亡母の姉(長女)は、7人兄弟の一番上。
昭和7年生まれの叔母は、両親の為兄弟の為と、身を粉にして働いた。
母方の祖母は、お嬢様育ち。
両親が健在なときは小さな別荘も持っていて、女中さんもいた。
祖母の幼少期はいつも錦紗の着物を着、近所の子がつい触ろうとすると払われた・・と、幼少期を知っていたおばさんから教えられた。
私が知っている祖母は確かに‥おしゃれが好きで、多少派手だった。
その長女でもある叔母のところへ1泊した時、「苦労」という話になった。
私が経験した苦労などは殆ど無きに等しく、戦中を生き抜いた叔母の苦労は話こそしないが今なら20歳の私より深く理解ができる。
どちらにしても親戚中で一番物心共々お世話になった。
今は老人施設で、認知症を少し患いながらも・・元気でいる。
その叔母が教えてくれた・苦労の定義は・「人に助けを乞うときは、道に倒れ、血へど吐いてから言うものよ!!」
この強烈な定義を授かった私は、20歳から今までも‥血反吐は吐いていない!!
よって、まだ・・苦労はしていないことになる。
こんな‥人助けばかりに財産も投げうって身内の為に奉仕して生きている叔母の教えは・・私をいつも凛と、身を正してくれた。
叔母は誰にも迷惑をかけず生きてきたが・・兄弟姉妹は迷惑をかけ姉に甘えてきた。
7月‥施設へ叔母に会いに行くが‥本当なら私が面倒見たいが‥それも難しい。
コロナがやっと5類になったので面会ができる。
生きているうちに・・感謝をちゃんと伝えに行かなければ。。。
何たって‥可愛がっていただいた数々の思い出はダイヤモンドより輝いている。
今、このような辛抱を教える‥年配者がいなくなった。。
そこは功罪あるが‥私には貴重な教えであったことは間違いがない!!