(29日、プロ野球 阪神0―1ソフトバンク)

 阪神の鳥谷が新人だった2004年に始まり、15シーズンにまたがった連続試合出場記録が「1939」で止まった。九回までもつれた試合で、ついに出番は巡ってこなかった。

 「まあ、いつかは止まるものなので。いい時も、悪い時も、けがをした時も、使ってくれた監督たちに感謝したい」。試合後、クラブハウスへの階段を上りながら淡々と語った。

 ログイン前の続き6試合連続のベンチスタート。あるとすれば投手の代打だったが、八回2死満塁で起用されたのは同じ左打者で打率3割台の伊藤隼だった。鳥谷は打率1割4分3厘。これが現実だ。

 来月で37歳。23歳から無休を続け、その大部分を激務の遊撃手として働いた。昨季は死球で顔面を骨折しても出続けた。歴代1位の衣笠祥雄氏には276試合及ばなかったが、当時より年間試合数は多く、日程は過密だ。胸を張れる。

 記録が途切れる形は両者で大きく異なる。衣笠氏は1987年の現役引退とともに終止符を打ったが、鳥谷はシーズンのまっただ中で止まった。戦いは続く。

 現役時代、自身も連続試合出場に生きがいを感じていた金本監督は、記録継続を尊重してきた。だが、今季は試合終盤の守備固めで、打席に立たなかったのも5試合。18日の中日戦は犠打のための代打で、記録ありきの起用にも見えた。記録が止まったこの日の試合後、指揮官はオフから本人と話してきたことを明かし、「いつまでもというわけにはいかない」と言った。

 かつて記録について「モチベーションになっている」と語っていた鳥谷。自分を支えていたものを手放した後、どうもがくのか。鳥谷の野球人生は新たな局面に入る