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 生駒市に1年前、総勢140人を超える市民吹奏楽団が誕生した。同市立小中学校の吹奏楽部や金管バンドの活躍が、誕生のきっかけになった。その活躍を支えたのは、熱心に指導してきた教師たちだった。

 さきがけは1981年に新設された桜ケ丘小学校だった。まだ若かった原井栄一さん(62)=現・河合町立河合幼稚園長=が鼓笛隊の指導を任された。

 ソフトテニス高校総体出場の経験があった。「子どもには何か、心の支えとなる活動が必要だ」。音楽経験はなかったが、外部講師の指導を間近で見ながら学び、4年目に金管バンドをスタートさせた。

 ログイン前の続き87年に異動した隣の俵口小でも金管バンドを結成した。「基本を徹底しました。基本の差が演奏の差となって表れますから」

 桜ケ丘小でバンドの後任顧問になったのは今西惠三子さん(55)。中学から吹奏楽に親しみ、スクールバンドを育てるのが夢だった。「本気を超える、が合言葉でした」。楽器の種類を増やし、表現の幅を広げた。

 両校は「ライブで魅(み)せる桜ケ丘」「録音で際立つ俵口」と評され、90年代に関西吹奏楽コンクールで金賞を獲得。96年には桜ケ丘小が県内の公立校では初めて全国大会に出場した。

 一方、あすか野小では94年、高田信行さん(59)が金管バンドを結成した。学生時代はハンドボールの選手だったが、以前の赴任校で金管バンドの活動を手伝ったことがあった。スポーツには補欠があるが、音楽は全員が舞台に上がれる点に魅力を感じた。原井さんの俵口小と合同バンドを結成。桜ケ丘小とともに全国大会の常連校になった。

 その後、今西さんは俵口小に異動した。3校はそれぞれ、全国大会に何度も出場。2009年には3校とも全国で金賞に輝いた。あすか野小はこのころ、「マーチングバンドのあすか野」と呼ばれた。

 桜ケ丘小と俵口小の卒業生が進むのが生駒中学校。その吹奏楽部を育てたのが、1991年に顧問に就いた牧野耕也さんだ。全日本吹奏楽コンクールに12回出場し、8回金賞を獲得した。

 2011年、胃がんに倒れた。翌年の全日本が最後の舞台に。当時の新聞記事に、演奏を終えた牧野さんの言葉が残る。「気持ちを込めた、いい演奏を聴かせてくれた生徒たちに『ありがとう』と言いたい」。14年に亡くなった。

 今西さんがかつて指導した児童も親になり、その子を教えたこともあった。昨春の異動で桜ケ丘小に戻り、再びバンドの顧問に。しかし、部員は以前より減った。「時代とともに、すぐに答えを求める子が増えました。楽器は簡単には上達しません。時間をかけて答えを見つける大切さを教えたい」

 3月、市内の学校の部活動やバンド、市民吹奏楽団が一堂に会する合同演奏会が初めて開かれる。桜ケ丘小の校長になった高田さんは提案者の一人だ。

 「世代を超えて吹奏楽が鳴り響く。生駒がそんな『音楽のまち』であり続けてほしいと願っています」