江戸時代に長屋門をつくることを許されたのは、郷士や苗字帯刀を許された富農、名主だったようです。藩財政の厳しかった水戸藩の場合、より多くの資金が必要だったので、献金を行った富農にも許可が与えられ、長屋門が多くなったということなのでしょうか。藤田東湖ら改革派は、献金には反対だったようですが。
牛伏町
道路からはいった少し高いところにある長屋門です。
酒門町
以前は前庭だったのでしょう、門の前の敷地が広いことが、門の立派さを一層強調しているようです。
内原町
向かって右側に部屋が張り出していますが、これは最近の改修なのでしょう。
筑地町
先日町を通ったところ、修繕工事中でした。そう遠くなくきれいな姿を楽しめるようになるのでしょう。撮影は9月1日です。
東前町
かつてあった長屋門のあとに、現代の長屋門が建てられたのでしょう。奥行きがあって、住居にもなっているようでした。
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