないが、音楽と音声が被っていることもあって、うまく翻訳できていない気がする。 いつか、韓国人の知り合いに聞いてみたい。

追記:IU の MV の概要欄の韓国語(IU からのメッセージ)を ChatGPT に翻訳してもらった:
「あなたよ、あなたは5月のスミレに似た美しい人 空高く舞い上がることを恥じずにいられるだろう。」

辞書では「美人」とは「美しい人。主に顔立ちやスタイルが美しい女性」と定義されていますが、時代が進むにつれて、美しさの基準はますます多様化し、社会もそれに合わせて変化していると感じます。この MV は「この時代の“美人”とは、性別や外見にとらわれないとき、より本質に近づけるのではないか」という考えから始まりました。

鏡を見ながら「今日の自分、いい感じじゃない?」と思って、何度も見返してしまうような自己愛、ちょっと可愛いナルシシズムについての物語として解釈してみるのはどうか、という提案に、一緒に音楽を準備していた方々も共感してくださいました。

「慎重賢(シン・ジュンヒョン)先生」という、その時代を代表する唯一無二のアーティストと、「バミングタイガー」という現代を象徴する最も影響力のあるヒップスターたちが出会い、とても面白いバージョンの「美人」が誕生したように思います。

というわけで、暗示的なラストの意味については特に何も語られてはいない。ここの解説も欲しいなぁ・・・

さらに追記: MV のメイキングの映像を見たら、光輝く人に対して、IU は影という設定らしい。光と影が出会って融合する・・・陰陽、明暗の両方があって美しいものが生まれる、それをスマホの広告に寄せて表現している、ということのようだ。
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