宮城県栗原市金成の「姉歯の松」歌碑解説板
箱根山から見下ろすーかきで有名な陸前高田の広田湾
気仙川から河口を臨むー遥か彼方に姉歯橋
姉歯といえばいわずと知れた耐震強度偽装事件の建築士。
ところで姉歯といえば、昔はここが有名だったらしい。宮城県栗原市金成に在原業平や鴨長明などに詠まれた古歌の名所「姉歯の松」がある。
なんでも用明天皇(聖徳太子の父)の御宇(西暦585~587)に陸前の高田(岩手県陸前高田市)から宮廷の釆女(下級女官)に土地の郡司の娘が差し出されたが、都への途次、わざわざ高田を船出してから陸上に上がり(?)宮城県の栗原で死んでしまったのだそうな。(何で海路をとる?本当は人質?)
そこで、替わりに召しだされた妹が都への途次、栗原に立ち寄って姉の死を悼み、姉の墓を拵えて松を植え、弔ったとか。それが姉の墓→姉墓→姉歯となった。
そして「姉歯の松」は有名な場所になって、歌人、文人に歌われたという。
よく分からない話だ。これだけのことで何で有名になるのか?
当時、何かセンセーショナルな出来事がこの辺りであったのでは。
その時代、陸奥はいわば俘囚の地であったが、金の産地として垂涎の的であったに違いない。
用明天皇は母が蘇我一族であり、仏教を国教としようとした人だとか。2年という短命な在位期間であり、暗殺説もあるらしい。その後、聖徳太子が実は天皇に即位したとかしなかったとか、政情は不安定。やはり暗殺説も。その後聖徳太子の皇子たちも殺された。
645年にはついに「大化の改新」というクーデターが起き、中大兄皇子と中臣鎌足に蘇我蝦夷、馬子親子が暗殺された。
岩手県、宮城県には多くの金山がある。岩手県陸前高田には玉山金山がある。8世紀に発見され、奈良の大仏建立(聖武天皇時代)の際、ここの金が運ばれたというが、発見されすぐ使用されたと考えにくい。ずっと以前から産金の事実があったのではないだろうか。ただ、歴史書に記載されなかっただけで。
「姉歯の松」事件は「大化の改新」前夜、混乱した朝廷の、黄金の国陸奥経営にまつわる大きなうねりの中の、何か象徴的な出来事だったのではないだろうか。
目を現代に向けると、「姉歯建築事務所」問題も氷山の一角だと思われる。
ここで不正の一角にメスを入れ社会問題化してから日本の耐震建築の推進を図る目論見ではなかろうか。
昨今、何かにつけ大衆の耳目を集め、バッシングしてコンセンサスを得た形にしてから、おもむろにメスを入れていくのが行政のスタイルとなっている。
「姉歯の松」の主人公姉妹の出身地である陸前高田は大地震、大津波の危険が予想されている土地である。この地の「姉歯橋」のかかる気仙川には昭和8年三陸大津波、チリ地震津波の折も、津波が遡ったが、幸い津波は橋を越えなかったらしい。越えても流失しなかったかも知れない。昭和7年に架けられた「姉歯橋」は無骨ながら頑丈そうだ。
箱根山から見下ろすーかきで有名な陸前高田の広田湾
気仙川から河口を臨むー遥か彼方に姉歯橋
姉歯といえばいわずと知れた耐震強度偽装事件の建築士。
ところで姉歯といえば、昔はここが有名だったらしい。宮城県栗原市金成に在原業平や鴨長明などに詠まれた古歌の名所「姉歯の松」がある。
なんでも用明天皇(聖徳太子の父)の御宇(西暦585~587)に陸前の高田(岩手県陸前高田市)から宮廷の釆女(下級女官)に土地の郡司の娘が差し出されたが、都への途次、わざわざ高田を船出してから陸上に上がり(?)宮城県の栗原で死んでしまったのだそうな。(何で海路をとる?本当は人質?)
そこで、替わりに召しだされた妹が都への途次、栗原に立ち寄って姉の死を悼み、姉の墓を拵えて松を植え、弔ったとか。それが姉の墓→姉墓→姉歯となった。
そして「姉歯の松」は有名な場所になって、歌人、文人に歌われたという。
よく分からない話だ。これだけのことで何で有名になるのか?
当時、何かセンセーショナルな出来事がこの辺りであったのでは。
その時代、陸奥はいわば俘囚の地であったが、金の産地として垂涎の的であったに違いない。
用明天皇は母が蘇我一族であり、仏教を国教としようとした人だとか。2年という短命な在位期間であり、暗殺説もあるらしい。その後、聖徳太子が実は天皇に即位したとかしなかったとか、政情は不安定。やはり暗殺説も。その後聖徳太子の皇子たちも殺された。
645年にはついに「大化の改新」というクーデターが起き、中大兄皇子と中臣鎌足に蘇我蝦夷、馬子親子が暗殺された。
岩手県、宮城県には多くの金山がある。岩手県陸前高田には玉山金山がある。8世紀に発見され、奈良の大仏建立(聖武天皇時代)の際、ここの金が運ばれたというが、発見されすぐ使用されたと考えにくい。ずっと以前から産金の事実があったのではないだろうか。ただ、歴史書に記載されなかっただけで。
「姉歯の松」事件は「大化の改新」前夜、混乱した朝廷の、黄金の国陸奥経営にまつわる大きなうねりの中の、何か象徴的な出来事だったのではないだろうか。
目を現代に向けると、「姉歯建築事務所」問題も氷山の一角だと思われる。
ここで不正の一角にメスを入れ社会問題化してから日本の耐震建築の推進を図る目論見ではなかろうか。
昨今、何かにつけ大衆の耳目を集め、バッシングしてコンセンサスを得た形にしてから、おもむろにメスを入れていくのが行政のスタイルとなっている。
「姉歯の松」の主人公姉妹の出身地である陸前高田は大地震、大津波の危険が予想されている土地である。この地の「姉歯橋」のかかる気仙川には昭和8年三陸大津波、チリ地震津波の折も、津波が遡ったが、幸い津波は橋を越えなかったらしい。越えても流失しなかったかも知れない。昭和7年に架けられた「姉歯橋」は無骨ながら頑丈そうだ。
とても充実した記事に、感服いたしております。
姉歯、何か古代東北の立場を象徴するような枕詞です。古い地名に歴史上の字事実が折り重なった場所なのでしょうか。
三陸の方にも、「アネ」の付く地名がありましたので、マレーポリネシア語(ハワイ語)で意味を探ってみました。ハワイ語辞書に anehe=音もなく忍び寄る、こっそり近づく.
ane=軽石(パミス). 熱で震える.ほとんど~でない. などの意味がありました。こうした古い出来事と、史上の事件を重ね合わせたものが、東北の松に込められているのでしょう。