パリオリンピック卓球メダリストの早田ひな選手が帰国会見の中で、今行きたいところをきかれ、「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と、知覧特攻平和会館を行きたい場所として挙げたという。
これに対し、中国人メダリスト二人が早田選手の微博(ウェイボー)のフォローを外したことも報道されたらしい。
中国人メダリストの国内での立場も理解できないわけではない。
早田選手は、平和の有難みを実感したい、生きていることに感謝という純粋な気持ちだったと推測するが、「特攻資料館に行きたい」という部分が切り取られ、『特攻賛美』と受けとめられたのかもしれない。
日本人は歴史を振り返らないと、他国や一部の日本国民からしばしば非難されるが、歴史を振り返って平和を祈る気持ちを新たにしたいという日本の若者に対してさえ非難の目を向けるのだろうか。
何かと不自由だ。
先日の長崎市の平和記念式典のイスラエル大使不招待に続く日本を除くG7各国大使の出席拒否に至る経緯に共通するものを感じる。
発言の趣旨、行動の目的が国内外でどのように受け止められるかの判断は非常に難しいが、重要なことだ。
長崎は平和を国際社会に対しアピールする場を、残念ながら自ら手放してしまったように見える。
大多数の日本人にとって、78年前に戦争は終わったものであるが、日本は国際社会においては、かつてナチスドイツの同盟国であった国、東アジアにおける侵略者という烙印をいまだに背負っているということなのだろう。
そして、反ユダヤ主義の国、東アジアの侵略者ということで欧米からもアジアからも孤立している状況が続いているのだから、日本人は発言の趣旨が誤解されかねないということを心にとどめておくべきだろう。
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